——『縄文の思想』の中で、イチオシはどの部分でしょうか。
瀬川 是非とも読んでほしいのが、最後の章です。僕は最終章というのは、ある意味で縄文人の側からのプロテストになっていると思います。そしてもう一つには、北海道人としてのプロテストでもあるでしょう。アイヌの側からのプロテスト、あるいは、日本中の「周縁」にいる人々のプロテストと言ってもいいかもしれません。
そこもやっぱり、自分が北海道民であるということに端を発するのかも知れないんですが何と言うんでしょうかね。「本土的」じゃないもの、日本的じゃないものからのプロテストみたいな視点です。自分では、どこか本土を相対化するというか、日本を相対化するような視点は常に皆が持っている必要があると思っていますが、「縄文」という立ち位置はそこで、「自分を相対化するときの拠りどころ」として成り立ちうるんじゃないかなと考えています。
——相対化のきっかけとして、たとえば本書で何度も触れられている「贈与」という発想もキーワードになると思います。
瀬川 そうですね。アイヌの社会を考えると、それが「贈与」で成り立っているということはしばしば言われます。他方で「海民」のことを調べていくと、彼らにも独特の社会原理があったことがわかりました。それがどうも「贈与」であるらしいとわかり、衝撃を受けました。
とするならば、縄文的な人々、縄文性をとどめてきた人々が大事にしていたのが、「贈与」の社会。それも、資本主義的な原理に与しないような社会を大事にしてきたわけですね。「ああ、やっぱりこれは日本列島の不変の原理だったんだな」ということに気が付いたんですね。
そしてもう一つ、この本を書いているうちに、大きな衝撃を受けたのが、最終章で紹介している徳島県・海部町のお話でした。
洋医学者の方で、日本の自殺についてずっと研究をされていた方がいて、その人が、日本で一番自殺率が低いと言われる海部町に注目し、何年も通って調査をしています。どうして自殺率が低いのか、その研究を読んで非常に驚いたんですね。
ちょうど自分が調べ始めていた「海民」の気風を、この海部町の人たちもまさに受け継いでいたんです。その後で調べてみたら、自殺率が低いトップテンの市区町村は全部が「島」なんですよね。ひょっとすると、それは今でも「縄文の思想」が残っている海辺の地域なんじゃないかと。
そして、それは実はとても生きやすい世界なんじゃないのかなと。縄文時代のそのままの形で思想が残っているわけではないでしょうけれども。それがどういう世界かというと、他人に強制しないだとか、人と人とが緩やかにつながりを持っているだとか。そんな形で、部分的に特徴を残しているんですね。その話を通して、まるで生の縄文を見ているような感覚になって面白かったです。
プロフィール
1958年生まれ。北海道札幌市出身。考古学者・アイヌ研究者。岡山大学法文学部史学科卒業。2006年、「擦文文化からアイヌ文化における交易適応の研究」で総合研究大学院大学より博士(文学)を取得。旭川市博物館館長を経て、2018年4月より札幌大学教授。主な著書に、第3回古代歴史文化賞を受賞した『アイヌ学入門』(講談社現代新書)をはじめ、『アイヌの歴史』『アイヌの世界』(ともに講談社選書メチエ)、『アイヌと縄文』(ちくま新書)など。