マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む 第7回

「ステイホーム」でスマホから離れられなかった私たちが、ポスト・トゥルースについて考えるべきこと

上岡伸雄

現実になる

 もちろん、人間の営みの領域では──というか、実際、認識論の領域では──何一つこんなに単純ではない。多くの人がトランプ大統領に幼稚な虚言癖を、しかもかなり原始的なものを認める──「我ら」対「彼ら」といった基本論理に喜びを感じる人々の爬虫類並みの頭脳にアピールするものを(これは確かに、より高度な政治力となり得る──味方と敵というカール・シュミットのより微妙な現実的政治哲学と比較していただきたい)。

工場長 / PIXTA(ピクスタ)

 

「ドナルド・トランプとほかの世界の権力者たちは、事実の歴史のなかでどこに当てはまるのか?」と評論家のイアン・ブラウンは問うた。「このところ、トランプ氏とその仲間たちが超洗練された〝ポスト・トゥルース〟タイプであると主張するのが流行である。彼らはポストモダニズムの領域を奪取し、すべてが相対的であるという便利な高所に到達しており、そこでは相手を説得さえできれば何でも真実になる」。ブラウンはそれに対して異議を唱える。「事実の歴史のなかで第四十五代大統領は実のところ退行しており、より原始的な意識への先祖返りである。しかも、彼がそうなることを可能にしたのは、デジタル情報技術なのだ」。ブラウンはその主張を繰り返す必要さえ感じ、次のように言う。「ドナルド・トランプを事実の歴史のなかで理解するのが重要である。彼は洗練されたポスト・ファクトのポストモダニストではない。彼は先祖返りであり、それはヴォルテールの合理性からルソーの感情過多へとさかのぼっただけでなく、それよりもずっとずっと、ずうううううっとさかのぼり、啓蒙主義以前の神秘的シャーマニズムへ──プラトンの洞窟の比喩にある、影を真実と信じた人々の世界へ、アブラカダブラとおどろおどろしい炎の閃光の時代へとさかのぼったのである」

Olivier Le Moal / PIXTA(ピクスタ)

 

 トランプのモダニズム以前のように見える特徴は、実のところ右翼的ポストモダン状況から現われたものである。確かに、トランプはこうした状況を意識的に作り出したというより、それから思いがけず恩恵を受けた者だ。しかし、事実を尊重しないという彼の能力、あるいはオルタナティブな事実に依拠する能力は、彼の成功に欠かせない。近代以前のメディア時代を体現する者(アバター)が現われたことは、新しいポストモダン状況の論理的な延長線ではないのか? このことは、彼が好むコミュニケーション手段に特に顕著である。反応の速さと文章の短さ──改定された280文字のバージョンでも──に依拠しているツイッターだ。それは力を拡張するものであるが、政治的な分断と認識の混乱をもたらす特殊な面を持っている。人々は誰をフォローするかを選び、それにすぐ続いてフォロワーをめぐる経済的な競い合いがある──有害にもなりかねない人気コンテストがあり、大統領は次の一手を動かすこともせずに勝ってしまう。そこには直線的思考の可能性も息の長い議論もない。そして、電話またはスクリーンに全面的に基づくメディアの場合と同様に、たとえつながっていると感じても、その意思疎通は分離している。パイリング・オン(訳注:同じような投稿が一カ所に集中すること)は日常茶飯事で、その理由の一部は、どこかで集中管理しているわけではないからだ。多くの人が誰に相談することなく、同じ非難(もっと稀だが、称賛)の言葉を発する。それぞれのツイッターユーザーが、その同じ分離から生まれた権威の声をもって語っている。幸い、ほとんどのユーザーは配備可能な核兵器を持っていないが、不幸なことに、そのうちの一人、最も怒りっぽくて制御の利かない者は持っている。

(第8回へ続く)

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マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む

「ステイホーム」の号令下で、いつもとはまったく異なる日々を自宅で過ごした読者も多かったのではないだろうか。スマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が飛躍的に増え、コミュニケーションから生活、余暇のすべてがこうしたデバイスに支えられていることを実感しただろう。カナダでポピュラーな哲学者・Mark Kingwellが「退屈」という概念を哲学的に考察することで、こうした事態を巡る問題に警鐘を鳴らした『退屈とインターフェース』から、現下の状況に関わりの深い第二部をアメリカ文学研究者、上岡伸雄の翻訳連載で送る。

関連書籍

テロと文学 9.11後のアメリカと世界

プロフィール

上岡伸雄

1958年生まれ。翻訳家、アメリカ文学研究者。学習院大学文学部英語英米文化学科教授。東京大学大学院修士課程修了。1998年アメリカ学会清水博賞受賞。フィリップ・ロス、ドン・デリーロなど現代アメリカを代表する作家の翻訳を手がけている。著書に『テロと文学 9.11後のアメリカと世界』、『ニューヨークを読む』、訳書に『リンカーンとさまよえる霊魂たち』、『ワインズバーグ、オハイオ』、共著に『世界が見たニッポンの政治』など。

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