プラスインタビュー

なぜいま「在野研究者」なのか

『在野研究ビギナーズ』編著者・荒木優太氏インタビュー
荒木優太

──批評家でもなく、大学教員でもなく、在野研究者という肩書で活動することの意味はなんでしょう?

荒木 「在野研究者」という肩書は、職業とか立場とか社会的な属性といった、自分を縛るものを相対化するための戦略であって、在野研究者はかくあらねばならないというようなことを言うつもりはまったくありません。「在野研究(者)」というのは一個のタグ、私の理解では、ある局面での分類や紹介に使えるメタテクストであって、本質的にはそれ以上でも以下でもないでしょう。

「私は〇〇である」といったアイデンティティは一方では重要なものですが、他方では同時に自分を縛るものでもあるわけです。さっきの批評家の話と同じです。本当は批評的テクストこそが大事なのに、いつのまにか批評家になるならないという論点ばかりが肥大化していく。で、それにすがらないと自分が自分でいられない、みたいな話にすり替えられていく。ただ、その「自分」なるものは、往々にして様々な状況の中で変わっていくものです。私ももしかしたらそうかもしれない。この変わり方のなめらかさを確保しながら、複数の「自分」への責任を手放さないにはどうしたらいいのか、これを論じたのが『無責任の新体系』でした。そこでの考察は「在野研究(者)」にも通じるものです。

──今後も在野研究者として、活動を続けられるつもりですか?

荒木 たぶんそうなるでしょう。一応断っておきますが、私個人は在野研究という言葉を使ってはいますけれども、人にそれを強要するつもりはありません。もし使いたければ誰が使ってもいいし、使いたくなければ使わなくてもいい。使ってみて合わないと感じたら、端的に飽きたら、使うのをやめたらいい。そしてある肩書を放棄したからといって、その活動のほうまで自粛せねばならない道理などありません。

「在野」という語が嫌ならばもっと別の選択肢もあります。例えば寄稿者の逆卷しとねさん(共生論)は「野良研究者」と言っています。「独立研究者」という言い方はもっと一般的ですね。いろいろな接頭辞を付けて、名乗りたければ勝手に名乗ればよいのです。根本的には下らない話です。

反対に、もしその「下らない話」にどうしても執着してしまうのならば、つまり肩書によって自分の輪郭が伸びたり縮んだりしてしまうような不安を感じるのならば、「勝手に名乗る」という行為によって自分自身を鼓舞し、学問への構えをリセットしてみてもいいでしょう。言葉はなんでもかんでもできるわけではないですが、それぐらいのことならばそれなりに期待できるものです。大事なのは、言葉ではなく、言葉の効果のほうです。私はプラグマティストなのでそう考えます。

 

すっかり煙に巻かれてしまったが、実は念願の有島武郎論をはじめとして、すでにいくつかの企画が始動している模様。気鋭の「在野研究者」の次なる戦略が楽しみだ。

在野研究者・荒木優太氏

 

文責:広坂朋信/写真:野崎慧嗣

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プロフィール

荒木優太

1987年東京都生まれ。在野研究者。2015年、「反偶然の共生空間──愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人賞優秀作に選ばれる。著書に『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『仮説的偶然文学論』(月曜社)、『無責任の新体系──きみはウーティスと言わねばならない』(晶文社)などがある。最新刊は『在野研究ビギナーズ──勝手にはじめる研究生活』(明石書店、編著)。

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