WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第1回

これが自分だ!

アスリートのマインドと身体性に迫る番組の誕生

木村元彦
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ひとりぼっちだった異国の地

 16歳の時に国際教育交流団体から留学先として割り振られたのが、ミズーリ州だった。内陸中西部のそこは8歳まで両親と暮らしたニューヨークと比べて何から何まで違っていた。指定された地域は日本人どころかアジア系の人々がほとんど住んでおらず、唯一近いと言われたのが、南太平洋のサモア人のコミュニティであった。ここで泉は、いかに英語が堪能であっても、自身がマイノリティであることを否が応でも意識させられた。

 決まっていたホストファミリーは対面式の日に現れず、他の留学生たちが、親しげに会場を後にする中、ぽつんとたった一人で取り残された。翌日、ようやく現れた家族は全員が150kgを超える体重で、不健康な太り方をしていた。連れて行かれた家は汚れきり、想像を絶するほどに貧しかった。後から指摘されたが、留学生を受け入れることで供給される協力費が目当てだった可能性があった。それでも積極的に交流を図っていたが、数ヵ月後、世話をしてくれた団体のスタッフがいきなりやって来た。そしてこの家庭は問題があるから、すぐに荷物をまとめて出るように言われた。ホストチェンジをすることになったのである。

 しかし、また問題が起きる。引き取ろうと言ってくれる次の家庭が全く見つからなかったのだ。自分自身に何かの問題があるわけでもない。語学も性格も認められて、人望を集めた高校では友人もたくさんできた。それでも「この子じゃない」という態度を取られる。その理由が自身がアジア人だったからなのかは計り知れなかったが、自らの属性や存在が否定され、まるでペットショップの犬のように、ひたすら手を挙げてくれる人を待つという境遇に放り込まれた。

アスリートと談笑する泉      (C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 16歳でひとりぼっちだった頃、自信をなくしかけていた頃、人と違うということを自覚させられて、そこから、どう考えて、前を向いて来たのか。ルディを見て、さらにドーハであらゆるパラリンピアンの話を聞いていく中で、思い浮かんだというよりも思い出した。そうだ、あのミズーリでの高校生時代、自分には全盲の友人がいた。健眼者と一緒に授業を受けて同じ試験を受けていた。仲良くなって時には手伝ったりしたが、頭のいい子だったので、逆に私のサポートをしてくれた。

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第2回 
WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦

1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。

 
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