──ご自分のことを批評家ではないと言いますが、多方面で健筆をふるわれる荒木さんの活躍は、ひとつのテーマに深く入り込むという専門家・研究者の通俗的イメージを裏切るものがあります。
荒木 それは、私が在野であることと密接に関わっています。もし私が大学院生とか、あるいはアカデミック・ポストを得ようと思っているポスドクならば、私は明らかに本を出し過ぎているでしょう。書き過ぎている。アカデミックな学者はもっと禁欲的になるし、出す媒体も厳選すると思います。私は学者ではなくて、ただの在野研究者なので、その辺は不埒にやれる。恥知らずにやれるんです。
私は自分の「恥知らず性」みたいなものを深く自覚していて、それは私の良いところだと思いますよ。唯一の長所だといっていい(笑)。私は恥知らずだからこそ、こういう場に出て来て、ペラペラと言わんでもいいことを喋るわけです。YouTubeで他人の論文を要約・紹介する動画投稿をやったりね。ネット上で他の研究者の書いたものに触れるなんて危険すぎる(笑)。普通の学者だったらこういったことにはもっと警戒心を抱くと思います。
私がどうして恥知らずにふるまうかというと、日本文学研究それ自体が非常に先細りになっているとしか思えないからです。そもそも日本文学研究には、残念ながら商品としての魅力がない。これは非常に問題です。
「学問っていうのは売り物じゃないんだ!!」みたいなことを院生や学者の方々はよく言うわけですが、そしてそれも結構なことなわけですが、しかし、もし本当に商品として成り立たない世界が到来したら、出版社は学者が書くような専門書の刊行を引き受けてくれなくなるでしょう。このリアリズムを、わかっていないと思います。研究を持続可能な活動とするためには、少なくとも資本主義社会においては、ある程度、商品として成り立たせなければいけない。そのためにはどうすればよいのか。ある種の恥を捨てなければいけない。言い換えれば、アカデミックな共同体のメンバーから陰で馬鹿にされることをよしとせねばならない。
ところが、これは在野であることの長所かもしれませんが、私はそんなことされても大してダメージないんですよ。そもそもそこで生きてないんで、みたいな感じですから。だから、私は研究者にしては珍しく「売れたい、売れたい」と思っているし、公言もしているわけです。それが学問を持続可能にしていくための、私なりのコミットメントなわけです。
プロフィール
1987年東京都生まれ。在野研究者。2015年、「反偶然の共生空間──愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人賞優秀作に選ばれる。著書に『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『仮説的偶然文学論』(月曜社)、『無責任の新体系──きみはウーティスと言わねばならない』(晶文社)などがある。最新刊は『在野研究ビギナーズ──勝手にはじめる研究生活』(明石書店、編著)。