著者インタビュー

道徳教育を学校で行うべきでない理由

『ほんとうの道徳』著者・苫野一徳氏インタビュー

苫野一徳
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――「学校・ルールをつくり合う道徳教育」は、対話の教育の延長線上にあるものなんですね。

苫野:今回の学習指導要領に「問題解決的な道徳」が盛り込まれました。私はこれも追い風として受け取っています。「こういう場合、どういう風に問題解決したら良いだろう」という議論を道徳の授業でやって良いと、お墨付きがでたわけですから、皆で話し合ってアイデアを出し合い、「この問題を解決しよう」ということが確実にできるわけです。

道徳の時間を使って、子どもたちと学校にあるおかしなルールとか、スタンダードとかについて、見直し合ったり、一緒にルールをつくったりする。自分たちのクラスや自分たちの学校を自分たちでつくるために、どんな風にルールを変えたり、なくしたり、新たにつくったりすれば良いだろうか、と考える時間を意図的につくる。そのためにこの道徳という時間は使えるでしょう。そういった内容を話し合っていくことは、同時に市民社会の本質でもあります。

――そうなると、もう実質的には市民教育の一歩になりますね。

苫野:こうした実践を通して、子どもたちに「自由の相互承認」の感度を育むことができるのではないかと思います。

これまで学校では多くの場合、出来合いの問いと答えを勉強するのがメインでした。でもこれからは、「探究」をカリキュラムの中核にしていく必要があると私は言い続けています。我々が自由に生きていくためには、つまり生きたいように生きていけるような、たくましい力を育むためには、探究する力があることがとても大切です。

そのためには、自分たちなりの問いを立てて、自分たちなりの仕方で自分たちなりの答えにたどり着くという、そういう学びの経験が必要です。今まで学校は、子どもたちが問いを立てる経験をたっぷり保障できてこなかった。そういうことを保障する時間にもなり得るのが、私は道徳の活用法だと思っています。

これから「探究」をカリキュラムの中核にしていこうというのは、それこそ国も言っていることですが、たぶん学校教育はその方向に進んでいきます。そこで今のうちにしっかりビジョンを出していきたい。本書がそのためのひとつの契機になったらいいな、と期待しています。

文責:広坂朋信/写真:内藤サトル

※本記事は集英社にて行った苫野一徳先生インタビューの内容に加え、2019年7月7日(土)に代官山蔦屋書店にて行われたトークイベント「道徳教育の可能性をひらく」、および最新刊『ほんとうの道徳』(トランスビュー)の内容を参考に構成したものです。

※『愛』(講談社現代新書)の表紙画像は、講談社現代新書編集部様から頂戴しました。

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プロフィール

苫野一徳

哲学者・教育学者。熊本大学教育学部准教授。1980年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。2020年4月に開校予定の軽井沢風越学園では理事を務める。著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマ―新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)、『愛』(講談社現代新書)など多数。

 
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