バイブス人類学 第1回

バイブスと人類学

長井優希乃

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト(後述)、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

初回は「バイブス人類学」というタイトルがいかにして生まれたかを、彼女のライフヒストリーとともに紐解きます。

 

媒介するバイブス

 

「いいバイブスだね!」

そんな言葉を自分の周りでよく耳にするし、自分でも口にする。「バイブス(vibes)」とは‘Vibration’の略語、いわゆる英語のスラングだ。本来の「振動」という意味から転じて、「空気感や感覚、ノリ」を表す。

 

人と一緒にいてハッピーなとき、「うちらのバイブスいいね」。

なんだか歯車が合わないとき、「バイブス違うんじゃないの」。

いい音楽を聴いているとき、「このバイブス好きだなぁ」。

こんなふうに日常の端々に出てくるこの言葉が、私はなんだか好きだ。

 

この表現を使うのは、その場に流れる空気感を確かめ合うとき、あるいはお互いが言語化できない感覚を共有しているときだ。だから、一人でいるときはあまりこの言葉を使うことはない。もしかしたら孤独のなか生まれるバイブスもあるのかもしれないが、私にとってのバイブスは「他者」(や他の何か)との共感、共鳴があって初めて生まれるのである。

 

人類学的バイブス

 

私はこれまで人類学、とくに文化人類学を学んできた。文化人類学とは、文化という概念をベースに自分と違う文化のなかで生きる「他者(と思われる人々)」と生活しながら、人々と社会について考察し、人間にとって普遍的なものを考える学問だ。人類学では、様々な地域に行き、人々とともに暮らしながら調査をする。研究に欠かせないこの活動をフィールドワークという。

フィールドワークでは現地の人々と暮らすなかで、自分にとって理解できない行動や、触れたことのないもの・ことに出会う。そんなとき、私の世界はワクワクに満ち溢れ、かがやき、小躍りする。もちろん辛いこともあるが、自分の知らない世界に出会って没入することは、おもしろさの宝庫にダイブしているような感覚だ。「わからなさ」に身を投じ、自身の当たり前を問い直す。そしてあらゆる体験や出来事や心のモヤモヤを紐解いて、その背景にある社会や構造を見つめていく。文化人類学のフィールドワークでは、つねに相手の視点に立つ想像力を持ち、自身の当たり前や既存の枠組みを問い直し続けることが必要なのである。

想像力をもって、自分の当たり前が揺るがされながら、人々と「ともに」生きている感覚――私はそんな人類学的な感覚、言ってしまえば「人類学的バイブス」を大切にしている。そのことを意識しはじめたきっかけは、中学時代にさかのぼる。

 

ヘナ・アートとの遭遇

 

小学校のころ、毎年秋になると体育で民舞を習っていた。アイヌの踊りや七頭舞、エイサー。心躍るリズムに魅了され、私は夢中になって踊っていた。中学生になると上級生が選択授業で習ったネパール舞踊を踊っている姿を観て、可愛い衣装と独特のリズムに心を奪われる。私は舞台を観ながら「私も来年は絶対にネパール舞踊を選択して、あの衣装を着て踊るぞ」と固く決意した。結局、翌年に念願叶って私が踊ったのは口ひげをつけたネパールのおじさん役だったのだが、私は憧れのネパール舞踊を踊れたことに大満足だった。

そこからネパールだけでなく様々な国の生活や文化に興味を持つようになるのだが、そうした興味関心が「文化人類学」という学問に繋がっていることを知る。そのとき私のやりたいことはこれだ!と確信し、大学は文化人類学を学べる学科を選んで入学した。やがてたくさんの授業を受けるうちに、私は自分の身体で様々な国の文化に飛び込んでみたいと思った。そして大学四年生になったときに休学をし、1年間旅に出たのである。

最初の国、ネパールを訪れたときのことだ。とりあえず散策しようと街に出ると、路上に座って客引きをするたくさんのヘナ・アーティストたちがいた。ヘナ・アートとはヘナという植物を使用し、一時的に肌を様々な模様に染める身体装飾である。ちなみに日本では「ヘナ・タトゥー」という言葉でも知られているが、現地語ではメヘンディ(ヒンディー語:मेहंदी mehndi, mehandi)という。

 

(2012年3月5日撮影 ネパールで初めて施術してもらったヘナ・アート。写真は手の甲側だが、手のひらも模様で埋め尽くされている)

 

路上に座るヘナ・アーティストの多くは、インドから出稼ぎにやってきた人々であった。人通りの多い路上でたくましく声をかけてくる彼らに圧倒されながらも、私も手を差し出し施術してもらう。最初こそ手のひらを模様で埋め尽くすやり方に驚き「模様が多すぎて変だ」と思ったのだが、だんだん慣れてくるとそれがとても美しいものに思えた。気がつくとヘナ・アートに魅了されてしまった私は、最初にヘナ・アートを路上で施術してくれたムニという女性にお願いし、施術の方法を習い始めた。

それからは現地でできた友達や路上で道ゆく人々にヘナを描き、少しのお金を稼いで生活費の足しにしながら旅を続けた。インドやトルコ、タンザニア、ルワンダ……気がついたら、約20カ国を放浪していた。現地の友人から現地語を学び、ともにご飯を食べ、歩き、語らった。私は日本に帰ってきてからも毎日のようにヘナを描き、ヘナ・アーティストとして活動するようになったのである。

 文化人類学を研究するために大学院に進学すると、ヘナ・アートをテーマにした。私のライフワークとなったヘナ・アートのことを人類学的に研究したいと思ったからだ。調査のためにインドへ渡航し、デリーで偶然出会ったヘナ・アーティストのマンジュリの家族と暮らしはじめた。植民地時代から続く大きな構造の中で揺れ動き、ときに規範から飛び出して生きる彼女らと過ごした毎日から私自身が揺るがされ、多くのことを学んだ。その経験は今に至るまで私という人間を構築している。

 

(2016年10月20日撮影 デリーにて マンジュリの職場である広場でヘナを施術する。お祭りの日だから賑やかだ)

(2016年10月16日撮影 デリーの広場で施術したお客さん。このように手のひらを模様で埋め尽くす)

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バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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