バイブス人類学 第2回

あるメヘンディ描きとの出会い

長井優希乃

 文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。

 連載第2回目は、彼女が大学院修士1年生だった2015年の出来事。「絶対に調査地にしたくない」と思っていたインドを訪れた。そこで出会った人々と、見つけたバイブスとは。

 

ハヌマーン寺院のメヘンディ描き

 

「お会計は500ルピーだよ」

「嘘つき!さっき150ルピーって言ったじゃないの!」

 

 ハヌマーン寺院の広場は、活気にあふれている。チャイ屋とその周りでお喋りする人々、物乞いをする人々、占星術をやる占い師、食べ物を奪いにくる親子ザルたち、空いた石段でフォトブックのようなものを見ながら娘の結婚相手を選ぶ親たち・・・・・・

 奥にはインドの腕輪チュリのお店が迷路のように並んでいて、その輝きに脳みそがもって行かれそうになる。そんな広場のなかでも、いちばん活気があるのはメヘンディ描きたちだ。ちなみに、冒頭の会話は、私が遭遇したメヘンディ描きと客のやりとりだ。たくさんのメヘンディ描きたちが、パラソルのしたで今日も客に声をかけ、手を取り、たまに客からぼったくり、今日も力強く生きている。

 

マジか、インドか・・・・・・

 

 2015年、私は大学院修士の1年目だった。文化人類学の研究室に入ると、研究テーマとフィールドワークのための調査地を決めなくてはならなかった。色々と悩んだが、「メヘンディ」と「メヘンディ描き」をテーマに研究を行うことに決めた。もともと大学時代にヘナ・アートをしながら様々な国を旅していたこともあり、へナ文化やヘナ・アートを生業とする人々の実践をもっと知りたいと思ったからだ。

 「メヘンディ」はヒンディー語でヘナ・アート、皮膚を染める身体装飾を指す言葉である。温暖な乾燥地に分布するミソハギ科の低木であるヘナという植物の葉を粉砕し、様々なものと練りあわせて作ったペーストを肌の上に模様を描きながら絞り出し、その染色作用によって肌を染め、一週間ほど模様を肌に残す。

 ヘナを使用した身体装飾は、南アジアから西アジア、アフリカにかけて見られる。ヘナは乾燥した暖かい場所で育つため、これらの地域においては伝統的にヘナの使用が見られ、その模様は地域によって違う。また、装飾目的だけでなく痛み止めとしての医療目的や、お守りや邪視避け、魔除けとしても使用されている。

 

(2015年11月17日撮影 インド、ラージャスターン州のソジャトにて。ヘナの木と、ヘナを育てる農民の女性。刈り取って見せてくれた)

(2015年10月29日撮影 ハヌマーン寺院の広場でメヘンディを施術したお客さん。新婚なので細かく豪華な模様を、とのことだった)

 

 そんなメヘンディの調査地選びは葛藤とともにわれた。一番に行きたいと思ったのは、ネパールであった。私が様々な文化に興味を持ち始めたきっかけがネパール舞踊に出会ったことであり、なによりバックパッカーをしていたときに訪れたネパールの空気感が好きだったからだ。出会った人々はみなやさしく、ごちゃごちゃした街でもどことなく不思議な穏やかさが漂っている。最初にメヘンディのやり方を習ったのも、ネパールだ。ただ、メヘンディの聖地といえばインド。ネパールで私にメヘンディを教えてくれた人もインド人で、ネパールには出稼ぎで来ているということだったし、メヘンディを研究するには、本場のインドに行くほうがいいのだろう。でも、私はインドではフィールドワークはしたくなかった。バックパッカー時代にインドを訪れたときに、ありえないほどお腹を壊し、南京虫に刺され、犯罪に遭いかけ・・・・・・楽しいことももちろんあったけれど、とにかくその旅は過酷だったのだ。だから大学院に入学すると決まったときから、インドだけは絶対に調査地にすまい、と心に決めていたのだった。

 そういうわけで、ネパールを調査地として、インドからネパールに出稼ぎに来ているメヘンディ描きについて調査することに決めた。まずは彼らがどのようにネパールにやって来て、路上でメヘンディを施すようになり生計を立てているのかということを調査しようと計画した。

 しかし研究計画を立てている途中の2015年4月15日、ネパールで大地震が起きた。ゴルカ地震と呼ばれるこの地震は、ネパールの多くの地域に壊滅的な被害をもたらした。その直後にネパールにいた私のネパール舞踊の恩師に連絡をすると、「今は来ない方がいい。来ても動けないし、震災ボランティアも、相当現地のことを知り尽くしている人じゃないとできない。そのくらい、街がダメージを受けている。メヘンディ描きたちも、生き残っている人たちは皆インドに帰ってしまったよ」とネパールの惨状を知った。

