ニッポン巡礼 Web版⑩・最終回

知るだけでいい。行かなくていい「旅」もある

神奈川県・三浦半島【後編】
アレックス・カー

思い出の浜辺を発見する

 三崎ハウス探索の話に戻りましょう。どうやら近くまでは来ているはずなのですが、スイカ畑のまわりの地形は入り江が多く、また海辺につながる車道も途切れがちで、どうしても「ここだ」という場所にたどりつけません。近くにあった灯台を目指して、未舗装の坂道を行ったところ、道はどんどん狭く、険しくなり、やがて車では進むことができなくなってしまいました。

 そんな私たちの様子を、一人の女性が細い坂道の途中から、ずっと見ていました。そこで、車を引き返して道を尋ねようとしたところ、彼女の方から声をかけてきてくれました。

「ひょっとして、あなたたちは三崎ハウスを探しているの?」

 その言葉に私が驚いて、「そうなんですよ」と話したら、

「ああ、懐かしい! 私の家はずっと三崎ハウスの管理を手伝っていたのよ。エドウィン・ライシャワー、リンダ・ビーチ、コカ・コーラやヒューレット・パッカードの社長など、いろいろな人がよく来ていたんですよ」

 と返ってくるではないですか。私がリンダとの思い出を語ると、彼女は大きくうなずいてくれました。

「今は大分変わってしまったけれど、リンダの家があったところまで案内してあげる」と、彼女の先導のおかげで、ぐるぐるとあてどない場所探しは終わりました。この偶然の出会いがあって、私はついに思い出の浜辺へと下りていく歩道の入り口に立ったのです。

「ああ、子供のころに歩いた道はここだ」と、一目で思い出した私は、彼女との出会いに心から感謝しました。私たちだけでは何時間、いえ、何日間かけても、この場所を見つけることはできなかったでしょう。そう思うと、道に迷って、まったく違う場所で、彼女と遭遇したことが一つの奇跡に思えました。何十年経った今でも、三崎の海岸と私の縁は切れずに残っていたのです。

 しかし、リンダ邸を含め、ホーラス・ブリストルの作った三崎ハウスの家はすべてなくなっていました。海岸沿いには新しい別荘がところどころ立っていましたが、それらはかつて三崎ハウスが持っていた趣とはまるで違っています。それでも、小道から下りた先にあった浜辺は、思い出のままでした。

 三崎の岩浜は白色と黒色の地層が重なって、山口県・萩への巡礼の時に見た「須佐ホルンフェルス」とよく似た雰囲気でした。しかし、三崎の岩は長年の地質変化で、曲がったり歪んだりと、かなりデフォルメされて、波のような形になっています。

 海岸をさらに歩いていくと、子供のころの、さらなる思い出に出合いました。それは海に面した小さな洞窟です。

岩礁の至るところに洞窟があることが、三崎の特徴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は第二次世界大戦まで遡りますが、敗戦を悟った日本政府は、沖縄で行なったように、竹槍一本でも最後まで戦い抜くようにと国民に呼びかけて、要塞として洞窟を作りました。相模湾と東京湾に挟まれた三浦半島は軍事的な要所で、この辺りには多くの洞窟が作られたそうです。当時、親からは「絶対に入るな」ときつく言われていましたが、それでも我々子供たちは、好奇心から薄暗い洞窟に入ることが何度かありました。戦争になったら、こんなところに隠れないといけないのかと、子供ながらに怖かったことを覚えています。

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 Web版⑨
ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

関連書籍

ニッポン景観論

プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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