(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
「俺の足は鋼鉄だぜ」
グラスゴーから帰国して3か月後。続いてカタールのドーハで行われた陸上の世界選手権に行ったときには、ミックスゾーンで手当たり次第に選手に話を聞いていった。車椅子の選手、義足の選手、知的障がいのある選手…。通訳を担当したのは入社3年目のプロデューサーの泉理絵だった。
泉はグラスゴーで一人の選手に目が釘付けになっていた。短パン、TシャツのB系ファッションに身を包み、耳にはブルーのイヤホンを指していた。そのヤングアメリカンは、リラックスした面持ちでプールグラウンドに並べてある椅子に腰かけているのだが、お行儀のよろしくないことに前の席に足を投げ出していた。見せつけるようなその義足がアイアンマンのごとく煌めいている。泉にはそれが、「俺の足は鋼鉄だぜ」と主張しているように見えた。義足は目立たないように肌色、という概念がひっくり返った。それがルディ・ガルシア・トルソンだった。
生まれ持った脚の障がいのために何度も手術を重ねるが、ついに5歳にして両足の膝から下を切断する。両足義足となるが、幼いながらにその宿命を受け入れて、小学校に入ると同時にパラリンピアンになることを宣言した男である。水泳のトレーニングを重ねたガルシアは16歳で2004年パラリンピックアテネ大会に出場すると、いきなり200m個人メドレーで世界新記録を叩き出し、金メダルを獲得。続けて2008年の北京も二大会連続で世界新を記録し、同種目を制した。2012年のロンドン大会では惜しくも2位に終わったが、活躍の舞台を陸上競技にも広げて、翌年にフランス・リヨンで行われた世界陸上に出場し、走り幅跳びで銀メダルを獲得した。いわば、水陸両用の世界トップクラスの二刀流アスリートである。そのルディが、義足をおしゃれなファッションのパーツにしている。
「自分の内面や本質を隠す文化でなくて、見せる文化、ああ、こういうのが好きだったな」泉はアメリカ留学時代を思い出していた。会社では、飲み会の度に華麗に盛り上げる性格から、「パーティガール」と呼ばれ、いかにも明るい帰国子女のように見られることが多い。しかし、泉は決して順風満帆な恵まれた学生生活を過ごしてきたわけではない。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。