水道橋博士の「日記のススメ」 第12回

西村賢太の日記 1

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。

小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。

なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか? そこにはいったいどんな意味があるのか?

そう問うあなたへの「日記のススメ」です。

 

西村賢太さんが亡くなった日に

 2022年2月5日──。
 芥川賞作家の西村賢太さんが亡くなられた。
 この日のボクの日記にはこのように書いている。

 

西村賢太さんの訃報が飛び込んでくる。
昨日、作家の石原慎太郎さんへの
弔文を読んだばかりなので目を疑う。
明治天皇の大喪の後の
乃木希典の自刃を思い出したが……。

 

 西村さんには、さまざまな想い出がありますが、西村さんが作家として、相当量の日記を残していたのは、この連載に於いてもかけがえのない事実だと思われます。
 実際、ボクは、日記を書く習慣のある作家の同志として、“文”に於いて交流していました。
 作家はニッポン放送の深夜番組、ビートたけしANN(オールナイトニッポン)の熱烈なリスナーでした。
 そして、東京生まれの江戸っ子として、年長者の高田文夫先生、同じ年の赤江くん(玉袋筋太郎)の大ファンでした。
 西村さんは高田先生、赤江くんと交流を重ねており、その追悼の声をラジオに寄せましたが、ボクは文に残しておきたいと思います。
 今回は、ボクの日記と作家の日記から“文”の交際を辿っていきます。

 

交際を日記で辿ってみる

 まず、ボクの一番古い記述から振り返ります。

 

2011年2月21日 月曜日
(略)
『東スポ』の一面。
「芥川賞・西村賢太氏風俗3P」と見出し。
高橋三千綱と西村賢太の対談前編。
東スポOBの三千綱氏も63歳。
青春の象徴のようであった若き姿を思い返し、
その写真に年月の変遷を思う。

 

2011年2月25日 金曜日 
(略)
(フジテレビ『熱血!平成教育学院SP』)
収録終了後、
……静かにフェイドアウト。

後ろ髪引かれつつ、
楽しげな番組の打ち上げを振り切り、
新横浜駅から単身、名古屋便に乗車。

分厚い『文藝春秋』から50頁分だけを乱暴に切り取った、
西村賢太の『苦役列車』を広げ、
そこへ乗車する気分はKOKOU!

西村賢太の『苦役列車』を読んでいると、
自分の二十代前半の荒んだ心象風景が車窓に映る。
俺は途中下車し、ビートたけしの因果鉄道に乗り換えたが、
著者はこのまま「芥川賞」という駅まで辿り着いた。
しかし線路は続く。
そこもまた通過点なのだ。

ホテル一人宿泊、
例によって独り大衆浴場及びサウナ+水風呂を堪能。
今日は仕事先に春一番が吹いた。
春到来間近だ。

 

2011年3月27日 日曜日
9時起床。
(高田笑学校)漫才本番の日。
(略)
11時、我が家集合。
晴天のなか、相棒とテクテクとネタ合わせしながら、
新宿高島屋の紀伊国屋サザンシアターへ。

14時、本業である漫才舞台。
『我らの高田笑学校 しょの三十八』開催。

ロケット団、松村邦洋、ケーシー高峰、中入り、
キング・オブ・コメディ、浅草キッド、の香盤。

本番前、高田文夫先生と楽屋話。
先生が芥川賞作家・西村賢太の、
旧作の文庫の解説を書いたとの話からしばし。
僕が思い描いた想像通りだったのに驚く。
(ビートたけしのANNのヘビーリスナーであり、
ボクは文章上に「中年エレジーコーナー」を感じた)
(略)
打ち上げ。
(略)
高田先生のお話に静かに耳を傾ける。

神田山陽さんの話。
コラアゲンはいごうまんの都市伝説の話。
チャンス大城の話。
のいるこいる師匠の話などなど。

昼開催だったので、打ち上げ終了も早め、
松村邦洋くんとタクシーに同乗し、一直線帰宅。

ラッキーなことに子供たち起きていた。
一ヶ月の日々を費やし、
自分の任務を終えた圧倒的な開放感。
(略)
吉田豪との対談『百瀬博教とは何者だったのか?』
1万3千字規模のゲラチェック。
これでも字数は足らない。

ちなみに、
吉田豪と百瀬博教さんについて対談した新雑誌は、
4月20日発売予定の『go fight』(スコラムック)。

僕が格闘技雑誌で百瀬博教さんについて語るのは、
対談相手が吉田豪ちゃんであり、
編集担当者で旧知の井上崇宏くんが、わざわざ来宅し、
直接、礼を尽くして頼まれたからで、
今後「解禁」したわけではないのだ。

 

2011年4月28日 木曜日
(略)
今日のキラ☆キラ、吉田豪による百瀬博教話。
雑誌『go fight』での僕との対談をラジオで再現。
対談時も、用意した百瀬話の40分の一。
掲載の原稿も対談の内容の4分の一。
その掲載原稿の4分の一のトーク。
それでも濃い。

