「自衛官の命を守ろう」とする防衛省がカギ
松竹 安全保障や外交などをどう打開するかと考えると、外務官僚がダメなら自衛隊と防衛省をどうしていくかということが重要だと私は思います。この十何年間で外務官僚にも防衛官僚や自衛官にも、いろいろとお付き合いができたんですが、外務官僚というのは日米関係について何か新しく、これまでの既存概念と違う概念を打ち出すことができる人はほとんどいない。そういう意欲ももう、あまりない。
でも防衛官僚の場合は違う。だから私は柳澤協二さんに代表になってもらい、「自衛隊を活かす会」をこの6年間やってきたんです。柳澤さんにたくさんの防衛省や自衛隊の元幹部が共感してついてきてくれている理由の一つは、「自衛官の命を守ろうと思えば、今のような日米関係ではダメだ」という強い思いがあるからです。
南スーダンに自衛隊を送ったけど結局、今の局面ではダメだと撤退して、自衛隊の中には「こんな法律も未整備なまま、PKO参加5原則の全然通用しないところに行かされる」ということに、おそらくすごい危機感があると思う。防衛省、自衛隊の中にも抵抗する人たちがたくさんいて、その後の派遣が具体化されていないのでしょう。
でもバイデンさんが新大統領になって、どうなるか分からない。もしかしたらアフガニスタンなどにも行かないとダメだ、となる危険性が今すごくある。アフガニスタンにはもうNATO諸国の軍隊は皆行って、失敗して帰ってきた。「じゃあ、誰が行ける?」となったら「日本だろう」と水を向けられる可能性がある。外務官僚は日米関係優先だから、アメリカに言われたらそうなるかもしれない。
それをどうやめさせるかということになれば、「自衛官の命を大切にする」ということで防衛官僚や現役の自衛官たちも立ち上がっていくような働きかけをする必要がある、という強い思いがあって。現状を打開できるとすると、そこじゃないかと私は思っているんです。
池田 外務省の方向性にストップをかける可能性が、防衛省のほうにあるかもしれない?
松竹 はい。防衛省は直接自衛官の命に責任を負っているので、責任感は外務官僚と防衛官僚では全然違います。
池田 違うでしょうね。私も外務省という組織はあんまりよく知らないけれども、「北米局でなければ人にあらず」みたいな感じがちょっとあって。もちろん「純粋に外交という仕事をしたいんだ」という人たちは別でしょうけど、出世を目指す人たちにとってはもう、昔は条約局、今は北米局という感じで。
でも防衛省に本当に自衛隊員の命を大切に思う官僚たちがいるなら、彼らはこの国を健全に運営していこうという良心的な官僚たちなのでしょう。そう思いたいです。
けれどこの本で、運用によってどんどん地位協定がアメリカに有利なように変わっていくさまを見せつけられると、地位協定関係には、そういう人たちの声は本当に小さくて、無きがごときなんだな、と思いました。
松竹 それはそのとおりです。北米局と北米局の下に日米安保課と地位協定室があるんですけれども、本当にその周辺は「なんでこんな仕事をしているんだろう」と思うぐらい、日本国民の権利とか利益、日本国の主権とかいうことは全然考えていない。そこを変えようとしても仕方がないと、私には思えます。昔はまだ条約局があったから、「それは国際法の道理からしておかしいだろう」と言う人がいたけれども、もうそういう力関係でもなくなっている。でも官僚は、国民の命や権利とか、自衛官の命や権利というのに責任を負っているんだから、どこまで頑張れるか分からないが、頑張るのが官僚の仕事です。そういうアプローチを国民の側からしていかなければならないと思います。
池田 まったくそのとおりですね。
「日本の安全には他の選択肢もある」と示していくことが大切
池田 2014年以降、日本で公務中に事件や事故を起こした米軍関係者に対するアメリカ側の処分約500件について、軍法会議を含む裁判による処分が1件もなかったと、毎日新聞が情報公開請求をかけて明らかになったそうです。
松竹 それは今回の本の中にも入っています。187ページの表にあります。裁判になったのは1952年に駐留が始まってから1件だけです。2000年代ですけども。でもこの10年間ぐらいは1件もなくて。
池田 米軍組織内の懲戒処分だけで、日本というホスト国の裁判に代えるというのは、ひどい話です。この本の第17条刑事裁判権で、こういう刑事裁判権についても運用が大事だと書かれていますね。けれども地位協定を運用していく上で、日本の側の政府はやる気がないというか、国民の立場に立った対応とは言えない。それがどんどん重なっていっているというのが御本から読み取れます。
