バイブス人類学 第1回

バイブスと人類学

長井優希乃

疑問からマラウイへ

 

大学院修了後には、JICAの青年海外協力隊という制度を使い、マラウイ共和国という南部アフリカに位置する国で暮らし始めた。そこでは、芸術教育のアドバイザーとして、小学校教員の表現・芸術科目のサポートやワークショップをしたり、イベントを企画しながら「国際協力」の文脈で活動をしている。

私はもともと開発・国際協力のフィールドで当たり前のように使われる「先進国」 「途上国」の二分法的枠組みに疑念を抱いていた。この枠組みは、もはや単に経済発展の度合いを測るものではない。自国を先進的な優れたものとみなし、そうでない後進的なものを助けてあげるという傲慢な植民地主義的態度に繋がっているように思えたのである。同時に「かわいそう」な国に手を差し伸べるという意識の暴力性についても常に考えていた。多くの日本人が、自分たちは国際社会において当たり前に「先進的」であるという思い込みを抱えていないだろうか。それならば、実際の草の根的な国際協力の現場はどうなっているのか自分の目で確かめてみたいと思ったのだ。そのような問題意識と興味から、草の根の国際協力活動である青年海外協力隊に参加した。そうして派遣された先が、マラウイだったのだ。

 ここでも、マラウイの人々から学ぶ日々が続いた。ともに働き、食べ、遊び、踊る。研究におけるフィールドワークとはまた違う関わり方だが、マラウイという地に私がいること、その意味を考えながら人々とともに生活をしている。

ただ、現在は新型コロナウイルスの影響で日本に帰国しているため、マラウイにいる仲間とオンライン上でやりとりをし、様々なアイデアを練りながら、もうすぐ終わる協力隊の任期終了後の計画を立てている。

 

(2018年11月27日撮影 小学二年生の芸術の授業)

(2019年6月26日撮影 近くの村の子どもたち)

(2019年9月16日撮影 子どもたちと裏山に登り村を一望する)

 

私が地球の色んな場所で生きるうえで大切にしていること。それは人々と共に暮らし、一緒に食べて、聴いて、彼らの視点から世界をまなざそうとすることだ。彼らと共に生きるなかで得る葛藤やパーソナルな体験から想像し、視点を移動させながら自分の「当たり前」を疑う。「他者」との違いやわからなさにワクワクし、一つ一つ言葉や行動を真剣に受け止める。お互い完璧にはわからなくても、一緒に生きて、考える。それがわたしにとっての人類学的バイブスだ。

 

「生命大好きニスト」

 

旅と大学院での研究、ヘナ・アート、マラウイでの活動。一見バラバラなこれらの活動の根幹にあるのは自分が「生命大好きニスト」だという意識だ。

マラウイから日本に帰国したあと、「あなたは一体どういう人? なにをしているの?」と訊かれることが増えた。私は人類学者ではない。あくまでも、文化人類学を学んできた元学生で、人類学的バイブスを大事にしながら生きているひとりの人間だ。かといって、ただヘナ・アーティストや芸術教育アドバイザーとも名乗るのも違う。とくに日本においては「なにをしているの?≒なにでお金を稼いで生きているの?」という意味を含んでいるような気がして、いちいち説明するのも大変だと感じていた。そうしたときに、自分の肩書き、つまり私自身を一言でうまく表す言葉を考えた。その結果思いついたのが、「生命大好きニスト」という肩書きだ。

私は生命に関心がある。人間も動物も、その辺に飛んでいる虫も、芽吹く草花も、全部おもしろくて、愛しい。人間の愚かさに心を痛めるときもあるが、それも大きな興味の上に成り立つ感情だ。生命を感じるとき、私は幸せだ。ワクワクして、世界がかがやくように見えて、もっと知りたいと思う。研究をするのも、ヘナ・アートをするのも、マラウイで人と関わるのも、根本はすべて生命を愛していることから始まっているのかもしれない。だから私は「生命大好きニスト」と名乗ることにした。

 

生きづらさとラベリングを解体するためには

 

そうして「生命大好きニスト」として毎日を生きているのだが、日本のなかで感じる「生きづらさ」について考えることが多くなった。インターネット上で当たり前に可視化される分断。友人同士の会話に無意識に表れる差別意識。どうして人と人との間に分断や差別が生まれ、生きづらさを感じるのだろう。

私たちは自分とは違う文化や考え方を持ついろんな「他者」とともに一つの世界に生きている。しかし、それは意識しないと見えてこないことだ。もし自分と何かが違う「他者」の存在に気付いたとき、多くの人が気づかないふりをする。あるいは自分たちにとってわかりやすいラベルを貼り、「自分とは別のものである」と区別しようとする。なぜなら、わからないことは怖いと無意識のうちに思っているからだ。

自分には簡単にわからない「他者」の存在が、自分の世界の普通と安定を揺るがす脅威となってしまう。だから「他者」に「わかりやすい」ラベルを貼り、小さな枠組みに押し込め、安心しようとしている。そうしたラベリングを繰り返していくうちに、枠組みがどんどん積み上げられていき、身動きが取れなくなっていく。そして人々は分断され、孤独感とともに生きづらさが加速してゆく。

ラベリングと枠組みを解体し、「自分は生きていていいんだ。認められているんだ」とすべての人が感じられる「ともに生きる社会」をつくるにはどうしたらいいのだろうか?

 

バイブス人類学

 

私たちの生きる世界は、色んな「他者」が混在しながら生きて、一つの世界を成している。私も誰かにとっての「他者」だ。「他者」と一緒に生きていくことは誰にとっても大変なことであるし、ときには疲れる。だからこそ、この地球で多様な人間同士が出会うことにワクワクする。簡単にはわからない「他者」の隣で、どうにかわかり合おうと努力し、ともに生き続けることで、なにかのタイミングでバイブスが合うときがある。それを繰り返すことで、新たなバイブスをともに生み出していくことができる。

この連載のタイトルは「バイブス人類学」だ。「生命大好きニスト」の私が、地球の色んな場所で人々と生きてきた体験を書くことで、「ともに生きる」ということについてあらためて考えていく過程だ。たった一人ではバイブスは生まれない。人間と人間のあいだで響き合い、媒介し、呼応するバイブスから生まれる振動が、積み上げられたラベルと枠組みを解体するきっかけになるかもしれない。

 

(次回へ続く)

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第2回  
バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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