著者インタビュー

日本社会に広がる「ことばの危機」という大問題

国語という教科を「実用」で覆い尽くすことの落とし穴
阿部 公彦(あべ まさひこ)

次が沼野充義さん。『ことばの危機』では第二章を担当され、全体の中でも長めに書かれています。元々、草稿段階での枚数はもっと沢山あったものを、かなり削られたそうです。

沼野充義氏(写真提供:東京大学文学部広報委員会)

沼野さんはとても挙げ切れないくらい、ご著書がたくさんあるのですが、最新著の一つがこの『徹夜の塊3 世界文学論』(作品社)。700ページ以上あって重い本です。

『徹夜の塊』はシリーズもので、私が聞いたところでは、確か沼野さんがだいたい一晩徹夜して書けるような、原稿用紙で20~30枚くらいの文章をまとめて書籍化されたものだということです。つまり、とても巨大なカタマリに見えますが、割とコンパクトにまとまった文章が沢山入っているんですね。

なんといっても、メインタイトルが『世界文学論』。世界文学論といっても茫漠としていて、どう考えていいかわからないという方もいらっしゃるかもしれませんが、沼野さんは昔から「世界文学」という概念にこだわっておられて、この巨大な概念をどう処理するか、ということにずっと取り組んでこられました。

この本を読むとつくづくと感じることですが、巨大なものを語るのに巨大なことばで語ろうとすると、意外とダメなんですね。巨大なものを語る時には、意外と普段から使うようなことばで語った方が良いこともある。

あるいは、非常に具体的でなまなましい部分だとか、泥臭い部分に入っていった方が、かえって巨大なものを語ることができることもあります。『徹夜の塊3』の文章はとても具体的なので、決して大きな看板を振り回したり、空論をひたすら続けていって何を言っているのかよくわからない、などということはありません。非常に読みやすい一冊です。

さて、そんな沼野さんがご担当の第二章ですが、沼野さんご自身の翻訳論に関する文章が、2019年度のセンター試験現代文で出題されたんですね。それを引用しながらちょっといじるというか、「批判する」のではなく、非常に懐の広い、肩の力の抜けた面白い扱い方をしています。

たとえば、問題を自分で解いてみて「よくわかりませんでした」と述べられているところもあれば、「別解もあるんじゃないか」と探っていたりもする。また、「正解と間違いをそんなにはっきり分けるのもかわいそうだ」というお話もされています。

章の冒頭から、少しだけ文章を引用してみたいと思います。

 

“文学の表現の特徴として忘れてはならないことがあって、国語教育や国語の試験の際にもきちんと考慮されるべきだと考えます。それは、いろいろな問題に対して、答えは一つではないということを文学ほどはっきりと示すものは、ほかにないということです。文学表現では曖昧であること自体にむしろ意味がある場合さえあります。”

 

そんな話がひとつの柱になっています。そしてもうひとつは、ローマン=ヤコブソンの議論の紹介です。なんといっても沼野さん、ご存じのようにポーランドやロシアの文学がご専門です。ロシアにはロシア・フォルマリストという、ことばの形にいち早く注目した研究者の集団、それから文芸批評の伝統というのがあるんですね。100年ぐらい前から、例えば物語の構造分析なんかを始めている。

そうした流れの中で、ヤコブソンや文芸批評家のミハイル=バフチンのような学者も出てきて、今でも我々が色々と参考にしなければいけない理論を沢山打ち立てています。

第二章の中では、そんなヤコブソンのコミュニケーション理論のごく土台の部分、枠組みの部分が紹介されています。以下は本文からの引用と、それを図示したモデル図です。

 

“ヤコブソンは言語表現を一種の伝達(コミュニケーション)の仕組みと見なしたうえで、その伝達行動を成立させるために必要な六つの要素を挙げます。まず発信者(話し手)と受信者(聞き手)がいなければ、コミュニケーションは成り立ちません。この二人が会話を行う具体的な場(文脈)も必要ですし、二人が接触できなければやはりコミュニケーションは成り立ちません。(中略)そして伝達の乗り物となるのが言語(より広く言って”code“、つまり符号の体系)で、それに乗って運ばれるのがメッセージです。”

“いずれにせよ、ここで申し上げておきたいのは、こういう様々な要素や機能が複雑に絡み合って成り立っているのがコミュニケーションだということです。そのうちのどれか一つだけ、例えば情報伝達だけを取り上げて試験して、人間の言語能力を評価しようとするのは根本的に無理があるという自覚が必要です。”

ヤコブソンのコミュニケーション論を構成する六要素の関係を図示したもの(作成/MOTHER)

 

これを見るだけで、「今の国語政策、大丈夫かい?」と言いたくなるような、そういうポイントがすごく明瞭にわかる。そんなお話をされています。

せっかくなので、余談を一つだけ。現代文芸論研究室で出している『れにくさ』という論集があります。翻訳家の柴田元幸先生が退職された時も、『れにくさ』の巨大な電話帳みたいな二部構成のものが出ました。

2019年度をもって沼野さんも東大を退職されましたが、その時にも巨大な二部構成のものが出ています。私はその中に本当にヒョロッと、原稿用紙10枚くらいの文章を寄せています。私にとっては思い出深いことを書きました。題して、「沼野さんとへその話」。画像をTwitterに上げてありますので、ご関心のある方はご覧ください。

https://twitter.com/jumping5555/status/1302803616273543168

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プロフィール

阿部 公彦(あべ まさひこ)

1966年神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1997年、ケンブリッジ大学大学院英語英米文学専攻博士課程修了。専門は英米文学。著書は『文学を〈凝視する〉』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『史上最悪の英語政策――ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房)、『理想のリスニング:「人間的モヤモヤ」を聞きとる英語の世界』(東京大学出版会)など。

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