著者インタビュー

現代にも生きている「縄文の思想」【後編】

『縄文の思想』著者・瀬川拓郎先生インタビュー
瀬川拓郎

——『縄文の思想』で描かれている内容で最も驚いたのが、古代において南は九州から、北は北海道まで広大な範囲でネットワークをつくっていた「海民」と呼ばれる人々の存在でした。

瀬川 実は、日本の考古学において、海の民についての研究は非常に低調です。やっぱり、縄文・弥生時代や古墳時代の研究の王道といえば、水田・農耕に代表される平地民の文化なんですね。

発掘作業を行っていると、海辺では特に洞窟から、海辺の人々の生活に特有なものが出てきます。でも、それについて積極的に論じられたことはありませんでした。日本の考古学研究では、そうしたテーマはあまり主題的に扱われてこなかったのが実情です。過去には、日本史研究者の網野義彦さんや、考古学者で森浩一さんらが積極的に「海民研究」の必要性を説かれましたが、それからは研究が止まっている面があります。

しかし、北海道に注目しただけでも、古代にはずいぶんと本州の海辺のものが入ってきていることがわかります。というよりも、海辺の人々の文化しか入って来ていないと言って良いほどです。農耕民の文化は入って来ていません。

そうした密接な交流は、縄文時代には海を舞台にしていた。だとしたら、交流を持っていたふたつの地域は、同じ価値観を持っていたはずだ。……という感じで考えを進めていくと、さまざまな考古資料もパズルのピースがぴたっと嵌まっていくように、つながりが見えてきました。「これはいけるんじゃないのかな」と手ごたえを感じてきたわけです。

——「海民」の研究が進まなかったのは、やはり、発掘品があちこちに点在していて、分析が難しいのでしょうか。

瀬川 ご指摘の通りです。たとえば、和歌山県の沿岸部にも海民の遺跡があります。洞窟です。房総半島・三浦半島にもある。でも、それぞれが全部、様相がてんでバラバラ。複雑過ぎるんです。それこそが、常に移動を繰り返す海民の特徴であると私は思うんですが、考古学では似たものを集めて分類することによって研究が成り立つので、複雑だと手の付けようがないんです。そんな事情もあって、海民研究はなかなか進まないんですよね。

加えて、海民は実はずっと海辺にとどまっているわけではありません。東京だと、荒川や玉川の水系をずっと上がっていって、豪徳寺のあたりで崖に横穴古墳を残していたりします。内陸に横穴をつくった人々がいるわけなので、どこまでが海民の仕業なのか、判然としないということがあります。僕は、海辺にとどまらない、マルチな生業形態だとか移動ということを行った人々が、まさしく海民だと思っているんですけれども。

そういう、内陸と海辺をどこで切るかという問題もあるので、なかなか海民の全貌をとらえ切るのは容易ではありませんでした。『縄文の思想』では、そんな捉えづらい「海民」に挑んだ思考の軌跡が綴られているとも言えます。

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プロフィール

瀬川拓郎

1958年生まれ。北海道札幌市出身。考古学者・アイヌ研究者。岡山大学法文学部史学科卒業。2006年、「擦文文化からアイヌ文化における交易適応の研究」で総合研究大学院大学より博士(文学)を取得。旭川市博物館館長を経て、2018年4月より札幌大学教授。主な著書に、第3回古代歴史文化賞を受賞した『アイヌ学入門』(講談社現代新書)をはじめ、『アイヌの歴史』『アイヌの世界』(ともに講談社選書メチエ)、『アイヌと縄文』(ちくま新書)など。

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