【短期連載】燃えるノートルダム 貴婦人の二つの顔 第3回

3. 人間の命と巨大な石

須藤輝彦
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深刻な若者の就職難

 パリという街に暮らしていると、エリートと庶民、持つ者と持たざる者の間に刻まれた深い亀裂が日常的に目に入る。中心地にあるメトロの駅の大半で物乞いするホームレスにいちいち心を痛めていては、この街での生活はおぼつかない。彼らのなかでもとくに目立つのは若い路上生活者だが、ときには黒いヴェールで肌を隠した20代そこそこの女性がベビーカーの隣で小銭をせがんでいる姿に出くわすこともある。「おフランス」(もはやほとんど死語だろうが)という言葉が持つイメージからはかけ離れた光景だ。

 若者の就職難はとりわけ深刻である。若年失業率は22%を数え、さらに悪いことに、平均失業期間は1年をゆうに超える。わたしの数少ないフランス人の友人を見ても、有名大の大学院を修了していながら、20代前半で定職に就いていないことがほとんどで、失業状態にあったり、国外で求職活動をしたりしている。初期ジレ・ジョーヌの中心となったのも、20代から30代半ばの若年労働者だったという。

 ひるがえって日本では、このような問題がフランスほど露骨に突きつけられることはない。しかしもちろん、ほとんどの先進国以上に少子高齢化と人口減少に悩まされる日本にとって、フランスが参考にすべき「先行者」であることに違いはない。わたしが日本で直接知るのは狭い研究業界だけだが、それでも周りの人間のことを思うと、この問題が「対岸の火事」で済まされるものではないことは、日々強い確信とともに感じられる。

 

3割を下回っていた支持率

 「我らが貴婦人」に話を戻そう。

 大聖堂を襲ったこの度の国家的悲劇をきっかけに、フランス人全体が団結することを願う声は早くから聞かれた。マクロン大統領の緊急スピーチが分かりやすい例だ。しかし皮肉なことに、この緊急事態にこれ以上ないほど迅速に対応し、「5年以内に再建」と豪語した彼の支持率も、火災の前後(3月・4月)で大きな差はなく、依然として3割を下回っていた(5月の支持率は32%まで上昇)。

 「人間の命と巨大な石のどちらが大事なのか」──富裕層とのあいだに横たわる埋め難い格差のなかで、貧しさに喘ぐ者たちから発せられたこの問いの持つ意味は重い。文化研究に携わるわたしのような人間にとってはとりわけそうだ。苦しい生活によって先鋭化した彼らの眼差しは、ノートルダムという世界屈指の歴史的建造物から、それを包みこむ美と文化的象徴性を剥ぎとり、単なる石の塊に変えてしまった。

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 第2回
【短期連載】燃えるノートルダム 貴婦人の二つの顔

フランスの、ヨーロッパの歴史を象徴するノートルダム大聖堂を襲った火災。またたく間に世界中へ伝わった痛ましい悲劇の報せが、思わぬ波紋を呼んでいる。「エリート」と「庶民」、そこには、パリのみならず世界が抱える深い断絶が浮かび上がっていた……。パリに学ぶ若き中欧文学研究者が捉えた「ノートルダムが燃えた日」とは。

プロフィール

須藤輝彦

1988年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。ミラン・クンデラを中心に、チェコと中東欧の文学を研究中。論文「亡命期のクンデラと世界文学」(『れにくさ』第8号、2018年)、「偶然性と運命」(『スラブ学論集』第20号、2017年)、エッセー風短篇「中二階の風景」(『シンフォニカ』第2号、2016年)、留学記「中空プラハ」(http://midair-prague.blogspot.com)など。

 
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3. 人間の命と巨大な石

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