ウーマンラッシュアワー村本の「考える人」 Round2-4

「いかに生きるか」は「いかに死ぬか」。安楽死を考える

幡野広志×村本大輔

村本:さっきから幡野さんの話を聞いてて思ったのが、死に方にも多様性の時代だなってこと。例えば、トランスジェンダーの人が結婚する、しないというのも、その人が選べることが大事だと思うんです。一方で、それをみんながやったらどうするんだ、その分のお金とか税金が必要になると、恐怖を感じる人間が、そういう選択の自由を縛り付ける。

幡野:安楽死のことに関しては、突き詰めていくと「みんな自分のときにどうする?」って考えてもらえれば、最終的に、過度に反対する人はいなくなると思いますね。すでにいくつかの国では、安楽死が認められてきてはいるんですけど、それって全部、当事者である患者さんたちが「その必要性」を発信し続けた結果なんですね。

たとえば、これを自民党の政治家が「安楽死やりましょう」と言ったら、たぶんボコボコにされて終わるだろうし、医療関係者が言ってもそうなるでしょう。でも、患者が言うと、批判は少なく、むしろ必要なのかもと思ってもらえる。

村本:黒人のコメディアンが、ネタで黒人差別に言及するのはオッケーだったように。

幡野:そうそう。だから、当事者が訴えるというのは、大事なんだと思います。数年前、脚本家の橋田壽賀子さんが安楽死の必要性を訴えたことがありましたよね。あのとき、うまく法制化までつなげられればよかったんだけど、結局、ダメだったのは、当時、橋田さんがまだ健康で、高齢の女性でご家族はいないとはいえ、世間からすれば大富豪だったから。それだと、当事者としては見なされず、社会から賛同を得にくかったのかもしれない。

その点、僕は36歳で妻も子どももいる末期がん患者なので、賛同は受けやすいとは思います。僕の置かれている状況に、他の人たちも共感しやすいし、想像しやすいですからね。

村本:なるほど、橋田さんにとってまさに『渡る世間は鬼ばかり』だったと(笑)。

幡野:もちろん、現実的に考えて、日本で安楽死できるようになるには、この先、10年か15年はかかると思います。だから、僕は最初の一石を投じるぐらいで、あとはそれが波及して、広めていってくれる人が出てくるはず。そのためにも、とにかく今は「最初の一石」が必要だと思って一生懸命投げている。それも、ただ投げるだけじゃなく「味方を増やしていける投げ方」をしっかりと考えないと……。ですから、ツイッターで安楽死のことを発信する前に、1年間ぐらいかけて安楽死について勉強したり、考えたりして、反対意見や批判に対応できるように準備をしました。

でも、最初にツイッターで安楽死について発信したとき、1件だけ「想定外」の批判があって、それが、「ずるいですよ、がん患者だけ……」っていう声だったんです。その人は精神疾患抱えて、生活保護を受給して、働くことができなくて、年齢が40代ぐらい。結婚とかも難しくて、とにかく自分の人生には何もないと卑屈になっている人だった。その人に「がん患者だけずるい」って言われたときに、「そうか…」とちょっと思いました。こっちからすると、「俺はがんで数年しか生きられないんだから、そういうこと言ってもいいじゃん」と思っちゃうんだけど、そういうがん患者の状態すらも「うらやましい」と思ってしまう人が日本の社会にはいるんだなぁ……って。

村本:幡野さんは辛さと戦ってるから、「この人にはこの人の辛さがある」と自分に置き換えて、他の人の感じているものを共有できる。そういう、自分と同じ共通点を探せる優しさというか、才能というか、それは幡野さんの武器ですよね。

一方で「死ぬ」というワードは、ただの言葉なのに、すごくネガティブなイメージがいっぱい詰まっていて、実際に自分がその辛さに直面していない人は「共感」する以前に「死ぬ」という言葉の持つネガティブなイメージ一色に、頭の中が塗りつぶされてしまうことがありませんか?

幡野:そう。だから「がんになった」って言うと、みんなお見舞いに来たがるけど、お見舞いに来る人間が全員「お通夜の顔」なんです(笑)。それをなぜか、こっちが和ませたり、元気づけなきゃいけない。「大丈夫だよ」とか「必ず治るから」とか、そういうことを言わされちゃう。だから、僕、お見舞いとか全部断ってますね。

村本:僕もシミュレーションしたことありますよ。で、もし、自分ががんになって病院にいて、そんな顔で来られたら、まず言いますよ。「オレはベッドの上やし、まわりには医者も看護師も設備も整っとるから大丈夫やけど、お前らお見舞いが終わったら、その後車に乗ったり、飛行機に乗ったり、電車乗ったり、危険がいっぱいある世界に帰っていく。安全圏はこっちで、むしろお前の方が危ないやろ? さあ、地獄へいってらっしゃい~」ってね。だいたいなぜこっちが先に死ぬって思ってるのかって。(笑)。

幡野:ハハハ(笑)。僕はがんを公表して、前より仕事が増えてきて……このままいくと、がんより過労死の方が先かもしれない。今のスケジュール帳を見ると、過労死するんじゃないかと思うぐらい忙しい(笑)。

それから、自分がこうして、がんになって改めて思ったのは、結局、人って「幸せになるために生きているんだ」ということです。そう考えると、「生きること」と同じように「死ぬこと」も含めて「幸せになる」ということを前提や目的にしながら、考えなくちゃいけないんだと思います。

村本:「がん」って何に見えるのか? がんって何者かって考えた時、人によっては「殺人鬼」みたいに見えるじゃないですか。じゃぁ、例えば僕が自分の身体にがん細胞を発見したときに、自分はそれを殺人鬼だと思うのか、それとも、自分自身を見つめ直す機会を与えてくれる「人生の伴侶」として見るのか? 今、幡野さんの話を聞いていたら、僕にはがんが「悪いやつ」には見えなかった。

幡野:繰り返しになりますが、それは、結局、村本さんが健康なときにどう生きていたかが反映されるからだと思います……。だから、たぶん、村本さんにとってはいい存在になるんじゃないかな。僕はそう思いますね。(了)

取材・文/川喜田研  撮影/藤澤由加

幡野さんのはじめての写真集。 「Nikon Juna21」を受賞した「海上遺跡」ほか、「狩猟」「家族」をテーマに撮影した3作品を収録。

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 Round2-3
ウーマンラッシュアワー村本の「考える人」

お笑い芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が、毎回、有名・無名のゲストを迎えて、政治・経済、思想・哲学、愛、人生の怒り・悲しみ・幸せ・悩み…いろいろなことを「なんでそんなことになってるの?」「変えるためにはどうしたらいいの?」とひたすら考えまくる連載。

プロフィール

幡野広志×村本大輔

幡野広志

1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)。作品集『写真集』(ほぼ日)。

村本大輔

1980年、福井県おおい町生まれ。小浜水産高校中退後、NSC入学、2000年デビュー。2008年に中川パラダイスとウーマンラッシュアワーを結成。2013年、THE MANZAI 優勝。昨年末のTHE MANZAI で、原発・沖縄・東京オリンピック・熊本地震などをテーマにしたネタが話題になり、以後、災害被災地や沖縄をはじめ全国で独演会を開催。今年のTHE MANZAIでも政治ネタを取り上げ注目を集めた。

 

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「いかに生きるか」は「いかに死ぬか」。安楽死を考える