2000年生まれの若き起業家は、ITスタートアップでの成功を志して渡米したのち、紆余曲折を経て「日本の伝統工芸を世界に橋渡しする」道へ進んだ。現代の職人たちとの交流、経営者としての葛藤、そして縁あってのインド仏教僧としての出家(会社経営は継続)。独自の体験と学びを紹介してきた連載の最終回は、筆者が挑む「工芸をめぐる状況のアップデート」と、その向こうに見える現代社会の課題が綴られる。
「自然のリズム」と「経済のリズム」のはざまで
前回お伝えしたように、インド仏教僧としての出家は僕自身、思いもよらぬ出来事だった。でも振り返ると、そこで師の佐々井秀嶺上人に「お前はそれ(会社)を何のためにやっているのだ」と問われ、自分と会社に改めて向き合えたように思う。それまでは、売上が伸びて社員も増やし、様々な人たちからの期待値も高まるなか、常に「もっと、もっと」という焦りを抱えていた。自然のリズムと共に生きる工芸の世界に片足を突っ込みながら、片足は経営者として資本主義経済のリズムで生きなければいけない。そこで引き裂かれそうになり苦しんでいたのだと思う。心の声に正直になれば、僕も職人さんたちと同じ自然のサイクルと共に歩むような生き方がしたい。一方で、自分たちがビジネスをどんどん拡張しなければ職人さんに恩返しができない。どう折り合いがつけられるのか悩んでしまった。
しかし今は、自分のなかの線引きができたことで、目指す方向がはっきりした。現代の資本主義社会に飲み込まれず、かつそこから逃避するのでもないやり方で、僕たちにしかできない伝統工芸への貢献の仕方があると思う。それは僕たちが起業したKASASAGIが「人のための会社」となり、「ものづくりのための経済」を目指すことだ。逆に言えばいま、従業員や顧客を「会社のための人」とみなし、「経済のためのものづくり」を行う考えが過剰になった結果、様々な歪みが生じている。
思えば、起業当初に立ち上げた「伝統工芸品の海外向けECサイト」が突き当たった壁も、この問題と関わっている。全国行脚して職人さんたちに取扱依頼をさせていただき、創業2年目には国内最多取扱品目数を誇るECサイトをグランドオープンした。しかし、このサイトはほぼ鳴かず飛ばずだったのだ。「自分たちの若い感性で選んだオシャレな工芸品を通販で売ればイケる!」と思い、海外向けの翻訳テキストも微細なニュアンスまで気配りして臨んだ僕たちには、大きな痛手だった。分析すれば理由はいくつか挙げられるが、大きかったのは、職人さんとお客さんの架け橋になるべき僕たちの「売り方」が、双方の実情にマッチしていなかったことだろう。
資金力のなかった僕たちが日本一の取扱品目数を実現できた理由は、ほぼ全商品が委託販売方式のドロップシップ(職人さんからお客様への直送方式)だったからである。工芸業界の取引条件には大きく分けて「買取」「委託」 の2つがある。買取販売では卸業者や小売店がリスクを負ってメーカー(工房や職人さん)から購入し、在庫を抱えて売っていく。委託販売では、メーカーから商品を預かって販売するため、在庫リスクはメーカー負担、売れなければ戻ってくる。僕たちが採った委託形式でのネット通販では、職人さん側に在庫があれば即納品だが、販売数も読めない状況で常に即納できる工房は少なかった。結果、お客さんを注文から2、3か月待たせてしまうことも多くなる。リードタイム(所要期間)が長い一方、タイミングが重要な贈答品などの需要も多い工芸品で、無在庫通販は難しかったのだ。
そして、これは工芸産業全体の課題ともつながる。かつては産地問屋が企画・製造リスクを負担し、百貨店が買取で在庫リスクを負担することも多かったという。しかし時代の変化のなか、問屋も百貨店もそうしたリスクをとれなくなってきた。そこで自らネットショップを立ち上げる職人さんも増えたが、多くは本業ではない不得意な仕事に苦心している。他方、百貨店では職人さんたちに「売れ筋のもの」を短期間で多数納品することを求めるなど、仕入れ条件は厳しさを増している。生き残るためそれに応じるばかりでは、職人さん本来のこだわりや情熱、モノづくりの悦びは失われてしまうだろう。こう言っては失礼だが、食べていくために「ゾンビ職人」のような仕事があふれてしまう。そして、本物の工芸に親しむ人が育まれないという負のスパイラルが進む。なかには「地方創生」などを掲げながら、実態はこうした悪循環に加担するような動きまで見られるのは、本当に残念でならない。
広く社会を見渡せば、経済至上主義が加速するなかで、同じような問題は多くの領域で起きていると思う。僕たちはそんな時代において、工芸の価値を新しい取り組みで届けることで、この状況を変えていきたい。
工芸を見る目が、日常や社会を見る目を変える
「今の自分の暮らしには、こんなに美しい(あるいは高価な)工芸品は似合わない」というお話を聞くこともたくさんある。でも、僕は生活の全てをこだわりのモノで埋め尽くしてほしいとは思わない。むしろ、上の世代の方々が追求した経済成長のおかげで物質的には便利な世の中だからこそ、自分のものさしで美しいと思えるモノをひとつでも持つことで、「心の豊かさ」と向き合ってくれたら嬉しいと思う。
