著者インタビュー

日本社会に広がる「ことばの危機」という大問題

国語という教科を「実用」で覆い尽くすことの落とし穴
阿部 公彦(あべ まさひこ)

そして第四章のご担当が、現・文学部長の大西克也さん。ご著書には『戦国縦(しょう)横(こう)家(か)書(しょ)』(東方書店、共著)などがあります。今回の新書では「ポライトネス」(politeness)ということについて触れられています。

大西克也氏(写真提供:東京大学文学部広報委員会)

少し本文から引用をしてみましょう。

 

“私たちは会話をする時、絶えず相手が話題に対してどのような知識や感情を持っているかを推し量りながら表現を探したり変えたりしています。”

“たとえば今回のシンポジウムの司会者を務められた安藤先生が、昨夜テレビに出演してとても面白いことを言っていたとしましょう。それを私がパネリストの阿部公彦先生に伝えたくて、「昨日安藤さんがテレビでこんなことを言っていましたよ」と話しかけても、全く不自然ではありません。ところが同じ言葉を初対面の人にいきなり投げかけたら、相手はきょとんとしてしまうでしょう。「安藤さんって誰ですか?」と、不審に思われるかもしれません。”

“固有名詞をいきなり使って自然な会話が成立するのは、話し手と聞き手の間に対象に対する知識が共有されていることが前提になります。”

“このように言葉遣いや表現の点で人間関係に配慮することを、言語学では「対人配慮」とか「politeness」という用語を使って表しています。”

 

このポライトネスについては、ご専門で有名なのは滝浦(たきうら)真(まさ)人(と)さんという方で、啓蒙的な入門書を沢山書いておられます。その滝浦先生のお弟子さんである、椎名美智(みち)さんという方も積極的に発言されています。私もちょっとポライトネス関係は興味があるので、専門外ではありながらも、時々触れさせてもらっています。

ポライトネスとはどういうことか、滝浦さんの説明などを基に私なりに説明をさせてもらいます。人間同士というのは、実はやり取りする時に「距離」を調節しないとうまくいかないのであると。その距離の調節というのは実は非常に微妙で、我々はどちらかというとメッセージのやり取りの方、つまり中身にばかり目が行ってしまうんですけれども、実はその「距離」の間合いのはかり方や、調節のためのやり取りに色んな文法があったり、そこに言語操作に近いような色々なメカニズムが働いていたりすると。

そんな領域について解明していこうという動きが、20~30年ほど前から、あるいはもう少し前ぐらいからでしょうか、ほとんど文学と言語学を超えた、社会学とか人類学とかそういう領域にまで広がっていきました。面白くやると非常に面白いのですが、ちょっとカタく研究し過ぎると行き詰まってしまう。やり方が難しいんですね。大西さんは今回、それを非常に面白い形で、「忖度」ということばに注目しながら説明してくださっています。

どういうことかというと、要するに「距離」というのは別の言い方をするならば、「自分と相手がどれぐらい情報を共有しているか」ということでもあります。だから、私がわかっていることを、相手はどれぐらいわかっているか、ということを絶えず予測しながらやり取りをする必要があるんですね。それは一種の「距離感の調節」なんです。

だから、相手がわからないような人を突然持ち出して、例えば「うちのクラークさんが~」などと言っても、たぶん誰もわからないわけです(注:クラークさんは英文学研究室での同僚の先生です)。

そういうことをせずに、「うちの同僚にクラークさんという人がおりまして、送ってくる英語のメールを、なぜかぜんぶ小文字で打ってくるので読みにくいんですよ」みたいなことを前置きとして言った上で、「そのクラークさんがこんなことを言いました」と言えば、ようやくわかるわけですね。

この領域って、ものすごい広がりを持っているというのは、たぶんおわかりになっていただけると思うんですね。そうした「距離感」をどのように調節するかということばの技術が、これからどんどん発展していくんだと思います。現在でもSNSとか色んな問題がありますけれども、これからどういう風にその距離を調節していく、そのためのことばの技術が生まれていくのかな、というのは気になるところですね。

そんな話をしてくださったのが、大西さんでした。また、大西さんはなんといっても古代中国語の専門家ですから、漢文のことについても、新共通テストのモデル問題を引用しながら鋭い指摘をしてくださいました。詳細は新書の本文を読んでみていただけると幸いです。

最後に言い忘れてしまっていたので、一言だけついでにいっておくと、文学部の中国文学・中国思想の先生方というのは皆さん非常にジェントルマンなんですが(決して他の専門の先生方が野蛮人ばっかり、という意味ではありません!)、そうした中でも大西さんは非常にジェントルマンでですね、私は心の中でいつも「ジェントルマン学部長」とお呼びしています(決して他の学部長が野蛮人ばっかり、というわけではありません!)。

学部長という非常に難しい立場でありながら、決して荒れたりすることもなく、声を荒げることもなく、丁寧に我々と接してくださって、すごい先生だなといつも思っています。

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プロフィール

阿部 公彦(あべ まさひこ)

1966年神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1997年、ケンブリッジ大学大学院英語英米文学専攻博士課程修了。専門は英米文学。著書は『文学を〈凝視する〉』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『史上最悪の英語政策――ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房)、『理想のリスニング:「人間的モヤモヤ」を聞きとる英語の世界』(東京大学出版会)など。

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