東京における再開発ラッシュやそれに伴う反対運動、新しい商業施設への批判、いまだに報じられる地方移住ブーム……なぜ人々は都会に住みにくさを感じるのか。全国のチェーンストアや東京の商業施設の取材・研究を続けているライター、谷頭和希がその理由を探求する連載「都会ぎらい」。第2回目は、東京都心再開発の象徴として取り上げられがちな「渋谷」のイメージについて考えます。
1 渋谷が嫌いなんです
知り合いと話しているとき、渋谷の話題になった。
「渋谷ってガチャガチャしてて嫌いなんだよね」
その人は言っていた。同じように思う人は多いだろう。スクランブル交差点を行き来する人の多さ、あまりにもわかりづらい駅の構造、ハロウィーンのときに訳の分からない若者が大挙して、ゴミを撒き散らして帰る様子。こんなイメージが「渋谷」という単語にまとわりついている。
「渋谷ぎらい」という言葉がある。
今、私が作った単語なのだが、渋谷に対してはかりしれぬ憎悪を持ち、そんな渋谷から早く脱出したいと願う人々のことである。ちなみに、不動産オーナー向けサイト「楽待新聞」が2016年に行った調査によると、東京の街で一番嫌われている街は「渋谷」だったという。「住みたくない街ランキング」では堂々の第1位(そんなものはない)。
ある意味、名誉なことかもしれないが、同じ栄光に浴することができる可能性のある街として新宿がある。友人は、
「新宿も嫌い」
と言っていた。ただ、渋谷の方が嫌いらしい。
「どうして?」
と聞くと、
「汚いから」
という返答。辛辣だ。
きれい好きの友人の主観はいったん傍に置くにしても、確かに渋谷の方がより嫌われている気がする。というのも、こうした、
「汚い」
「がちゃがちゃしている」
「なんかイヤ」
という評判に加えて、
「100年に1度の」
という仰々しい説明文から始まる、大規模な再開発に対する批判的な意見が後を絶たないからだ。この再開発を進めているのは東急グループで、日々渋谷の街を美しくしようと粉骨砕身がんばっている。身を粉にして頑張っているのに、
「渋谷はオワコン」
とか
「昔の渋谷を返せ」
といったような批判が絶えない。なにせ「100年に1度」だ。大変貌である。かつての渋谷を知っている人々からすれば反感が出るのも当然。今、ネットで検索してみると上位の検索結果に過激なタイトルの記事があった。
「渋谷はもう「若者の街」じゃない…イケてた街が「楽しくなくなった」納得の理由」
散々言われている。記事の作者を見ると、私だった。
また、東急が手がける再開発以外にも、三井不動産が渋谷区と組んで行ったMIYASHITA PARKの再開発もある。これもめちゃくちゃ批判された。かわいそうなぐらい。元々そこには宮下公園があって、ホームレスの人たちの寝床になっていた。彼らを追い出す形で再開発が進められた、というのでかなり炎上した。
渋谷ぎらいは、なかなか根強い。
しかし、渋谷もいよいよかわいそうだ。「渋谷汚い!」といって渋谷に怒る人々と、「渋谷の再開発けしからん!」といって怒る人々は、実はまったく反対のことにキレているからだ。
というのも、めちゃくちゃ簡単にいえば、現在の渋谷の再開発は、渋谷という街の安全性を高め、あたり一体を美しくし直すものだから。要するに、「キレイな渋谷」を作ろうとしている。東急による再開発の資料を見ても「渋谷を誰もが楽しめる街へ」「安全な渋谷へ」といった言葉が並んでいて、その方向は明確だ。
何をやっても渋谷って嫌われちゃう。
2 渋谷を嫌う前に、まずはその歴史を簡単におさらいしておこう
もともと渋谷が現在のような繁華街になったのは、1973年。区役所通りに「渋谷パルコ」が生まれてからだ。それまでの渋谷は閑静な住宅街で、あるのは区役所ぐらい。街としては圧倒的に新宿の方が盛り上がっていた。そこに増田通二率いるパルコがやってきて(さらにその背後には西武の堤清二がいる)、「パルコ文化」を作っていった。その開発は言うなれば、「渋谷のトータルコーディネート」。一つの施設にとどまらず、街全体をパルコが目指すオシャレな雰囲気に変えていく。スローガンは「すれ違う人が美しい街」。このイメージのもと、当時のトップクリエイターを集めて流行の最先端を渋谷の街から発信する。渋谷という街のイメージを一変させていったのだ。
そうなると、そこには多くのハイセンスでナウな高感度ヤングが集まってくる。それまでの住宅街から、一気に若者の街になる。
とはいえ、なかなかうまくいかないことが多いのも街づくりの難しいところ。そうして若者が集まってくると、逆に街としては来てほしくないタイプの若者も集まってくる。1990年代、渋谷には「チーマー」や「援交少女」が集まり、社会問題化したのだ。伝え聞くところによると、渋谷に行った場合、帰るときはほぼ身一つを覚悟したほうがいいという。当時の渋谷のアパホテルは、連日連夜ほぼ満員だったらしく、部屋の机の中には聖書の代わりに宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』が入っていた(というのはさすがに冗談)。
