──恥知らずどころか、実に真剣に学問、とりわけ人文学の持続可能性について考えていらっしゃるように見受けました。むしろ、荒木さんのような人こそ大学にいるべきではないのかとも感じました。あえて在野研究という道を選ばれたのはどうしてですか?
荒木 大学院の修士課程で私を担当してくれた指導教授は、教育ということに非常に強いこだわりを持っていた人でした。教員免許を取らないと、博士後期課程に行かせないよ、という方針なんです。ただ、残念ながら、私は教育という仕事にまったく興味が無かったので、その時点でかなり道が遮られていたところがありました。
教育、特に学校教育に対してあまり「面白くないな」と思う理由は、毎日決められた時間に教室に行って1時間とか90分とか席に座ってなければいけないとか、あと友達と交流せねばならないとか、そういうどうでもいい制約をクリアしないと知にたどり着けない附属ハードルの多さにあります。忍耐力とか協調性とかを養うことには興味が持てない。そして、そういった力をつけさせたいと思うほど他人に興味がないのです。
いまの時代、知にアクセスするためのチャンネルも色々ありますよね。インターネットはその最たるもので、私自身はよくも悪くもネットから大いに学んだという反省があります。実際に、『在野研究ビギナーズ』に寄稿してもらった人たちのほとんどは、ネットでのつながりをきっかけにして、知り合ったのです。
それから、これは私個人の非常に限られたアングルからの物言いに過ぎないのですが、大学の教員たちが楽しそうに暮らしているようにはどうしても見えなかったんです(笑)。先生たちはいつも忙しそうだし、ストレスも抱えているし、大変だなという印象がありました。そういう姿を見ていると、「私がやりたいのはこれじゃないな」と思う。そういう意味では、大学教員に憧れはありませんでした。
「俺がやりたいのは研究であって、教育じゃない。このまま志を大事にしよう」と思った時に出てきたのが、「在野研究者」という肩書でした。
プロフィール
1987年東京都生まれ。在野研究者。2015年、「反偶然の共生空間──愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人賞優秀作に選ばれる。著書に『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『仮説的偶然文学論』(月曜社)、『無責任の新体系──きみはウーティスと言わねばならない』(晶文社)などがある。最新刊は『在野研究ビギナーズ──勝手にはじめる研究生活』(明石書店、編著)。