──ここまでのやり取りだけでも、少し「不便益」のエッセンスがわかった気がします。他に不便益が活用されている発明や仕組みとしては、どのようなものがあるのでしょうか。
川上 たとえばですよ。この間、日本インダストリアルデザイナー協会の関西ブロックで、学生によるデザインコンペがあったんです。今年は「不便益なデザイン」をテーマにしてもらいました。そこに応募された作品の中で、面白いなと思ったのは、最優秀賞の「掃除をしないと見られない日めくりカレンダー」でした。
──…………それはいったい何ですか??
川上 (笑)。ええとね、お掃除に使う真っ白なコロコロがあるでしょう。あれに部分的に糊が付いていないところがあって。コロコロで掃除をすると、糊が付いていないところだけ汚れが付かなくて、結果的にその日の数字がブワーッと浮き上がってくるという仕組みです。……何となくイメージができましたか?
──な、なるほど。毎日一回コロコロでお掃除。次の日は新しい面でお掃除、ということですか。
川上 そうそう。お掃除をしないと日にちがわからない。ふっふっふ。
―よく考えてみると、スマホで「今日は何日だっけ」と確認していると、あまり頭に残りません。一方で、自分で手を動かすと、日付が実感を伴って体に沁み込みますよね。
川上 その通りです。他に、優秀賞のアイデアをちょっとアレンジして、「どちらが有効かがランダムに替わる2つの鍵穴」というものを考えてみました。
私たちはドアの鍵を閉めたかどうか、しばしば忘れてしまうことがありますよね。そこで鍵穴を2つ用意して、どちらが有効な鍵穴かがランダムに替わるようにするんです。間違った方を回すと、スカッと空回りをしちゃう。正解した時にも、無事に鍵がかけられるかわからない緊張感があるので、意識に残りやすくなる。二度手間になることもありますが、結果として鍵をかけたということが印象付けられるようになります。
──もっと素朴で日常的なもので、「これは見事な不便益の例だな」と思うのは何ですか。
川上 単純なものだと、「遠足のおやつは300円までルール」ってありますよね。あれは非常に良い例だなあと思っていて。たぶん、「いくらでも買ってきて良いですよ」と言われたら、あんなに盛り上がらないですよね。
しかもあれって、なんか遠足に行ったことよりも、「おやつを買いに行って、あんなものを買ってきたやつがいた」って、下手をするとそっちの方が盛り上がっちゃって、記憶に残ったりもします。だから、緩やかな制約っていう不便は、人をモチベートするというか。物に対してすごくポジティブになれることを示す好例だなと思っていて。
──行動を制約するということも、不便益のひとつの要素になるのでしょうか。
川上 そうですね。やれることが限られるというのは、通常は不便なことであるはずなんですが、それが逆に人をモチベートするという側面もあるんです。こんな風に「不便」の効用を考えるのが私の研究です。
ただ、「不便益」という概念自体、まだ新しくてしっかりと固まったものではないんですね。「この場合はどうですか」と言われた時に、判断に迷ってしまうことも案外多くて。
だから、研究のやり方としては、今は事例を集めるというのが多いですね。「ひょっとして、これも不便益じゃないか」と様々なケースを探し回り、それを整理してどんなパターンがあるのかを抽出・整理して、それを概念化しているという段階です。
プロフィール
1964年島根県生まれ。京都大学工学部、京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学、京都大学)。岡山大学助手を経て、現在は京都大学デザイン学ユニット特定教授。「不便から生まれる利益」である不便益研究のパイオニア的存在であり、不便益システム研究所所長を務めている。