著者インタビュー

日本社会に広がる「ことばの危機」という大問題

国語という教科を「実用」で覆い尽くすことの落とし穴
阿部 公彦(あべ まさひこ)

続いて、第三章のご担当が納富(のうとみ)信(のぶ)留(る)さん。哲学がご専門で、ご著作は『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)、『プラトン 理想国の現在』(慶應義塾大学出版会)など。プラトンに関する国際的な学者でいらっしゃるわけですが、そのプラトンから始まって、哲学全般に広がっていく、非常に柔軟な思考を展開されている方ですね。

納富信留氏(写真提供:東京大学文学部広報委員会)

シンポジウムでご一緒した先生方は、納富さん以外の全員が語学・文学系です。なので、大体考えていることは共通するし、大事だと思っている論点も価値観も大体わかるんです。もちろん、実際のご講演を聴いて「ああ、良いこと言うな」とつくづく感じたりもしたんですが、今回のシンポジウムで何よりも感動的だったのは、この納富さんの哲学の視点からの発表でした。

ご指摘されることが、もう本当に「まさに仰る通り!」と言いたくなるようなことばかり。文学・言語学関係の他の先生方に勝るとも劣らず、哲学の先生が「なるほど!」ということをズバリと仰ってくださり、それが本当に私にとっての収穫でした。なので、今回は少し多めに引用してみたいと思います。

第三章では、本当に重要なポイントがいくつもあるのですが、まずは幾つか引用してみましょう。

 

“国語をめぐって起こっている問題の本質は、一体何でしょう。それは、「ことばをツールだと思っている」ところにあるのではないか、これが私の基本的な見方です。つまり、ことばの捉え方が根本的に間違っているのではないか、そう考えています。” 

“目下の議論において、「論理国語よりも文学国語が大事だ」と主張しても、「両者の区別が不適切である」と言っても、もしツールという見方の上に立って発言するとしたら、有効な批判にはならない。いや、結局は相手と同じ土俵に立っていることになるのではないでしょうか。”

 

そういう話から段々と、非常に深い話に入っていきます。

 

“基本的に、ことばは道具扱いされている。それによって、私たち人間も道具扱いされています。”

“ここで生じる最大の問題は、ことばを大切にしないことで、おそらく、人権や民主主義や自由といった、私たち人間が長い間ことばを通じて培ってきた価値について、非常に大切な部分が決定的に損なわれる危険があることです。”

“では、本来ことばをどのように捉えるべきかと言うと、皆さんは驚かれるかもしれませんが、「ことばは私自身の存在だ」というのが私の、哲学の立場からの主張です。”

“私たちが生きるこの世界も、ことばで成立しています。私たちが生きることとこの世界そのものの存立が、ことばという根源的な基盤において不可分な仕方で成り立っているのです。”

 

と述べられています。このあたりは、より詳しくは是非とも『ことばの危機』の本文をお読みいただきたいところです。

それから、さらに別の論点ですが、

 

“ことばにはもう一つ重要な面があります。現代ではあまり強調されませんが、ことばとは、何よりも「超越」という哲学の契機です。つまり、私たちが生きているこの場を超えるのは、ことばなのです”。

“私がもう死んでいるような世界、あるいは私たちが生まれる以前、さらにビッグバン以前の世界を私たちは考えたり、思い描いたりすることができます。それを可能にしてくれるのが、ことばというものです。”

 

と指摘されています。

これは私なりの理解ですが、「物の世界」から人間が自由になることができるのは、やっぱりことばのお陰だと思うんですよね。しかし現在は、本当に「物」と「ことば」を一致させようとする衝動みたいなものが強すぎて、「物の世界」から自由になる、ということの重要性がだんだんと忘れ去られているような気がします。

だからこそ、この「超越」という視点は大切だと思うわけです。ただし、ひょっとすると納富さんはもっと他の、より広いことも視野に入れておられるのかもしれないので、このあたりで止めておきたいと思います。

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プロフィール

阿部 公彦(あべ まさひこ)

1966年神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1997年、ケンブリッジ大学大学院英語英米文学専攻博士課程修了。専門は英米文学。著書は『文学を〈凝視する〉』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『史上最悪の英語政策――ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房)、『理想のリスニング:「人間的モヤモヤ」を聞きとる英語の世界』(東京大学出版会)など。

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