対談

閉ざす小集団と、開く心

荒木優太×外山恒一 『サークル有害論』刊行記念対談vol.2
荒木優太×外山恒一

メンバーが互いをよく知っているような小規模で親密な集いには、親密でよく通じ合っているが故に発生してしまう「毒」があります。
その集いは人々の間のミクロな違い、その隙間に巣くうコミュニケーションによって「有害な小集団」と化し、わたしたちを日々毒します。
ロシア由来の小集団「サークル」をさまざまな題材を用いて再考しながら、集団性の解毒法を考察した一冊が『サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか』(集英社新書)です。
本書の刊行を記念し、このたび著者の荒木優太さんとゲストによる対談連載を企画しました。
第二弾ゲストは、革命家の外山恒一さん。都知事選の過激な政見放送でも知られる外山さんは、現在、学生たちを合宿という形式で政治思想の基本知識を叩き込む「サークル」を年に数回主宰しています。その外山さんは、本書をどう読んだのでしょうか。

荒木優太さん(左)と外山恒一さん

原理論的な記述が魅力的な本

外山 目次を見ずにいきなり本文を読み始めたんですが、冒頭から姫野カオルコ氏の小説『彼女は頭が悪いから』やそのモデルになった東大の事件、あるいは“オタサーの姫”問題とかが論じられてて、そういう時事的な話に終始するのかな、と思ったんです。
 ところが第三章でいきなり原理論に突入するじゃないですか。“そもそも「サークル」とは?”みたいな(笑)。「サークル」の語自体が共産党によって輸入されたなんて僕も初めて知りました。時事的なテーマに関心がある方だけでなく、むしろ原理論的なものに関心がある方にこそ薦められる本ですね。

荒木 ありがとうございます。私と外山さんの対談という取り合わせは、読者の方にはちょっと意外に感じられる方も多いかもしれません。今回、私の方から対談をお願いしたのですが、第一の理由としては、私と外山さんの集英社での担当編集者が同じ、という理由があります。
 ただ、後になって、ちょっとまずかったかな? とも思いました。というのも、外山さんは、芸術や文化よりも政治を第一に考えてきた人ですよね。それに対して、今回の本は、言ってみれば政治を解毒する、あるいは脱政治的な余裕が回りまわって政治の役に立つんだよということを主張しているわけです。
 そういうわけで、今日はお会いしたら怒られるかな、というのを覚悟していたのですが(笑)。外山さんから見て、ここはちょっと自分の思想・信条からは受け入れられないという感想もあるんじゃないかなと想像するんですけれども、そのあたりはいかがですか?

外山 最近のフェミニストたちが言う、ジェンダーバランスが云々のポリティカルコレクトネス的なサークル批判を、僕はナンセンスだと考えてますし、荒木さんの本でも非常に説得的な異論が提起されていて、そういう部分で政治的な共感もあります。
 しかし確かに根本的な立場の相違があります。やはり第三章に、吉本隆明が「人間の屑」となじったという、小林多喜二の『党生活者』の登場人物の話が出てきますよね。非政治的な文化サークルをオルグの場として徹底的に政治利用することしか考えてないっていう。言ってみれば僕もその種の「人間の屑」の側ですから(笑)。
 ただし政治利用といっても、僕の言う政治は、フェミニストや共産主義者の言う政治とは全然違いますよ。彼らの政治は「普遍的正義」を掲げる種類の、要するに「左翼政治」ですが、僕の政治はそうではないので。

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関連書籍

サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか

プロフィール

荒木優太×外山恒一

荒木優太(あらき ゆうた)
1987年東京生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。2015年、第59回群像新人評論賞優秀作を受賞。主な著書に、『これからのエリック・ホッファーのために』『無責任の新体系』『有島武郎』『転んでもいい主義のあゆみ』など。編著には「紀伊國屋じんぶん大賞2020 読者と選ぶ人文書ベスト30」三位の『在野研究ビギナーズ』がある。最新刊は『サークル有害論』(集英社新書)。

外山恒一(とやま こういち)
1970年生まれ。福岡を拠点とする革命家。思想的にはマルクス主義、アナキズムを経て、03年に獄中でファシズム転向。07年の東京都知事選に出馬し、過激な政見放送で一躍注目を浴びる。近年は「右でも左でもないただの過激派」として独自の活動を続けるかたわら、後進の育成や革命運動史の研究にも力を入れている。著書に『全共闘以後』『政治活動入門』、共著に『対論 1968』など。

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