ニッポン巡礼 Web版⑤

「茅葺き古民家」に人生を捧げる人々

福島県・南会津【前編】
アレックス・カー

 

「ニッポン巡礼」の連載で訪ねた場所には、三井寺(みいでら)(滋賀県)や(山口県)のように、以前から興味を持っていたところもありますが、仕事をきっかけに接点が生まれた場所もありました。たとえば鳥取県の智頭(町(ちづちょう)は、事前知識があったわけではなく、古民家再生のコンサルタントとして現地へ行って発見した場所で、まさに「牛に引かれて善光寺参り」です。

 このことわざからも分かるように、予期せぬ牛の歩みには信仰的な意味合い、つまり「縁」が潜んでいます。自分の意思でなくとも、何かの縁で立ち寄った地方と、思いがけなく深い関わりを持つようになることがあります。私にとって、その一つが福島県の南会津です。

上質な「ツアー」は一冊の良書に匹敵する  

 二〇一八年、文化ガイドの仕事で、福島県の南会津一帯を視察することになりました。視察の目的は、この地における望ましい観光の形を検討し、私自身がそれを実践的にガイドするツアーを企画することです。

「ガイド」「ツアー」というと、旗を持ったガイドさんが大勢の人を引き連れて歩く観光旅行の様子を連想されるかもしれません。しかし私は、ガイドも「アート」の一種ととらえています。その地域を訪れた人の心に残るように案内するためには、名所巡りだけでは不十分で、土地に対する豊富な情報に加え、知的な工夫も必要です。上質なツアーとは一冊の良書にも匹敵するもので、一人旅では味わうことのできない経験も得られるものと、私は確信しています。

浅草駅から東武鉄道で

 南会津の旅の拠点は、東京の浅草駅から出ている東武鉄道の特急列車「リバティ会津」の終着駅「会津田島」になります。会津といえば、何といっても戊辰戦争の歴史が印象的な土地です。会津田島から足を伸ばして、戊辰戦争の主な舞台となった会津若松と、さらに東武鉄道の沿線である日光にも立ち寄れる。そんなうれしい目論見も抱えて、私は車中の人となりました。

 東武鉄道には子どものころの、よき思い出があります。一九六四年に父親の赴任で家族とともに来日し、横浜で暮らしていた私にとって、浅草駅からこの電車に乗って日光へ行くことは、大変な楽しみでした。自分の貯めたお金で切符を買って、一人で出かけることもたびたびありました。当時は国鉄の車両に旅の特別感は薄く、東武鉄道の方が贅沢なつくりになっていて、そのことにもわくわくしました。

 少年時代の記憶のせいか、この特急は日光にも停まるものだと思い込んでいましたが、列車は途中から日光とは別方向へ向かいました。考えてみれば、子どもの時から実に五十四年もの月日が流れているわけです。浅草を出てから二時間ほど経ち、栃木県との県境を越えて福島県に入ったころ、車窓からの眺めが白い雪景色に変わりました。その日の出発地だった東京では、すでに春の息吹が感じられました。福島はそう遠くは感じませんでしたが、やはり北国です。

線路沿いの雪景色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

里山から一望する「茅葺きの大波」

 会津田島駅に着いた私は、まず下郷(しもごう)町にある大内宿に向かいました。南会津のみならず、福島県でも指折りの観光地です。ここは江戸時代に会津若松と日光の今市を結んだ会津西街道(別名は下野(しもつけ)街道)沿いの宿場町で、現在、日本に残る数ある宿場町の中でも、とりわけドラマティックな風景を見ることができる場所です。

 茅葺き民家については、山間に合掌造りの民家が点在する岐阜県の白川郷が有名ですが、大内宿はどっしりとした茅葺き屋根の家が、旧街道に沿って、きっちりと並んでいて、そこがいかにも宿場町らしい趣です。家並みは、街道が里山にぶつかり、T字に分岐する位置まで続き、その先にある丘の中腹から町の様子が一望できます。今は変わってしまいましたが、昔の京都は瓦屋根が延々と続いていて、その様子はまさしく「甍(いらか)の波」でした。大内宿はさしずめ「茅葺きの大波」です。里山から眺めると、大海に茅葺き屋根の大波が次々と湧き起こっているようでした。

大内宿の遠景(5月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一九七〇年代まで眠り続けた宿場町

 大内宿の起源は一六四三年に遡ります。当初は会津若松と江戸をつなぐ参勤交代の脇街道の宿場町でしたが、年月が経つにつれ、次第に宿場町の機能を失い、幕末になると「半宿半農」へ。明治以降の道路建設で完全にバイパスされたことで、この地は山の中に取り残され、最終的に「純農」の町になりました。

 そのように約三百年もの間、世の中から「バイパス」され続けたわけですが、これこそが大内宿の救いでした。福島県内の他の宿場町は、明治から昭和にかけての「近代的な」開発で変貌し、歴史的な姿を十分に残せませんでしたが、一九七〇年代まで眠り続けた大内宿は、その後、国による「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定され、屋根に被せていたトタンを外して茅葺きに戻したり、舗装されていた中央の道を土の街道に復元したりしながら、往時の姿を取り戻すことになりました。

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ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

関連書籍

ニッポン景観論

プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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