会社がしんどい。でも「おりる」のは怖い。どうしたらいいですか?
渡辺 では、ここからは、お客さんと、飯田さん、伊藤さんとの質疑応答ということで、どなたかお聞きになりたいことがあれば、ぜひ。
Aさん 飯田さんは地方で暮らされたことってありますか? 日本でも海外でも。あるいは田舎とか。
飯田 日本では小さい時から東京で育ってきたので、地方で暮らしたことはなかったんですが、スペインに行ったときは人口が15万人くらいの街で、街の端から先は砂漠みたいなところだったので、完全に田舎でした。
伊藤 きっと土地との相性もあるんでしょうね。スペインは楽しかったですか?
飯田 楽しかったですけど、スペインは日本と都市の作りが違っていて、とくに内陸部は荒れ地みたいな風景がずっと続いているんです。その中にポツリポツリと集落や村があるかんじで、荒れ地の中に突然街ができているという作りなんですよ。だから、街の中は都市なんだけど、まわりには何もないので規模は田舎、というか。説明が若干難しいんですが、僕が住んでいたところも1年暮らすとすべての店を知っているみたいな状態になって、そのいいところもある反面、でも飽きてくる部分もあるので、按配が難しかったですね。
Bさん そのスペインの街で暮らしていて、なぜ競争の激しい東京に戻っていらっしゃったのですか?
飯田 少しスペインの話を補足すると、僕が行った街は、マドリードから北西方向に行ったサラマンカっていう街で、古くから大学があるところで住みやすいんですよ。日本人からの留学生もそれなりに来ているようで、住民の方々も留学生慣れしているし。ぼくは30歳になってから行ったので、語学留学で1年間小さい語学学校に通いました。だから、その町を選んだ理由は過ごしやすそうだな、ということでしたね。
じゃあ、なんでそもそもスペインにしたのかっていうと、この本でもちょっと書いているんですけれども、僕は映画が好きで、日本でさんざん不毛な20代を送ったから、アメリカに行って映画の勉強でもしようかと思ったんですが、アメリカはあまりにも各種の費用が高すぎて行けない。その次に思いついたのがスペインで、スペイン映画や料理に興味があったのと、アメリカなどの英語圏よりも物価が安いことも理由でした。サラマンカだと、食費と家賃とお小遣いなど、全部含めて生活費は2018年当時で8万円くらいだったので、その面でも暮らしやすかったですね。と思って。極論を言えば、別にスペインじゃなくてもどこでもよかったのかもしれませんが。
日本を一時期離れるということが一番重要な目的でしたから、現地ではスペイン語の勉強も友達作りも、移住の模索などといったこともあまり力を入れることはありませんでした。一年間暮らしてお金も尽きる計算だったので、ちょうどサラマンカで1年間暮らした後、実家があるので東京に帰ってきました。
伊藤 どうですか、東京の実家に戻ってきて、このバトルシティは?
