スペインから帰国し、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人となった書き手の新連載「はしっこ世界論」。映画や小説を通して社会を見据えた「気張らない文化批評」を目指す「『無職』の窓から世界を見る」との二本立てで、新たに綴るのが「“祖父の書庫”探検記」だ。
祖父が残したぼう大な書物を掻き分けるように少しずつ片づけてゆく著者は、玉石混交ともいえる古びた蔵書群のなかで次第に、スピードや変化とは無縁だからこその、現代社会を理解する手がかりを見つけていく……。
30歳になった文筆家が、若き読者に向けて送る珠玉の「旧刊紹介」。
ひと昔前の本、若い世代にはあまりなじみがない著作家たちの文章から今何か受け取れることがあるんじゃないか、と最近思うようになった。
物書きだった祖父の書庫には今でもぼう大な数の本が残されている。祖父は10年ほど前に亡くなり、祖母は母屋で一人暮らしをしている。30歳になったぼくは祖母の家に遊びに行くついでに、時々家の脇に建つ祖父の書庫に足を踏み入れ、本を整理している。
ほこり、カビ、虫の死骸、古いクモの巣、暗い屋内にねむる何万冊もの本。ここは本の天国か、はたまた地獄か。有名な作家、学者などの本もあれば、だれがなんでこんな本を書いたのか、と思わされるものもある。そして、棚に入りきらない本は通路にうず高く平積みにされて、その中にぼくなどは名前を知らないが、Googleで検索すればWikipediaのページがあるような、ひと昔前の書き手の本を見つけることができる。今は半ば忘れ去られつつあるが、上の世代には有名だった人たちだ。
TwitterなどのSNSをのぞくと、日々新しい本、新しい書き手、議論を見つけることができ、それはそれでいいのだが、そのスピードは目まぐるしい。祖父の書庫で見かけるような、忘れられかけている書き手や概念、思想から、なぜ今世の中がこうなっているのか、なぜ自分の生活がこうなのか、といったことを考えてみることも大事なんじゃないか、と思った。
というわけで、この連載では、時々ぼくが祖父の書庫に入り見つけた、比較的古い本を取り上げ、主にSNSなんかを見て疲労しているぼくのような人たちに、これを一緒に読んだらどうですかね、と紹介しつつ、ものを考えることをやっていきたい。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。