劇的な崖に囲まれた入り江
その浜を後にして、車で少し走った油壺には、「シーボニア」のヨットハーバーが、思い出のままに今もありました。敷地の中には、シーモア・ジェノーがお客にランチの接待をしていた、二階建てのしゃれたクラブハウスレストランもしっかりと残っています。私たちが着いた時は、閉店時間をまわっていましたが、親切なウエイターが店の中に入れてくれました。
思えば、私の両親をはじめ、ジェノー夫妻、マクヴェイ夫妻、リンダ・ビーチと、みな、今はこの世にいません。進駐軍のアメリカ人コミュニティは、私やメリット・ジェノーら、ほんの数人の思い出に残るばかりです。しかもメリットと私もすでに六十代で、もう「お年寄り」になります。時の流れ、人生の無常を顧みながら、コーヒーを飲みました。
こうして私は思い出の浜辺を見つけることができましたが、かつて見事な別荘が並んでいた周辺の風景は変わり、現実は、どこにでもあるような中途半端な田舎になっていました。三崎ハウスとの再会は叶いませんでした。これではニッポン巡礼が目的としている「美しいかくれ里」にはなりません。先へ進めば、まだ自然のまま残った浜があるはずだと思い直して、もう少し奥へと探検をすることにしました。
三浦半島の南に、宮川港という小さな漁港があります。最初は何の変哲もない、地元の小さな港に見えましたが、コンクリート護岸壁の先まで進んでいくと、風景が荒々しい岩浜に一変して、ドラマチックな雰囲気になります。周囲の白黒模様の岩は、三崎で見たものよりも、さらに一層ドラマチックな形態で、磯全体を覆っています。
とはいうものの、コンクリートの護岸壁の前にはテトラポッドが置かれ、背後の山には高架橋が架けられています。そのような工業的な人工物のない、本当に純粋な自然の入り江がないだろうかと、探検への気持ちは募ります。
そんな私を助けてくれたのが、三浦半島で生まれ育った写真家の猪俣博史さんです。釣りが好きで、この辺りの土地に詳しい彼からは、秘密の浜があることを教えてもらいました。ただし、よその土地の人間にとっては、とても分かりにくく、見つけにくい場所といいます。果たして、その浜は猪俣さんの言葉通りでした。
車一台がやっと通れるような農道や、やぶの中の細道をぐるぐると迷いながら、三浦の海を右手にして進んでいった先に、その劇的な崖に囲まれた入り江はありました。海面から何十メートルもの高さで切り立った絶壁は、上から見下ろすと、目まいを覚えるほどの険しさです。崖上のところどころに、背の高い雑草が茂っていて、それにつかまって下を覗き込むと、岩場に波が激しく打ち寄せていました。
松ではありませんでしたが、崖沿いに植わった樹木に吹き込む風の音は、子供のころに三崎で聞いた松風を思わせました。絶壁のすぐ手前までは、おだやかな畑が続いている場所でしたが、それがゆえに、突き当りに突如という感じで出現する絶壁は意外性に満ちており、日本では珍しいワイルドな入り江でした。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。