 いまネパールに行ってもなにもできないばかりか現地の人たちの負担になってしまう。そう思った私はネパールでの調査を諦めた。

 そうなると、メヘンディのことを調査するには、隣国であり、まさにメヘンディの本場のインドしかない。マジか、インドか・・・・・・インドはいやだと思っていたら、逆にインドがやってきてしまった。これが、巷でいう「引き寄せの法則」なのだろうか。

 インドの方からやってきてしまったなら、もうしょうがない。とりあえず、頑張ってみよう。そう決めた大学院1年目の初夏であった。

 

クリスタルの目と濁った目

 

 2015年10月24日、午前2時。喉もカラカラ、足もパンパンでニューデリーの空港にやっと着いた。中国国際航空の一番安い便を取ったため、到着が深夜になったのである。15時間の旅で疲れているはずなのになぜか頭は冴えていて、妙なスイッチが入っている。ゲストハウスに頼んでおいた迎えの車がちゃんと来ているか不安だったが、きちんと待っていてくれた。とりあえず安心したところで、初日の宿に向かうべく車に乗った。

 深夜のニューデリーはなんだか不気味である。たまに歩いている男の目がギラリとこっちを見ている気がして、なかなかちゃんと外を見られない。散乱する路上のゴミが、昼間の賑やかさを示しているようで少し寂しい。

 私が予約していたのは、バックパッカーが集まることで有名なパハールガンジ・メインバザールの安いゲストハウスだった。

 着いたのは午前4時。ゲストハウスの明かりがついていない。人の気配がしない。入れなかったらどうしようと少し不安になると、心配したドライバーが少し開いた入り口から一緒になかに入ってくれた。そうすると、廊下の隅に寝ていたレセプション係の男が飛び起きて、「ああ、やっと着いたのか、ごめん、寝ていたよ。今日はとりあえず寝てくれ、細かいことはまた明日」と部屋に案内してくれた。ドライバーにお礼を言い、部屋の鍵がちゃんとかかることを確認し、とりあえず眠りについた。

 

 日が昇って、朝の10時。ゲストハウスのベッドの上で目が覚めた私は、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。目に入った見慣れない天井に少しドキッとしたが、少し経つと冷静になり「ああ、私はインドに来たんだ」と伸びをした。疲れは取れていて、しゃっきり起きることができた。インドに来てしまった。これから、自分の力で一から調査を始めるのか。なんだか壮大なものを前にしているようで、ワクワクと不安が入り混じった変な感覚だった。

 今回の計画は、デリーに少し滞在したあとにラージャスターン州に行くというものだった。私は都会のカオスにまみれるよりも、田舎でゆっくり調査をしたいと思っていた。そのため、細かい日程は決めていなかったが、デリーには数日だけ滞在し、すぐにへナの一大生産地であるラージャスターン州ジョードプル周辺の村に行き、ゆっくり調査を始めようと思っていた。しかし、すでにインドを調査地にしている大学院の先輩に「ニューデリーのコンノート・プレイスの近くににメヘンディ描きが集まる広場があるそう。あとジャンパット通りにラージャスターンの人がヘナを売りに来ているらしい」と教えてもらったため、デリーにいる間は教えてもらった場所に行ってみようと思っていた。

 とりあえず起きて歯磨きをし、以前作っていたインドの服、パンジャービドレスを着て、少しだけ化粧をして、廊下に出た。すると、昨日廊下の隅で寝ていたレセプション係の男がいた。名前をヴィッキーと言うらしい。軽く自己紹介をして、しばらくおしゃべりをした。メヘンディに関して調査をしたいこと、そしてしばらくしたらラージャスターンに行こうと思っていると伝えると「ソジャトという村にヘナパウダーの工場がたくさんあるらしいよ。俺が通訳も全部してあげるから一緒にラージャスターンに行こう。一人だと危ないから」と言った。でも、その前に「俺は日本人の彼女がいる」とか、「俺はその子の『初めて」を奪ったんだ。その時は嫌がって泣いていたけど結局俺のことが好きだって言っている」などと言っていたので、その申し出もなんだか怪しく聞こえた。心なしか、目も濁っている気がする。

 かつてバックパッカーをしていたときに、初めて会う相手でも信頼できるかを判断するための感覚を得た。それは、「目がクリスタルかどうか」である。

 話しかけてくる人や接する人の目を見て、透き通っていてクリスタルみたいに見えたら心に悪い企みのない人の可能性が高い。逆に、目が濁って見えたらどんなにいい人に見えても、もしかしたら心の底に何か企みを抱えているかもしれない。そんな感覚である。これは自分自身の感覚でしかないため、誰にでもわかるものではないかもしれない。ただ、自分のなかの安全装置として、目が透き通っているかいないかを見るようになった。もちろん目がクリスタルじゃないから悪いやつとは限らないが、いろんな国をめぐるなかで実感として得たものだ。

 とりあえず、「色々教えてくれてありがとう、でも一緒に行くかはまだわからないけれど」と言い、外にご飯を食べに行ってくると階段を降りた。

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文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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あるメヘンディ描きとの出会い