ニッポン巡礼 Web版⑩・最終回

知るだけでいい。行かなくていい「旅」もある

神奈川県・三浦半島【後編】
アレックス・カー

半世紀ぶりに「三崎ハウス」探索へ

 さて、今回は、私の巡礼の原点となる三崎ハウスのあった浜へ、半世紀ぶりに戻ってみようと思いました。新幹線を新横浜で降り、駅前からレンタカーに乗って、鎌倉、逗子、葉山を越えて三浦半島の南西へと走ります。

 葉山には日本に来て間もないころ、家族が泊まりに行っていた大きな日本屋敷もありました。相模湾の先にそびえる富士山を、二階の窓から望める家で、私はその家で初めて畳を経験したことを覚えています。できることなら、そこも再訪したいと思いましたが、葉山でその家を見つけることはできませんでした。きっともう存在していないのでしょう。

 葉山の日本家屋以上に、肝心の三崎ハウスのあった場所をどう探すかが、私と取材チームにとっては一番の問題でした。

 シーモア・ジェノーのお嬢さんで、現在はコロンビア大学の学部長を務めているメリット・ジェノーに聞いて、最寄り駅と浜の名前は分かりましたが、地図でどんなに探しても、それらしき場所を見つけることができません。

 仕方がないので、記憶を頼りに見当をつけた場所に、片っ端から分け入っていくことにしました。うれしいことに、半島の海岸沿いには、開発を免れた田んぼとスイカ畑が、ところどころに残っていました。

 私にはスイカに関して苦い思い出が一つあります。子供のころ、同じ年ごろの仲間たちと、三崎ハウスの近くにあったスイカ畑のあぜ道を走り回っては遊んでいました。夏の強い陽射しの下で熟した無数のスイカを目にし、私たちは「誰も気付かないだろう」と思って、畑の奥の方から一個のスイカをとって家に持ち帰りました。しかし、その日の夕方、玄関先に農家のおじさんがやって来たのです。「あなたたちの子供がスイカを盗んだ、返してくれ!」と、彼は激しく怒り、子供たちは親から猛烈に叱りつけられました。

 今考えてみても不思議ですが、あれだけ広く、何百と実がなっているスイカ畑の中で、そのスイカが一つだけなくなったことを、農家の彼らはどうやって気付けたのでしょうか。その鋭敏な感覚には、今さらながらに驚きを感じます。とにかく私は、日本がいかにきっちりしている国か、ということを子供なりに学びました。

一九六五年の三崎の田畑(著者提供)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 Web版⑨
ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

関連書籍

ニッポン景観論

プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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