「柳沢忠之」とか「新田新作」が何者かを説明するだけで、
数時間もかかるだろう。
ましてや「野村秋介」を説明するのは大変。
ほんのサワリだけで20分が終わるのだ。
「吉田豪を久米宏にしようとした!」ってだけで、
くだらなすぎる(笑)
(略)
僕の百瀬博教さんへの偏愛は、
氏が現代の怪人であることよりも任侠の武人であることよりも、
詩人、文人であること、文章家であることに尽きる。
その肩入れぶりを説明すれば、
芥川賞作家の西村賢太氏の
私小説家・藤澤清造への熱烈な思い入れに似ているかもしれない。

今、調べたら百瀬博教さんの本は、
文庫化も少ないし絶版になっている。
1985年、『新潮45』編集長の亀井龍夫に曽野綾子から推薦され
異例の連載が始まった『不良日記』。
この文章の美しさが復刻されて欲しい。

百瀬博教『詩集絹半纏』(幻冬舎文庫 ※絶版)に掲載されている
『僕の刀』の幼き純情は何度読んでも震える。
あれほど繊細緻密な文章を書く本人が、
あれだけデタラメで豪放磊落であったことが奇跡だ。

僕が文藝春秋で電子書籍に乗り出すのも、
その後の目標は、この詩人・百瀬博教の埋もれた文章の復刻があるのだ。

僕のTLでは常に人気の
『ゴッドタン』のゲーセワニュース回を視聴。

久田さんの語る「手錠を破る」番長話。
大ぼらに聞こえるが、
百瀬博教さんの逃亡後の逮捕で警視庁に護送される時にも、
その瞬間が出てきて、その描写も素晴らしい。

百瀬博教さんが逮捕されたのは昭和44年だが、
昭和40年から逃亡者生活を送っている。
そして42年、連続射殺魔・永山則夫にピストルを渡した、
容疑の全国指名手配で
「小川宏ショー」に初めてテレビに映る自分を目撃する。

百瀬博教さんの逮捕容疑は拳銃不法所持なのだが、
その数が250丁!
逮捕状が出た時には、
千葉でハマコー一味に拳銃を売りに行ったところだった。
この事件の後、空港での金属探知機の検査が義務付けられた。

などと百瀬博教さんを思い出す夜になっている。

テレ東『カンブリアン宮殿』視聴。
吉本興業・大崎洋社長ゲスト回。面白い。
名だたる芸人の発言も貴重。
結局、フロントも芸人も若き日の対話において培った
“信頼関係”は揺るぎ無い。
芸能プロという擬似家族とはそういうものだ。
(略)
ネットに流れる神様の指摘は「的確」であり、
名指しで言われて「当然」だ。
記事の中、唯一の誤りは、僕がインテリ芸人とすること。

事実は隠せないし、罪は免れない。
当然、後悔は尽きない。
適時に適宜に自分の良心の呵責に耳を傾け、
自分で責任をとっていくしかない。

3.11以降の事故矛盾と自己矛盾の間で、
悶々と制御棒に徹する日々。

 

【注】この頃、ボクは3・11の東日本大震災の際、原発推進のための電事連の広告に出ていたことで大バッシングされていました。

 

2011年5月2日 月曜日
(略)
新潮文庫から発売された
西村賢太『随筆集 一私小説書きの弁』の
高田文夫先生の解説を読ませて頂いた。

一言。
こういう風には誰も書けないだろう。

つまり文庫の解説で、
こういう風にまるでラジオで話すかのようには書けない。
もっと言えば、こういう風に軽妙に誰も話せないのだから。

高田先生の喋りではなく、
文章を「技術」として捉えている本がある。
竹内政明著『名文どろぼう』(文春新書)だ。

 

2012年12月18日
(略)
↓Twitter↓
RT @araikaoru:
作家・西村賢太氏が『藝人春秋』を手に取った模様。
《まことに滋味深き名文。好著。》

だって。

 

 そして出会いの日を迎えます。

 

2012年12月23日 日曜日 
4時半起床。
(略)
午後から、
『平成教育委員会2013』収録。

8ヶ月、殿に会っていなかったのに、
この10日で4回目だ。

昨日も会ったばかりなのにウキウキ。
もう今日、話すべき新ネタを考えながら、
世田谷のTMCへ。

久々の『平成教育』特番。
今回は日本一の脳を決めるとのこと。
錚々たる学歴の持ち主が集結。
もはや高偏差値酔いを感じるほど。

本番前の殿楽屋にご挨拶。
タカさん、東国原“先生”と共に、
昨日から続く朝立ち法話。

『週刊文春』に掲載された「水素水」の記事を、
拡大コピーして持参する。
「なんだ、これ完全にエロ記事じゃねぇか!」
文章を読み上げながら大笑い。
「おい、いい加減にしろ! 
50過ぎて何を延々と語っているんだ!」
と殿。