松竹 そうです。懲戒だけで済ませている。裁判の結果として無罪となるならともかく、裁判そのものが開かれていない。
池田 「この兵士は余人をもって代えがたいから」とか上官が口添えすればオーケーみたいに。こういうことは、時々新聞も大きく取り上げてくれるけれど、いつも「またか」みたいな感じになってしまっています。松竹さんもカルロス・ゴーン被告の例を挙げて、取調べの際に代用監獄問題とかがあるから、アメリカがそれを盾に日本側での勾留を認めないことがあると書いているけれども、それについては、この間の司法改革も全然進まないですね。司法改革のときに一気にそういうところも変えるべきだったのに。
日本は「こうしたほうがいい」ということがあっても、昔の陸軍や海軍みたいにいろいろ理由を出してきて、変わろうとしない。私たちの世論の声が弱過ぎるのかと思います。特にこういう、裁判もなしで済んだのばかりだなんて聞くと。沖縄の新聞をウェブで見ると、事件に対しては新聞ではきちっと批判しているし、怒るところは怒ったりしている。でもまだ足りないんだろうかと。
―ただ、沖縄の新聞では報道されても、東京や大阪、本州のテレビではあまり取り上げられなかったりしますね。「沖縄二紙は潰したほうがいい」なんて言う某作家もいましたし。それにつられて、「あれは売国的な新聞だ」というようなおかしな理屈をつけて、沖縄の声を無視する風潮もある気がします。一番被害を被っている人たちの声が、本州にいる一般の人たちの間であまり共通認識としてなっていない。
池田 見ようとしない。
松竹 だから、沖縄のことをどうやったら我が事として感じ取るのかということは、本当にずっと克服できていない問題です。
私に言わせれば安全保障も人ごとというか「じゃあ日本の安全をどうするんだ」というリアルな議論があんまり出てこなくて。政権とか右翼も「アメリカに任せるんだ」と言っていて、左翼は「憲法9条を守ればいいんだ」と言っていて。それと同じように、沖縄のことも人ごとになっている感じがします。そこはなんとかしたいとずっと思っているんです。
池田 だけどオスプレイが岩国や千葉、東京のほうにも飛来したりするようになって、人ごとじゃないと思えてこないかしら? うちは上空が米空軍のルートになっているので、オスプレイはまだ見ませんが結構うるさいんです。
この地位協定を見ていると、今の日本は生活習慣病で、健康体には戻れないような感じがする。最初は、「今はしようがないけど……」とやっていたけれども、その後「沖縄が返ってきたんだから、このぐらいのことはしようがない」とか思ったりして、運用面でどんどんアメリカの言いなりに要求を聞いていった。それがもう不可逆的なところまで来てしまっているんじゃないかと思うんですよね。
この本で松竹さんは、そうでもないよとか、いや、こういう例もあるよと、ところどころで言ってくれてはいるんだけれども。
松竹 なんで日本の外務官僚が、あるいは国民の多数がそこを許容したり無関心でいるかというと、結局「米軍に日本は守ってもらっている、だから多少のことは仕方ない」みたいな認識があって。いや、「日本を守ってもらっている」というのは違うんだ、ということをはっきりと伝えていくのが一番大事だと思います。
だから私たちは「自衛隊を活かす会」を作って、抑止とは異なる安全保障の在り方みたいなのをこの何年間か提言しようとしてきたんです。
政権側からは「安全保障といえば抑止力、日米安保」という考えしか聞こえていないけれども、「他の選択肢がある」ということを、説得力を持って打ち出していって、それに対する支持をどう広げていくか。それを抜きにしてこの問題の解決はないと思います。
「これでは主権を奪われている」ということと「日本の安全は別の選択肢があるんだ」ということを多くの人に伝えることです。
沖縄の世論調査を見ても、日米安保は容認という人が多いわけですよね。「でも地位協定は改定してほしい」と。米軍の横暴という側面から見ると、現状は嫌だと思っても「やっぱり日本を守ってもらっている」と思うから、アメリカを追い出すみたいな決断はできないという矛盾した気持ち。
でも、安全保障ということでは、日米安保に代わって、あるいは、日米安保のままでも、もっと日本の自立性が担保されて、「日米安保って安全保障の中で占める部分は、もう相対的に少ないよね」「もっとこうしたほうが日本の安全は守れるよね」という道筋を提起していく以外にないと私は思っているんです。
