日本美術に魅せられた海外の巨人たち
法明院は現在の三井寺の境内からは、だいぶ離れた山の中腹に位置しています。周囲はマンションなど住宅開発が進んでおり、探すのが一苦労でした。両脇に雑草が茂った入り口をやっと見つけましたが、道は狭く、周辺はひっそりしています。その先の、古びた石段を上がったところに法明院がありました。
本堂横の時雨亭は、今も残っていましたが、佇まいは寂れていました。そこから庭先に回ると、眼下に琵琶湖が広がっていました。この景色は、きっと彼らが好きな眺めだったのでしょう。その庭から、緩やかな山道を上って奥に入ると、墓石や供養塔が並ぶ墓所になっていました。小雨が降りしきる肌寒い日で、ここを訪れる人は他におらず、周囲は静まり返っていました。
落ち葉に覆われ、苔むした墓石をしばらく眺めて歩くうちに、フェノロサとビゲローのお墓を見つけました。石碑に刻まれた文字を読むと、フェノロサの墓石はチャールズ・フリーアにより費用の一部が寄贈されたものでした。フリーアは一九〇六年に、自身の膨大な日本、中国などのアジア美術品のコレクションをワシントンDCにあるスミソニアン(アメリカの国立学術研究機関)に寄付した人物です。これによってスミソニアン博物館群内のフリーア美術館は、ボストンに次ぐ日本美術のコレクションを誇っています。寂れた環境の中、日本美術の普及に尽力したフェノロサ、ビゲロー、フリーアなど海外の巨人たちが、一堂に名を連ねています。
ここにはもう一人、彼らに密教を紹介した町田久成の名もあるはずです。さらに探して、ついに久成の墓石も見つけることができました。最終的に岡倉天心だけは別の道を歩みましたが、ビゲロー、フェノロサ、久成がこよなく愛し、精神的なインスピレーションを受けたこの場所で、彼らは共に眠っています。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。