東さんも、我々の芸人的赤裸々トークに、
いかにも入りたい様子が一々可愛らしい。

本番、
初対面の西村賢太さんとタカさんと3人で、
ダメダメグループを形成。

西村さん、その見た目を殿にイジられ続ける。
しかし、実は「初共演」とのこと。

今回、西村賢太さんだけでなく、
飯島勲さんや竹田圭吾さんも初対面だった。

飯島勲さんは楽屋で長話をした。
「橋下市長と政策論をTVでやりたい!」
と宣言している人だ。

収録後、楽屋挨拶の際に、
西村さんの「ANNリスナー出身」の経歴を、
殿に紹介すると「じゃあ焼酎でも一杯行こうよ!」とお誘い、
スタジオ近所の寿司屋へ。

寿司屋で、
飲むほどに酔うほどに舌好調になる殿、
園子温監督の「芸人宣言」には、殿も驚きつつ、
「それはいいじゃん!」って笑っていたなぁ。

殿、西村賢太さんの経歴に好きにならないはずがない。
深夜25時まで寿司屋で、
呂律回らなくなるほどの泥酔。

その後、
「これから六本木でカラオケやろう!」と。
無法松のお店へ集結。

ビートたけし往年のヒット曲メロディ。
懐かしすぎる!

イーストの吉田さんが、
ディープ・パープルの『ハイウェイスター』を歌った後に、
ボクがロッド・スチュアートの『セイリング』を入れたら、
「誰だ! こんなの入れたの! 30年ぶりだ、馬鹿野郎ォ!」
と言いながら殿が歌いきり、
「髪型までマネしてましたよね!」
「言うんじゃないよ!」ってやりとり。

大澤誉志幸作詞作曲の名曲、
『ハードレインで愛はズブヌレ』を
俺がリクエストして殿と一緒に歌ったが、
実に懐かしかった。
(殿も、これ歌うの10数年ぶりと)
しかし考えてみれば人生初の殿とデュエットだ。

「じゃあ、あれも歌うか!」と殿。
殿とタカさんが、
『ロンリーボーイ ロンリーガール』の振りつけ、
あの独特のステップ付き。
もう懐かしすぎて、涙ちょちょ切れた。

西村さんに(ボクの車に)同乗していただき、
ご自宅でお送りして、朝7時前に帰宅。

夜通し、たけしサンタと共に。
ビートたけしの優しい夜、を満喫。
ま・ん・ぞ・く!!!! 楽しかったぁ!

 

 これがボク側の西村賢太さんを認識して、初対面の時の日記です──。
 流れ上、大事なことは、西村賢太さんは、ビートたけしのANNでも相方の高田先生の贔屓であり、浅草キッドでも相棒(玉袋)のファンであったことです。
 さらに、ボクは、そのことを事前に知っていたのです。
 この日のボクの記憶を、今、思い出して語れば、スタジオの横のソファーの片隅で初対面でお会いした時、「クイズ番組でもステージ衣装なんですね」とボクが言うと、「よくご存知なんですね!」と西村賢太さんが仰り、「小説家の前にはスーツが普段着だった、その様子を見ていました」と言うと、「それはテレビで初めて言われました!」と、目を白黒されていました。
 この頃、西村さんは、芥川賞作家として売れっ子で、渡辺プロ所属の文化人タレントであり、テレビの出演時は、「無頼作家」のイメージ戦略を立てていて、チノシャツとジーパンというスタイルをどの番組でも通していました。

 ボクが驚いたのは──。
 世田谷のスタジオの前のお寿司屋さんで、殿を目の前にして、ガダルカナル・タカさんを隣に、かしこまって座ったまま、自分の素性を語るときにも、「ボクはオールナイトのリスナーなんですが、高田文夫先生と玉ちゃんのファンなんです!」とはっきり仰ったことです。
 そう言われて、殿が「ふーん」と言いながらも、自分の魅力をわからせようと、リップサービスをいつも以上に続け、小説家が悪所通いを「買婬」称して、敢えて包み隠さず、小説に書いていることを知ると、「これから一緒にソープ行く?」と言い、同席した全員で吉原のソープランドを貸し切る宣言をして、小説家を誘っていました。
 しかし、風営法下のお店の閉店の時間のため、ソープに行くことを諦めると、長駆、六本木のカラオケ店へ向かったのです。
 そして、カラオケ店では、西村さんが、粗相をして、そのまま、殿の目の前で寝入りました。


 以上が、ボクが初めて西村賢太さんと出会うまでを描いた日記です。
 逆に、西村さんは、『一私小説書きの日乗』と題した日記を長く連載されていました。
 次回は、そこに触れていきたいと思います。

 

 第11回
第13回 

プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

 
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