「抑止力とは核による抑止力だ」とはっきり言うことで
日米関係が変わる可能性もある
池田 1月22日に核兵器禁止条約が発効しますよね。抑止というのは、はっきり言えば、核抑止ですよね。ということは、いまだ理念法のような形にしかなってはいないけれども、核兵器禁止条約が発効したら、構造は変わらないけど、ちょっと世界のトーンが変わらないかなと思うんです。だけどそれには、「抑止というのは核抑止のことですよ」ということを宣伝して、いろんな人が「えっ、そうなの? だけど、核は国際条約で禁止になるんだよね」と気づいたら、「自分の頭で考えなきゃいけない」というふうになるんじゃないかと思っているんです。ちょっと甘いんだけど。
松竹 甘くはないと思います。長期的には必ず変わっていくものだと思いますし、短期的にもどう影響させていくかということだと思うので。
さっき日本の戦後からの変化と言いましたけども、「在日米軍は逐次撤退」というのには当時2つ潮流があったんです。「主権国家としては当たり前だ」みたいなことと、もうひとつは中曽根流の自主防衛路線みたいなのがあって。
76年に日本がNPT(核兵器不拡散条約)に参加するときに、三木さんが総理大臣でしたけど、三木さんはNPT推進派だった。でも、当時の自民党の幹事長は中曽根さんで、それに抵抗するんです。「NPTに入っちゃったりすると日本が核兵器を作る可能性が薄れる」みたいなことで。結局、中曽根さんも外務省に説得されてNPT支持というふうに変わっていきました。それも中曽根さんが「アメリカに頼ったほうがいい」という外務官僚の説得を受けて賛同するという方向だったんです。
いわゆる市民派や護憲派はあんまり考えてないけども、核を持つか持たないか、あるいは核に頼るか頼らないかというのが安全保障の中心問題なんですよね。だから、「核が安全保障の頼りにならない、核兵器禁止の方向だ」というふうになれば、日本の立ち位置、進路を変える上で、大変大きな問題だと思います。
池田 だといいですね。「抑止、抑止と言うけれど、それって核抑止のことよ」というのを、もうちょっと私も宣伝することにしよう。
松竹 核抑止というけれど、それって、いざというときにはアメリカに「核兵器を使ってほしい」と日本国民がお願いすることなんですよね。「それで本当にいいんですか」ということです。
池田 「それでいいの?」と。私たちも赤裸々に、現実を現実のままに表現していく必要がある。そういう「大状況は変わっているよ、私たちは実はそういう立ち位置なんだよ」ということを分かってもらうのが大切ですね。
同じ敗戦国ドイツは
EU諸国と組むことで米国と対峙できた
池田 この本を読んでいて「敗戦国として今まで生きてきてしまったんだ」というはらわたが煮え返るようなことがあります。たとえば地位協定の16条「日本国法令尊重義務」。この16条を解説した箇所で松竹さんは「法令尊重と法令適用は異なる!?」と副題を付けていますが、まさに法令順守の原則と例外が逆転している。「日本政府は現在、原則と例外を逆転させ、日本の法令に服さないのが原則であるという考え方を明確にしています」と書いていますね。
それについて外務省が説明する際の根拠としてハーグ陸戦条約(1899年)を持ち出しているというのを読んで「ええっ、本当?」と思ってしまいました。どうしてここでハーグ条約持ち出すのと。もう「敗戦国の官僚」というアイデンティティーがしみついちゃっているんじゃないかしら。
―同じ敗戦国にドイツがあるわけですけれどもドイツの官僚はアメリカあるいは米軍に対してどう対峙してきたんでしょう。
松竹 ドイツの場合はソ連から攻められたときには米軍に頼ると、そういう点では日本と同じだし、敗戦国でもあり対ソ連ということで同じことはあったけども、同時にドイツの場合はヨーロッパというかEUというか、そういう別の安全保障の選択肢もあった。「EUと協力し合えばなんとかなる」という側面が。でも日本の場合は共に協力し合える仲間がいなかった。
池田 ドイツもイタリアもEUに横滑りしちゃったからEUの他の戦勝国側と混ざっちゃって、いろんなことに関して一緒に声を上げるとか仲間になってNATOの問題に関してもアメリカと対峙するようなことができたけれども、日本の場合は孤立ですね。
―日本も対米従属外交一辺倒じゃなくて、周辺諸国、中国や韓国、東南アジア諸国などともっとうまく連携を取ってチーム化して、ドイツがEUと一緒になってうまくやっているみたいにやってきたほうがよかった?