飯田 スペインに行っていたのはたった1年で、しかも日本に帰ってきて5年くらい経っちゃったんですが、でも一度外国へ行くと距離の取り方にも慣れてくるので、東京でもあまりバトルバトルした場所には行かないようになりました。
渡辺 実家暮らしって、否定的なニュアンスで語られることが多いような気がするんですが、あれはなぜなんでしょう。実家暮らしってじつは結構コスパもいいし、 そんなに悪いことではないようにも思うんですが、若い人が「早く家を出なさい」と言われることは多いですよね。
伊藤 僕は田舎が香川県なので、実家を出るどころか家を建ててこそ一人前みたいなカルチャーが残っていて、空き家があるのに無駄に家がどんどん建っていく、という不思議な現象があるんですけど、どうも勝手に作られた〈一人前〉というゴールが設定されている「謎の慣習的な一人前思想」はあると思いますね。
渡辺 さすがに東京で家を建てるのは現実的じゃないから、せめて実家ぐらいは出なさい、ということなんですかね。
伊藤 そうなんじゃないかと想像しています。でも、それも現実的には難易度が上がってきているから、「別にもういいや」ってなってしまうところもあるんじゃないかと思うんですけどね。ただ、そもそも東京近郊に実家がない人は大変ですね。
Cさん 私は新卒で入った会社にずっと勤めていて、一度少し休職したんですが、また元の職場に戻ったんです。自分と仕事が合ってない気もするし、戻ってもしんどいんだけど、でも他のことはやったことがないから怖いんですよね。いろんな本を読んだり話を聞いたりしても、自分にそれができる気はしなくて……。でも皆さんは、いろいろ悩まれつつもそちら側で本当に頑張っていて、そういう生き方を続けることができたのはどうしてなのか。「おりる」ことへの恐怖ってなかったのかな、と思うんです。
飯田 なんかちょっとこう、うまく説明できるか微妙なところもあるんですけど……。本の中ではひとことで「おりる」って書いているけれども、おりている部分とおりていない部分は当然ひとりの人間のなかに共存することもあるだろうと思っていて、例えば、ぼくは完全に「おりちゃった人」なのかというと、確かにおりた面もある。例えば就職活動をしていないとか、会社勤めやフルタイムの仕事をしようと思っていないとか、実家暮らしをしているとか、そういう面もあるんですが、じゃあ全部おりきっているのかというと全然そうじゃなくて、やっぱり働かないと生活費がないからアルバイトをするという意味ではおりてないのかもしれない。実家が解散になったら、どこかに勤めなければいけないということも、当然出てくる可能性があるわけですし。
ただ、例えば会社を辞めるとか実家から出るのは、個人にとってすごく大きな行動なわけで、そういう大きな行動、大きめの「おりる」とは違うレベルで、より小規模に何かから「おりる」ことはできるかもしれない。例えば、会社を辞めるまでいかないまでも、外へ出た際にあえて少しサボってみるとか…あんまり言うとハウツーっぽくなってきそうで難しいですが。
伊藤さんの『イドコロをつくる』の中で、日本社会に生きる人たちの課題として、会社と家族への依存ということが提起されていました。日本は家や会社が人々の居場所として大きくなりすぎていて、それ以外の居場所をあまり作れてない。だから、少し自分がラクに呼吸できる〈イドコロ〉をなるべくつくることが、個人にできる部分なのかなって。そういうことが書いてある本なんですが、ここにも会社を辞めるとか外国へ移住するといった大きめの「おりる」とは違う、ひとつの手がかりがあるのかなと思います。
伊藤 「イドコロをつくる」というのは、サードプレイスみたいなものよりももっとささいな空間が実は多種多様にある。それを見つけることは重要ではないか、という本です。「稼ぐ」とか「稼いだ人」のご高説はメディアによく登場しますが、ささやかなイドコロについて語られることは地味なので多くない。でも、各々が気に入った散歩ルートがあることは、とても意味があると思うし、そう意識してみると実はすでにけっこうやっていたことを認識したり、これから探してみよう、ということになればいきなり「ナリワイ」をつくれ、という手前の基盤になる、あるいは「不安」に対抗できる素地になるんじゃないか、と考えてまとめた提案でした。
この前もスーパー銭湯に行ったら、露天風呂にいた20代の若者グループの中で一人が陰謀論を力説している場面に遭遇して、こりゃ大変な世の中やと思いました。そのグループの友人も「やれやれ」という顔をしながら相手をしていたので、まだマシなケースかもしれませんが。
