一週間 ――原発避難の記録 第9回

堀川文夫さん(福島県浪江町権現堂)

三月一四日以降

 着の身着のままで逃げてきていたので、埼玉のお店で下着などを買うために外出したとき、幼稚園バスが当たり前に走っていて、「お預かりします」「いってらっしゃい」という光景に、「なんていうことだろう……」と言葉がありませんでした。原発が爆発しているのに、何をやっているんだろう、子どもたちは大丈夫なのだろうか、と思いながら横目で見ていました。「ただちに影響はない」という言葉は忘れられませんね。
 埼玉だとガソリンがあまりない程度で、ごくごく普通の生活だったんです。そのギャップに、ここでもまた、「ああそうか」と思いました。対岸の火事、ですね。こっちは、原発がダメになっているのに……と。でも、私自身も、阪神・淡路大震災の時はそうだったんです。
 妻の腰の病院にも行きました。圧迫骨折をしていて、2ヶ月コルセット治療になりました。
 その頃、さいたまスーパーアリーナに避難者が来ているという話を聞いたので、自転車で15分かけて、知っている人がいないかを見に行っていました。私の生徒がいたんですが、お父さんは精根尽き果てたようにぼーっとしていて……どうしたものかと思いつつ、毎日のように通いました。
 スーパーアリーナ以外にも、近くの公民館に「浪江町の人がいるよ」と聞いて、駆けつけてみたら、近所のおばあちゃんだった、ということもありました。

 1週間もすると、「あなたたちはいつ帰るの?」という話にもなりました。あまり長く世話にもなれないな、と思い、どこかへ行かなくてはと思うようになりました。
 知り合いから、震災ホームステイというマッチングサイトを教えてもらい、動物が飼える、しかも一番長く借りられる避難先を、探しました。
 そこで、静岡県富士市の一軒家が、翌年3月まで貸してくれると。そこが一番長かったんです。電話をしたら、2週間時間ください、と。その間に、家電から何から、全部揃えてくださっていたんです。「何も持たずに、無償でどうぞ」と言ってくださって。

 現在は、その近くに家を求め、塾も再開しています。富士市の学校の運営協議会の理事も務めるようになりました。そして、「モモちゃん」を主人公にした絵本を作りました。
 震災・原発事故のことを言葉にしようとすると、キツくなり、恨みつらみがつい出てしまうんです。でも、飼い犬のモモちゃんを主人公にすることで、言葉が柔らかくなるんですね。そのほうが、多くの人に感じてもらえるだろうと。妻が原稿を書き、私が絵を担当することになったのですが、1枚の絵を描くのに3日もかかってしまい、困り果てました。そうだ、卒業生の中に絵心がある子がいるはずだと思い、SNSで呼びかけました。息子や孫にも手伝ってもらって、19人で作り上げたものです。塾の卒業生には全員に送りました。
 復興については、新しいものを作るのではなく、「町残し」の方向に進まない限りは、町がなくなってしまうのではないかと危惧しています。復興は、町民の声が何より大事で、金より大事ですよね、と本当は言いたい。金の切れ目が縁の切れ目……にならないようにしてほしいと思います。
 何百年の歴史、人の文化、伝統がなくなってしまうのは悲しいです。

 

(第9回 了)

 

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 第8回
一週間 ――原発避難の記録

2011年3月11日からの一週間、かれらは一体なにを経験したのか? 大熊町、富岡町、浪江町、双葉町の住民の視点から、福島第一原子力発電所のシビアアクシデントの際、本当に起きていたことを検証する。これは、被災者自身による「事故調」である!

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堀川文夫さん(福島県浪江町権現堂)