――美学がご専門ということですが、ご著書の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)で、「美学」、あるいは「エステティックAestheticsをやっている」というと、「大学でエステ?」「美学をやるとキレイになるの?」みたいな誤解をされると書かれていました。
伊藤 美学という学問が探究するのは、フランス語で言うジュヌセクワ(注:je ne sais quoi)、日本語だと「いわく言い難いもの」と訳されるもの、美しさとか魅力のような、感じることはできるけれども言葉にしにくいものです。
言葉にしにくいものはいろいろあります。芸術作品にふれたときの感覚はまさにその代表的なものなので、芸術理論の研究も美学の大きな領域です。一方で美しさなどを「感じる」という行為そのものを考察する学問でもあります。
――もともと生物学に関心があったのに、大学在学中に美学に専攻を変えたということですが、それはどうした理由ですか?
伊藤 子どもの頃から生き物を観察するのが好きだったのですが、それは生き物について想像してみる作業が面白かったということもありました。
たとえば、アメーバは前に進む時に体の一部を固くして流れて行って、今度は固くする場所を変えて前に進む。どうやったらそんな風に進めるんだろう。自分の体の固さをコントロールするというその感覚とかを想像してみることとかがすごい好きだったのです。
――それがきっと他人の身体について想像をめぐらせて「その人の身体になる」ということにつながっているんでしょうね。
伊藤 そうかもしれません(笑)。ところが、大学での学問としての生物学は、生物を分解していくんです。まず解剖でそれぞれの器官に分解し、細胞に分解し、さらには分子にまで分解します。とりあえず分解する学問なんです。
そうやって分解していくことで何かがわかるということに対してすごく不信感を持っていて、どうしたら分解しないで、そのまま取り出せるのかに関心がありました。分解するとは、言葉にすることでもあります。そこで、言葉にしにくいものを探究するという美学が、分解することに対する抵抗に思えて、ちょっと信用してもいいかな、って思ったんです(笑)。
プロフィール
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)などがある。最新著は『記憶する体』(春秋社)。
最新研究:「見えないスポーツ図鑑」 https://mienaisports.com/