プラスインタビュー

亡き父の足跡を辿り、あの「戦争」について考える

『鉄路の果てに』著者・清水潔氏インタビュー 【前編】

清水潔
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薄れていく「戦争」の記憶に迫る

――戦後75年となった今、当時を知る生存者から貴重な体験を聞く機会も失われつつあります。ジャーナリストである清水さんにとっても、お父様の戦争体験を取材することは難しかったのでしょうか。

清水 私自身もそうでしたが、肉親だからこそ話を聞きづらいということはあると思います。

 父は軍隊にいたとは思えないぐらい穏やかな人で、私は父のことが大好きでした。そんな父が南京大虐殺のような場に居合わせていたとしたら……と思うと、やっぱり戦争体験について聞くことは怖かったですね。

 今回の旅のために膨大な資料にあたりましたが、ハルビンやシベリアで父が実際に過ごした場所については、結局わかりませんでした。父が生きている内にもっと聞いておけばよかったな、とつくづく感じています。

――それでも、実際に現地に足を運んだからこそ見えてくるものもあったということですね。

清水 たとえば、今回訪れたイルクーツクで、日露戦争中、ロシアが冬のバイカル湖の氷上に蒸気機関車を走らせたという話を聞きました。

 バイカル湖は九州とほぼ同面積の広大さで、しかも水深は世界一ですから、横断する鉄橋の工事は不可能です。湖岸はといえば急峻な崖になっており、この区間だけがなかなか線路で結ぶことができない。バイカル湖沿岸の路線はシベリア鉄道開通のボトルネックになっていました。

 日露戦争の戦地となる中国東北部に兵士や物資を運ぶため、ロシアはバイカル湖の区間に鉄道連絡船を使うなど、様々な手立てを講じましたが、冬季になると砕氷船でも歯が立たないほど分厚い氷が張るためソリ輸送となってしまう。ロシアは輸送力向上のために氷の上に線路を敷いたというのです。

「いくら分厚い氷の上といっても、あんな重たい機関車を走らせるなんて、本当にそんな無茶なことをしたんだろうか?」と、帰国後、調べてみたら、1904年の2月から3月にかけて「氷上鐵道計畫(てつどうけいかく)」について書かれた日本の新聞記事がみつかりました。

「氷上鐵道」によってシベリア鉄道が全通すれば、日本にとっては大きな脅威なわけですから、何度も記事にして状況を伝えたのでしょう。

「氷上鐵道計畫)」は氷が割れるなどして、結局失敗に終わりますが、当時の日本人であれば新聞を読んで知っていた話なのに、今はもうそんな話は誰も知りません。これは現地に行かなければ気づけなかったことですね。

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プロフィール

清水潔

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。日本テレビ報道局記者・特別解説委員、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師などを務める。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ社会部へ。著書は『桶川ストーカー殺人事件――遺言』『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(共に新潮文庫)、『「南京事件」を調査せよ』(文春文庫)など。2020年6月放送のNNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故~」は大きな反響を呼んだ。

 
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