このご時世に不安の原因を全部除去できないにしても、ある程度の耐性を保てるような生息環境を手入れすることは個人でもできる余地があると思います。
ただ、「イドコロをつくる」とか「何かからおりる」ことを目的化してしまうとつまらなくなってしまう場合もあるので、これでむずかしいところもあります。例えば、パンを焼くことができれば今の場所から脱出できるかも、と考えてパンを焼くと途端につまらなくなるけど、「楽しそうだしやってみるか」と思ってやっているうちに、それがいつしか自分のナリワイのひとつになっていく方が、チャレンジもしやすいし、いいんじゃないかと思います。それが妨げられているというか、気軽にやれないようにハードルを上げる圧が、何となくかかっている風潮は感じますね。そういうわけで、私は仕事になるナリワイ以外にも、ブロック塀をハンマーで壊そう、みたいなこともやっているんですが。
飯田 伊藤さんは実際にブロック塀を壊す活動をしているんですよ。
伊藤 「ブロック塀ハンマー解体協会」というのをやっていて、といっても一人しかいませんけど、名乗る分には別にお金もかからないし、言うだけ言って、でもせっかくなので1ページ完結のサイトを作ってある。ブロック塀を壊して、目の前の壊れた壁を見て「よくやった」という気持ちが湧いてくるのがいいなと。そしてサイトのお陰で、実際にときどき依頼があって、呼びかけると初対面の人が集まり、一緒に壁を壊す、そこで解散。そういう機会があるのはいいもんです。
渡辺 他にも質問のある方がいらっしゃれば……。
Dさん これから次に何か書いてみたいことはありますか。
伊藤 それはいい質問ですね。次、気になりますよね。
飯田 この連載をしていた時にもう一本、二本立てで連載していたものがあって、それは今ストップしちゃってるんですが、その連載を再開できるのならしたいなと思っています。
僕の父方の祖父はマルクス主義の物書きというか活動家で、すでに亡くなっているんですが、とてもたくさん本を読む人だったんですね。祖母はその家で今も元気に一人暮らしをしていて、まだ母屋の横の書庫に10万冊くらいの本が置いたままになっています。書庫にはマルクス主義の本だけじゃなくて自然科学や農業や、とにかくいろいろな本があるので、その中に入って、今読んで面白そうな旧刊の本をレビューする、という内容です。
渡辺 連載なので、検索していただければ出てきます。『祖父の書庫探検記』というタイトルです。
飯田 できればその続きを書きたいと考えていて、あとは、映画だとゴジラについてちょっと書きたいなと思っています。伊藤さんは、今後書きたい本はありますか。アニメ茶碗の活動は……。
伊藤 昭和のアニメ茶碗とアニメを手短に紹介する連載ですね。僕はこの10年、給湯室を茶室に見立てた茶道グループに所属していて、これも一つのイドコロですが、この一派が昭和のアニメ茶碗を名物にしています。名物集でも作ろうと思って、過去のアニメ作品の話をしつつ茶碗の見どころを解説する、という連載をしています。ちょうど今、自分の子供が小さくて、この機会にと思って、クラシックなアニメを見ているんですが、やっぱり名作は今の子供にも受けるんだなという発見がありました。改めて見ると、むしろ今見るべき作品が結構多いようにも思うので、基本は茶碗の紹介の気楽なショートコラムでありつつ、過去のアニメ作品を振り返っていく連載です。
あと、これは僕がやるかどうかは別として、最初にも話しましたが、10年前に新しい働き方を提唱して煽った人たちが今はどうしているのか、みたいな本は誰かに作ってほしい。地道に続けている人もいれば、そっちにいってしまったのか!という人もかなりいて、路線が変わること自体は悪いことではないですが、言いっぱなし、やりっぱなしでちゃんと検証しないのは、やっぱりいかんと思いますよ。
取材・文/西村章 撮影/五十嵐和博
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる
いとうひろし
1979年、香川県出身。京都大学にて農学・環境科学を専攻し、修士号(農学)取得後、企業の創業に従事するも早期退職。以後、大資本を必要としない仕事と活動をナリワイ(生業)と定義し研究と実践に取り組む。著書に『ナリワイをつくる』、共著に『フルサトをつくる』(ともに東京書籍、後にちくま文庫)、『イドコロをつくる』(東京書籍)などがある