──不便益というのは、まだ新しい概念なんですね。ところで、この「不便益」という言葉が誤解を受けてしまうことはありますか?
川上 たまにありますね。多いのが、ノスタルジー。「昔に帰れ」とか、昔は良かったよね、なんか懐かしいよね、という懐古趣味的な主張によく誤解されます。
──「電気が無かった頃の、理想の生活に戻ろう」などというフレーズを耳にすることもありますよね。その誤解は、「自然のままの不便な生活=善」という前提に基づいてしまっている。いわば、「不便」が最善のものと見なされ、目指すべき対象として自己目的化していると言えば良いでしょうか。
川上 そうそう。不便が目的化しているんですね。そう誤解されてしまうと、ちょっと困るなあという思いがあって。
以前、とある情報番組に呼ばれて取り上げられた時に、司会者が原始人の格好をして出て来ちゃったんですよ。「ああ、これはやられた!」と思いました。ディレクターとは「昔に戻れっていうことじゃない」って何度も打ち合わせで説明したんですが、説明が下手だったようです。結局、原始人と私が並んでオンエアされました(笑)。
それから、教育現場で「今、この不便を耐えておけば、生涯賃金が上がるんだぞ」みたいな言い方がされることがありますね。そういう形で、不便に耐えるための言い訳に使われてしまうこともあります。
私たちが主張したいのは、単純に「昔に戻れ」ということではないんです。それから、決して「便利から生まれる益」を全否定したいわけでもありません。ただ、不便というものを分析したり、敢えてデザインしたりすることによって、人間の暮らしをより豊かにするということが目的としてあるわけです。
──まとめると、不便益というのは、物事の見方に幅を持たせたり、色々な気付きを生んだりするための発想方法だということでしょうか。
川上 その通りです。そして、その発想をシステムデザインに活かしたいのです。たぶん、色々な言い方ができると思うんですけれども、手間をかけることが単なる無駄、と切り捨てられるだけじゃなくなって欲しいなと。
「そんなもの、やっても無駄だよ」「頭を使ってもしょうがないじゃん」ということばかりだと、世の中が豊かじゃないというか、生きていて楽しくないと思うんですね。そういう意味で、様々な営みに新たな意味を持たせてくれる考え方でもありますよね。
プロフィール
1964年島根県生まれ。京都大学工学部、京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学、京都大学)。岡山大学助手を経て、現在は京都大学デザイン学ユニット特定教授。「不便から生まれる利益」である不便益研究のパイオニア的存在であり、不便益システム研究所所長を務めている。