――医学や生理学とは違う身体のとらえ方ですね。
伊藤 私の専攻する美学には「感じる」ということを、ひとつのツールにして物事を考えていくところがあります。「感じる」というのは不思議な行為で、全然自分と違うものについても、想像力の範囲だけどとりあえず「こうではないか」という風にとらえる。これは、その人の身体になってみるみたいなことだと思うんです。
美学の立場からすると「感じる」とは、想像力を拡張していく作業だと思うので、それを通して、かかわり方がつくれたらなと思っています。
――「その人の身体になる」とはどういうことですか?
伊藤 もちろん「その人の身体になる」ことは、文字どおりにはできないことですが、それでもお互い身体を持っているという意味では同じ身体の当事者なので、手掛かりを見つけることはできると思うんです。
今回の本では中途障害の方を多く取り上げています。中途障害者は、それまで健常者として生きてきて、突然ケガや病気などで障害を持った方々です。そこから、自分の身体を再発見する作業が始まるわけです。
そのお話は、障害を持っていない人からしても、「ああ、そういうことなのか」と自分の事として考えやすいポイントです。想像も及びやすいし、逆に自分がこれからいつ障害を持つかわからないので、ある種のシミュレーションというか、自分の身体の別の可能性みたいなものを考えるきっかけにもなると思います。
――そこが健常者である読者がこの本を読むときのポイントかもしれませんね。
伊藤 身体の大部分は無意識でできていて、自分で制御していない。みんなそうやって無意識で動いている。それが、他人の無意識を、一回言語化して知ると、自分の無意識にも気付く。
「そもそも自分はコンビニでどうやってものを探してたっけ」とか、「歩くって、義肢を使うとああいう感じって言っていたけど、自分が無意識的にやっているその一歩はどうやって踏み出しているんだろう」みたいな。相手を理解する時に自分の身体が無意識的にやっていたことをもう一度、考え直すようなところがあって、それも面白いことです。
プロフィール
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)などがある。最新著は『記憶する体』(春秋社)。
最新研究:「見えないスポーツ図鑑」 https://mienaisports.com/