池田 そういう構想は右のほうからも左のほうからも出ますけれど、日本の権力中枢からは出ないですよね。朝鮮戦争が休戦状態であるということが地位協定を必要とし、安保を必要としていて、彼らの権力の源泉になっているから。北朝鮮が国際社会にソフトランディングしたほうがいい、なんていう発想は彼らにないんじゃない?
松竹 戦後長く防衛官僚を勤め、最後は事務次官になった西広(にしひろ)整(せい)輝(き)さんという方がおられますけども、防衛官僚の配下たちにロシアと軍事同盟を結ぶことも頭に入れて考えてくれ、みたいなことを言っていました。そういうことを官僚には頭の訓練としてさせていたそうです。そういう発想が皆無だったわけではない。それをやりたいということではなかったけども「国として、いろんな選択肢があるんだ」ということは考えようという雰囲気はあった。
池田 外務省の中にもロシア・スクールとかチャイナ・スクールとか、10年ぐらい前はあったじゃないですか。今、あんまり聞かないんですけど。
松竹 もう〇〇スクールという言い方は全然なくなりましたよね。
池田 ないですよね。この10年ぐらいですか。鈴木宗男さんの事件でロシア・スクールが潰されて以来そういうのはない。かつてはいろんなスクールが拮抗しているという面が外務省の中にあったけれども、今はまったくない。20年ぐらい前かな、組織改編があって、北米局の天下になって、地位協定の運用もどんどん変なふうになっていった感じ。
それでも志のある外交官はまだいると思うし、権力に関係なく、すべきことをしていると思うんです。たとえば非核地帯ってありますよね。いくつかの国が「私たちは核兵器を持たないし、運び込むことも許さないので、核兵器保有国は私たちに核兵器を使用しないでください」という条約を結ぶんですよね。そうすると「非核地帯」ということに認定されるんです。いくつかの国が集まってというのがミソなんだけれども、たった一つ、モンゴル国は一国だけで非核地帯として認められているんです。当時日本から行っていた外交官がモンゴル政府に知恵を貸し、力を貸して、そこまで持っていったんです。
そういう外交官はいっぱいいます。自分の持ち場で素晴らしい仕事をしている人たちはいるけれども、個々に志があったり能力があったりする人がいても、組織の体質、体制がこういうことでは、一人一人の志だけじゃ……ということを松竹さんの本を読んで考え込んでしまいました。
この地位協定の問題について、日本の側の解釈がどんどん変なことになっていくという、これを多くの人が知ったら、というのが一つの希望なんだけれど。それを知るには、この逐条解説、全条項分析という画期的な本が普及すれば、ちょっとは変わってくるかなと思いました。
この本の最後のほうに日米合同委員会の組織図が出ています。なんでアメリカは軍人ばかりで、日本は官僚たちばかりで、議事録も出ないような会合でいろんな法律を変えることが決まったりしてるんだ、と思いました。松竹さんが、「まず相手方がズラッと軍人が並ぶというのはおかしい」とお書きになっているのを読んで、この辺りから変えていくべきかなと感じました。そこが本当に気持ちが悪いです。
―この本は最後の日米合同委員会のところから読み始めてもいいと。
池田 そうですね。
―― 了 ――
プロフィール
池田香代子(いけだ・かよこ)
1948年東京生まれ。ドイツ文学翻訳家。著書に『哲学のしずく』(河出書房新社)、『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)、『花ものがたり』(毎日新聞社)など。主な翻訳にゴルデル『ソフィーの世界』(NHK出版)、フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房)、『完訳クラシック グリム童話』(全5巻、講談社)などがある。『描たちの森』(早川書房)で第1回日独翻訳賞受賞(1998)。
松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)
1955年長崎県生まれ。 ジャーナリスト・編集者、日本平和学会会員、自衛隊を活かす会(代表・柳澤協二)事務局長。専門は外交・安全保障。一橋大学社会学部卒業。『改憲的護憲論』(集英社新書)、『9条が世界を変える』『「日本会議」史観の乗り越え方』(かもがわ出版)、『反戦の世界史』『「基地国家・日本」の形成と展開』(新日本出版社)、『憲法九条の軍事戦略』『集団的自衛権の深層』『対米従属の謎』(平凡社新書)など著作多数。