水道橋博士の「日記のススメ」 第13回

西村賢太の日記 2

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。

小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。

なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか? そこにはいったいどんな意味があるのか?

そう問うあなたへの「日記のススメ」です。

 

永井荷風に倣った「日乗」

 前回は、2022年2月5日に夭折された芥川賞作家・西村賢太さんとの文が結ぶ交際を、ボクの日記で振り返りましたが、今回は、西村賢太さんの長期連載『一私小説書きの日乗』と題した日記シリーズ及び、随筆集から振り返りたいと思います。

 この西村氏の日記である「日乗シリーズ」は、発表媒体を様々に変えて長く連載されていました。

 そして、西村さんは「私小説家」なので、日記も随筆も小説も自分自身が主人公であったことは特筆しておきたいと思います。

 まずタイトルを「日記」ではなく「日乗」と題したのは、永井荷風の日記のタイトル「断腸亭日乗」に倣ったのは間違いないでしょう。

 余談が続きますが、永井荷風(1879[明治12]12月3日 – 1959[昭和34]年4月30日)は「濹東綺譚」などで知られる小説家、大学教授ですが、死の前日まで日記をつけていたことでも知られ、ボクが敬愛する古川緑波と並ぶ、日本の近代の日記作家の鼻祖とも言える存在だと思います。

 永井荷風は、かの三島由紀夫の憧れである谷崎潤一郎が師に仰いだ、明治、大正、昭和を生きた文豪としてよく知られていますが、その生涯は、今やマンガでも、倉科遼原作/ケン月影作画の『荷風になりたい〜不良老人指南』がヒットしており、令和の若者にも親しまれています。

 

西村賢太から見た「ビートたけし氏」との出会い

 日記に関連付けて言えば、私小説家にとって、日記は大切な素材であると言えます。ですから、私小説家の随想も日記のひとつとだと思っています。

 前回、ボクが描いた、ボクと師匠・北野武と西村賢太さんの出会いの日、『2012年12月23日 日曜日』は果たしてどのように描かれているのか──。    

 いくつかバージョン違いがあるのですが、随筆集『下手(したて)に居丈高』の中の『ビートたけし氏』という章では、以下のように描かれています。

 

 先般、ビートたけし氏と朝までお酒をご一緒さして頂く機会に恵まれた。

 或るテレビ番組の収録後、水道橋博士氏が楽屋に伺うことを誘って下すったのである。

 周知のように類稀なる読書家の博士氏は、何んと拙作まで目を通していて下さり、そこの往年の「ビートたけしのオールナイトニッポン」からの影響を逸早く見抜いた恐るべき慧眼の持ち主だ。で、そのことをたけし氏に伝えられると、恰度軍団のかたとお酒を飲みに出かけられようとしていた状況が幸いし、そこに混ぜてもらえると云う、まったく夢のような僥倖の展開となったのである。

 かの「オールナイト〜」が端緒となった、私のたけし氏や高田文夫先生贔屓の経緯や該夜の詳細については、すでに文藝春秋WEBでの連載日記や、『小説現代』二月号中の連載でも記している。それ程までに、この日に飛びだした数々のたけし氏の“金言”は、胸に深く刻みつけられるものがあった。頂戴した革ジャンと共に、私にとって終生の宝である。

 そうだ。“金言”と云えば、『アサ芸』でアル北郷氏が、毎週魅力ある筆を揮っている連載のことも、不躾にいろいろとおたずねしてしまった。

 たけし氏が、唯一北郷に注文をつけておられるのは、“師匠だからといって遠慮せず、徹底してオレのみっともなさをそのまま書け”と云う点であるとのこと。

 これは、今は廃れた真の私小説家の在りかたと相通ずるところがある。私なぞもその系譜に列なることを目指しつつ、しかしまだまだ自分の本当に痛い箇所は書けず、自らを美化してしまう癖が抜けきらない。それだけに、たけし氏のこの言には我が身をかえりみて、大いに揮い立たせられるものがあった。

 別段これは阿(おもね)っているわけではない。つくづく芸人と、自分の不様さを露悪と謗られながらも人様の前に披瀝する私小説書きとは、なにか一脈似通った部分があることを再認識したと云うだけの話である。

 無論、ソープの話柄も出た。出たついでにか、やがてたけし氏は、いかにも仕方がない、と云った顔付きで座の頭数をかぞえられ、実に面倒臭そうな風情で川崎の店に連絡を入れるよう、お付きのシェパード太郎氏に指示を与えられたことに、私は感動した。

 が、すでに受付終了の時刻で、最早どうにもならぬとなったとき、たけし氏の、その誰よりもの悔しがりかたには更なる感銘をうけた。

 結句この夜はソープに繰り出す事は叶わなかったが、カラオケに場を移してからもナマの“金言”の醍醐味を、朝まで確と味わったことである。

 

 ボクの非商業文である散漫なBlogと違って、単行本の元は『アサヒ芸能』誌に書かれた随想で、読み応えのある掌編としてまとまっています。

 当連載で注目すべきところは、

 「すでに文藝春秋WEBでの連載日記や、『小説現代』二月号中の連載でも記している」

 というくだりです。

 なぜなら、一日の出来事が日記のようなものとして、3回に渡って商業雑誌に使い回されているのです。

 一粒で3度美味しい、と言っても良いでしょう。

 さて、他の2つの文章では、いかように書かれているのかは、皆様もそれぞれの本に当たって確認してください。

 ことほど左様に、日記を書くだけで、職業作家になれる場合もあり、そして、それはすべて自分を主人公にした物語の「私小説」にも転用できるわけです。

 ライター・作家、売文を目指す人にはなによりの素材として、日々の日記を書き溜めていくことをお薦めする次第であります。

 

 第12回

プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

 
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