若者が集まれば、さまざまな文化を生み出し活気を作っていく。しかし、街の治安の悪化も招く。パルコの再開発が功を奏し過ぎた結果、そんな問題が起こったのだ。渋谷嫌いの人が言う「汚い」状態が生まれてしまった。
3 オトナな街・渋谷と、猥雑さがないと怒る人々
さて、そんな中、2000年代ぐらいから、渋谷駅周辺を中心とする再開発話が持ち上がる。実行までだいぶ時間がかかったが、それが現在進行中の大再開発につながっていく。
で、今回の再開発の方向性を一言でいうなら「オトナな渋谷を作ろう」といったところである。ライフルホームズの「LIFELIST」によれば、渋谷は再開発によって「オトナの街」に変貌を遂げたらしい。ちなみに同じ記事には、渋谷に住むという翔也さん(37歳・広告代理店勤務)の声が紹介されている。「オトナ」な雰囲気を感じ取って欲しい。
広告代理店に勤める37歳で、音楽が趣味。そんな私の日常は渋谷のにぎやかな朝を眺めながら始まります。
自宅は築5年、50平米の2LDK。駅までは徒歩15分。とはいっても、渋谷に引っ越してきたのはここ最近。
今までは、目黒区に住んでいましたが、ここ近年の渋谷の再開発に惹かれて、思い切って住まいを移しました。ウィークデーの渋谷は、まさに人々の活気を肌で感じながらの生活です。午前中は、仕事に向かう人や学生たちが雪崩のように駅に向かい、夕方から夜にはまた違った姿も見せてくれます。 仕事柄、世の中の流れには敏感でいたいもので、渋谷ストリームで行われるイベントは要チェック!再開発により、渋谷の駅周辺は歩きやすくなりましたし、週末や休日は、渋谷ヒカリエでのウインドウショッピングも楽しんでいます。
かつてパルコが高感度な人間を集めたように、再開発後の渋谷は、翔也さん(37歳・広告代理店勤務)のような高感度人間を集めることに成功しているのだ。渋谷ストリームのイベントには、この世のトレンドの全てが詰まっているといっていい。
まさに「オトナな街」への変貌こそ、渋谷再開発の要点であった。
というわけで、歴史の必然で生まれた「渋谷、汚いよ」問題に対する対応策として現在の再開発がある。
しかし、そうなると今度は、再開発と一緒にかつて渋谷が持っていた猥雑な部分も無くなってしまう、という批判が生まれる。ジェントリフィケーション的な観点から、その再開発に反対する人々が生まれるわけだ。ジェントリフィケーションとは「都市の高級化」を表す言葉で、もともと地価が安く、文化的なリソースを多く持っていた地域が、その魅力ゆえにさまざまに開発された結果、その一帯の地価が高騰する現象のことだ。そうなると、元々そこにあったゴチャゴチャとした店なんかが地価の問題で立ち退きをせざる得なくなる。確かに、渋谷駅周辺にかつてあったなんだかよく分からない雑居ビルは無くなり、再開発後のビルには、大人向けのラグジュアリーな店が立ち並ぶ。そして、かつての渋谷を知る人々から、例の声が聞こえてくる。
「あの頃の渋谷を返せ!」
というわけだ。
渋谷からしたら、「汚いといわれたからきれいにしたのに、また文句言われちゃったよ……」てな感じだ。
かわいそう……
何をやっても怒られる渋谷という街の存在が逆に愛おしくなってくる。
4 渋谷ぎらいは「ノイズぎらい」
しかし、どうしてこうも渋谷は嫌われ続けるのだろうか。今挙げた渋谷ぎらいは、次の2つのタイプに分類できる。
①汚くてガチャガチャしてて嫌い
②昔のガチャガチャしてる渋谷じゃないから嫌い
ここで、気づいてしまった。
渋谷嫌いな人たちは、みんな「ノイズ」が嫌いなのだ。どういうことかというと、汚くてガチャガチャしているのが嫌いな人は、自分の生活の中に、渋谷のような雑踏が入りこんで欲しくないと思っている。ノイズが自分の世界に入って欲しくないのだ。
さらに②だが、これも捉えようによってはノイズを忌避している。というのも、彼らは「変化」を嫌がっているからだ。変化とはノイズが生まれることだ。自分が知っていたものが知らなくなってしまうこと。その変化に耐えることができない。
両方とも、自分の理想とする世界があって、それを乱すものを良しとしない。
「渋谷ぎらい」とは「ノイズぎらい」なのである。
5 渋谷ぎらいは「都会ぎらい」でもあった
しかし、そう考えると、大変なことが起こる。というのも、そもそも都市とは「変化が起こり続けるもの」だからだ。