『地球家族』(TOTO出版、1994年)という本がある。写真ジャーナリストのピーター・メンツェルが、世界30か国の「中流」と呼ばれる家庭を訪ね、彼らの自宅前に家財道具一式を並べて撮影したものだ。これを見ると、日本の家族は圧倒的にモノが多い印象がある。かつて経済成長が無限に続くように思われた時代は、モノをたくさん持つことこそが豊かさの象徴とされたのだろう。だが、すでに便利な暮らしが手軽に手に入り、そのうえで不必要なモノをトレンドと共に売ることが経済成長につながっている現代では、そこからひとつ高みに踏み出すことが大切ではないだろうか。すなわち、ただ便利なだけのモノから、真に持つに値するモノ(だけ)を持ち、その簡潔さから生まれる余白を背景にモノの美しいさを愛でながら、心に平穏をもたらしてくれるモノと暮らすことである。
お気に入りのモノや、歳月と共に味わい深さが増すモノを暮らしに取り入れて愛でることは、その人の心に豊かさを与えてくれる。もっと気軽に言うなら、お気に入りの器がひとつあるだけで料理が楽しくなったり、お気に入りの小物を持って出かけると気分が上がったりすることは誰にでもあるだろう。美しいモノを持つことは、日々の暮らしに、穏やかな気持ちになれる瞬間を得られることにつながるはずだ。そして、それによって少し救われる人がいても良いと思っている。
また、良いモノは思いやりの心を育んでくれる。昨今は「壊れないこと」に重きを置いたモノも増えているが、職人さんの手しごとから生まれた工芸品は、下手に扱えば壊れてしまう繊細なものも多い。でも、それは決して悪いことではないとも思うのだ。人は誰でも、お気に入りのモノは大事に扱う。それが他人の大切なものでも同様だろう。そうした気持ちから、モノや人に対しても思いやりが生まれるのだと思う。どんなに落としても、何年使い続けても変化しないモノは頼もしいが、そうではないからこその価値もまたある。
さらに、良いモノは、もし壊れてしまっても治せば使えることが多い。割れたり欠けたりした陶磁器を漆でつなぎ、そこに金の修飾を施す「金継ぎ」は安土桃山時代の茶人が始めたという。モノを大切に思いやり、傷をも共に歩んだ軌跡とし、新たな調和としてその器のもつ歴史へと転化する考え方は、「経年美化」のひとつと言えるだろう。日本人の国民性や文化の一部も、そうしたモノを大切にする心から育まれてきたのではないだろうか。美しいモノを通して優しい人が増え、暖かい世の中につながるなら良いなと願っている。
そして、モノへのこだわりから暮らしにある種の「余白」が生まれると、その余白は新しい発見や、優しさをもたらしてくれる。心にほんの少しの平穏を運んでくれるとも言えるだろう。仕事に忙殺されるような時期でも、人に優しくなれたり、これまで気づかなかった美しさに気づく余裕を持てたり——つまり自分を見失わずにいられるのは、そうした目に見えない「余白」の存在も大きいと思うのだ。
「世界で一番美しい会社」、ブルネロ・クチネリから学べること
以前、留学先のアメリカ西海岸でIT起業とは別に刺激をもらったのは、欧州の文化をマネタイズしながら世界にインパクトを与えているLVMHグループの存在だった。そこから、日本文化にもそうした可能性をみて伝統工芸の世界に足を踏み入れたのは連載の第1回でもお伝えした通りだ。そこからの試行錯誤を経て、いま自分たちが目標にしたいと思える存在に、イタリアのウンブリア州にある小村を拠点にする高級カシミアブランド、ブルネロ・クチネリがある。僕らもつい最近、現地を訪問させてもらった。
1978年創業のこのブランドで注目すべきは、カラフルなカシミアニットを軸にした職人仕事の魅力に加え、「働く者の尊厳」を大切にする価値観だ。創業者のブルネロ・クチネリは、職人たちと質の高いものづくりを追求しただけでなく、現在の拠点、ソロメオ村の丘陵にあった古城を修復して社屋に活用し、地域の人々を多く雇用。さらに劇場や図書館、職人工芸学校まで開設するなど、人と地域を大切にする経営を続けている。「世界で一番美しい会社」とも称されるのは、単にその景観だけでなく、そうした人間主義的経営が高く評価されてのことだろう。
彼の起業ストーリーを読むと、まだ若いころに熟練の職人たちを訪ねて回り、ときには半ば呆れられながら、やがてその情熱で協働の道を切り拓いていったことがわかる。国も文化も、そして扱うものづくりのジャンルも僕たちとは違うけれど、勝手に強いシンパシーと尊敬の念を抱いている。クチネリさんのような域に達するにはまだ先は長いと思うが、人と自然、経済と自然のリズム、あらゆるバランスを大切にすることを決して忘れないためにも、彼らの存在は今の僕たちにとって大切な道標になっている。
プロフィール
(つかはら りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに、日本の美意識で世界を魅了することを掲げ、「KASASAGI」を創業。伝統工芸品のオンラインショッ「KASASAGIDO」や、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。いろいろあってインド仏教最高指導者、佐々井秀嶺上人の許しを得て出家し、インド仏教僧に。