いろんな考え方があるが、私は「都市の誕生」は、「ノイズの誕生」と同義だと思う。というのも、都市とは、ムラのような小さな共同体にいた人々の何人かが集まって生まれるものだからだ。ムラでは、何も言わなくても通ずるようなしきたりや風習があったのが、都市となれば、文化はもちろんのこと、場合によっては人種や言語が異なる人も一緒に住まなければならない。これまでの価値観が通じない人がたくさんいるのだ。
江戸・東京が顕著だ。そこは、日本全国のさまざまな地域から人々が集まって成り立っている場所。方言も違えば、生活習慣や文化も違う、いろんな人がいた。だからこそ、そこは「ノイズ」だらけである。「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉がある。江戸では火事と喧嘩が頻発していたことを表す言葉だ。江戸で喧嘩が多かったのは、こうした「ノイズ」が江戸の街に多かったからじゃないか、と個人的には考えている。価値観の違う人が直接対面することで、いろんなズレが起こり、それが喧嘩になっていったのだ。
まあ、こんなわけで、そもそも「都市」とは、ノイズが多いもの。そう考えると、渋谷ぎらいとは、そもそも「都会ぎらい」なのだ、と思えてくる。
6 渋谷ぎらいは「死」も嫌い
ちなみに、人間にとってもっともノイズのある状態とは、死ぬことである。
人が死ぬとき、物理学の用語で「乱雑さ」を表す「エントロピー」が究極的に増大する。生命を維持させるためには、エントロピーをある程度抑えないといけない。それによって、細胞やらの活動を組織立たせるからだ。しかし、死ぬときには、そのエントロピーが増大し、カオスな状態になっていく。死は、もっとも変化が激しく、ノイジーな状態だともいえる。
というわけで、「ノイズ嫌い」であるところの「都会ぎらい」とは、「死」を避けようとする気分のことでもある。深い。
ところで、夏なのでオカルティックな話をするが、「渋谷」と「死」は意外と関係付けられて語られてきた。ここで、渋谷に生まれた「死」についての記録を見てみよう。
宵闇せまる円山町をそぞろ歩いていると、ああ、道の両脇に積み重ねられた小部屋の中で、今夜もたくさんの男女が、セックスという「小さな死」にむかって、性愛の儀式をくりひろげているのだなあ、という感慨に打たれる。(中沢新一『アースダイバー』、p.66)
中沢新一は『アースダイバー』で、渋谷には「死」に関係する場所が幾多もあると述べている。円山町を歩く度に「小さな死」を感じている中沢のことが心配になるのは置いておいて、渋谷を特徴付ける坂の途中にある神社では、巫女があの世とこの世の交信を行っているし、谷地の下にある沼は、ドロドロとして猥雑なものを引き寄せる。ここに集まる風俗店もまた、こうした「死」の磁場に引き寄せられているといってよい。
渋谷という土地が、ここまでラディカルに変化し続け、エントロピーを増大させ続けていることは、やはり渋谷が「死」と強い関係を持っているからだと思えてならない。しかも、その結果、なぜか渋谷には高層ビルばかりが生まれている。人間にとっては、きわめて非人間的な、死を招く物体だ。なぜなら、落ちたら死ぬからである。高層ビルを建て続けるのは、きっと人間が「死」に向かい続けているからに他ならない。
そんな「死」が充満する渋谷に嫌気がさして、人々は渋谷嫌いになる。そして、この連載の第1回目でも言ったような「田舎に行きてえなあ」と、ノイズのない自分の「理想の田舎」像を、田舎に求める。第1回目の連載で、私たちは「田舎が好き」だからではなく、「都会嫌い」だから田舎に行きたいのだ、と述べた。変化が多く、ノイズに満ちた都会が嫌だから、そうではない(と勝手に思い込む)場所に行きたいという気分なのだ。
「渋谷ぎらい」を考えると、「都会ぎらい」の姿がより鮮明に見えてくる。
(次回へ続く)
東京における再開発ラッシュやそれに伴う反対運動、新しい商業施設への批判、いまだに報じられる地方移住ブーム……なぜ人々は都会に住みにくさを感じるのか。全国のチェーンストアや東京の商業施設の取材・研究を続けているライター、谷頭和希がその理由を探求する。
プロフィール
たにがしら かずき チェーンストア研究家・ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業、早稲田大学教育学術院国語教育専攻修士課程修了。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。著作に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』 (集英社新書)、『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)。