対談

年をとったことで、無理をしていた自分から自然におりられた

飯田朔×pha

イメージが定まりかけたら壊したいという気持ちがすごくある

飯田 熊野の古民家を改修していた時代のphaさんたちといえば、昼間がとにかく暑かったので、誰も動かずトドみたいにじっと寝ていた姿が印象的なんですが(笑)、今年になって久しぶりにphaさんがやっている高円寺の蟹ブックスに入ってみると、すごく綺麗なお店でびっくりしました。

pha そうですね。ちょっと社会性を身につけたかな。40代になって、社会的なことに復帰しようか、みたいな感じになりましたね。

飯田 それは40代のどのあたりからですか?

pha 僕は今45歳なんですが、40~41歳くらいはまだ30代の名残りがありました。42~43歳くらいから、今までどおりだといろいろと上手くいかないようになってきて、「ちょっと別のことをやろうか……」と考えるようになりましたかね。本屋の店番も、昔だったら絶対にできなかったけど、できるようになっていました。

飯田 できなかったというのは、接客するのが疲れるからですか。それとも座っていることがキツいからですか?

pha 店だと座っているだけでも常にちょっと気を張っているので、以前の自分なら、それだけで疲れてしまったでしょうね。最近は、ちょっと社会に適応しようという気持ちが出てきました。
 少し話を戻すと、僕らの若い頃はちゃんと働いて就職して家庭を作るという社会の規範がまだ強かったから、それに反抗して、ただ「何もしない」というだけでインパクトがあったんですよね。でも今は、何もしないだけではインパクトはなくて、社会からおりたい人でも、何か面白いことをしなきゃとか、「何者かにならなきゃ……」みたいなプレッシャーがあって、むしろ今のほうがきついのかも、と『「おりる」思想』を読んで感じました。

飯田 10~15年くらい前に僕が『ニートの歩き方』や伊藤さんの『ナリワイをつくる』を読んでいた頃は、IT 系やベンチャーに勤めたことがある人、あとは田舎暮らしや社会運動などの文脈とも関係している人たちが、そういった本を書いているイメージがあったんですけれども、最近はまたちょっと違う感じになっているように思います。ぼくが一緒にイベントをした鉄腸さんや小山さんにしても、小説やジャーナリズムといった少し前だとあまり「おりる」的なテーマと重ならなかった分野に身を置いているということが印象に残りました。

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

pha 今までのそういう文脈にいなかった人たちもそういうことを考え始めている、という印象は確かにありますね。

飯田 いろんな分野から出てくることはいいことなのかというと、そうでもなくて、時代や社会の状況が悪くなっているからではないか、という感覚を僕は持っています。別にちゃんとした裏付けがあるわけではなく、ざっくりとした印象にすぎないのですが。
 今日のイベントを企画してくださったUNITÉの西尾さんは、20代半ばで、僕は30代半ばでphaさんが40代半ばだから、ちょうど10歳ずつ離れているんですよね。西尾さんから見ると、自分の10歳ぐらい先で「おりる」みたいな本を書いた僕と、さらにその先で10年を振り返っているphaさんに関心があったんだろうと思います。二人を通して自分のこの先のことを考えてみたいのかな、と思いました。
 phaさんがそれまで自分のやってきたことを振り返って『パーティーが終わって、中年が始まる』を書いたのと、僕が『「おりる」思想』で一回り上の年齢の人たちによる本を取り上げて、そのエッセンスを取り出そうとしたのは、タイミング的には結構近いものがあったのかなあとも思います。

pha ひとつの時代が終わった時に昔を振り返って書く、という感じもありますね。僕のこの本も、そういう過去の振り返りという文脈で読まれてますね。あの頃いっぱいいた、「新しい生き方」をしてた人たちが少し老いてきて今どうなっているのか、誰かにまとめてほしい気もするな。

飯田 少し前に伊藤洋志さんとイベントをやった時(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/iida_itou/26445)、伊藤さんが「自分と同時期くらいに出てきた人たちが今何をやっているのか、ネットで検索してみると面白い」と言っていました。

pha ノマドとか言ってた人とか。

飯田 10年くらい前に、「おりる」みたいなことを書いていた人たちって、当時は大体同じような考えなのかと思っていたけれども、その後は「あれ、ちょっと道が分かれていったな」という風にも見えますね。

pha 僕自身は、昔は世間のあり方が苦手で、そこに対するカウンターとして何もしないとか「おりる」ことを意識していたけれども、最近ではあまりそういうことも考えなくなってきているんです。おそらくその理由のひとつは、この歳までくると付き合うのが似たような人ばかりで、普通の会社員っぽい人にあまり会わなくなっているからかもしれません。
 昔はたまに「働けよ」と説教してくる人がいたんですが、もうされなくなってくる。飯田君はされますか?

飯田 僕も35になるので、最近はされなくなりました。何歳くらいまでそういうことがありました?

pha やっぱり、35歳くらいが境目なのかもしれないですね。30代前半はたまたま会った年上のおっちゃんに「キミ、何やってんの?」と聞かれて「いや、何もやってないっす」って言ったら、すっげえ怒って説教が始まる、みたいなのがよくありましたね。登山をしていて山小屋で喋っていた時に、「やっぱりちゃんと働かなきゃいかんよ」みたいな話になって、めんどくさかったのを、シチュエーションが特殊だったので、すごく覚えてますね。

飯田 僕はラオスに旅行行った時に、出張で現地へ来た大企業の社員みたいな人に説教されました(笑)。なんでここまで来て説教されなきゃいけないんだ、みたいな。

pha 若い頃って、社会にいる上の世代の塊が圧を加えてくる印象があったんだけど、歳をとって自分も上の世代になってくると、じつは社会の中にそんなちゃんとした人たちの塊があるわけではなくて、みんなそれぞれにやっているだけなんだな、という受け止め方になってくるんですよね。そうすると、社会に対して何かわざわざ言う気が薄れてくる。
 以前の本は、社会はもっとこうなったらいいのにとか、みんなこう生きたほうがいいとか書いているんですけど、だんだんそういうことを書く気がなくなって、今回の本では本当にそういうものはなくなって、こういうことがあったなとか、全部過ぎ去ってしまったなとか、そういう詠嘆みたいな感じになってますね。

飯田 前からちょっと思っていたことなんですが、phaさんがシェアハウスをやったり『ニートの歩き方』を書いている頃に、「自分のことをいい人だと思って接してくる人がいるけれども、自分はそういう人間じゃないんだ」という主旨のことを書いていて、それもすごく印象に残っています。

pha 「仙人みたい」とか「なんか、すごいいい人そう」みたいな幻想があった方が、たとえばテレビに出る時にキャラクターもわかりやすくて、アピールしやすかったり売れたりするんでしょうけれども、そういうのにこだわっていると自分で作ったイメージにとらわれてしまって生きづらくなるので、定まりかけたら壊したいという気持ちはすごくありますね。

飯田 飽きやすい性格だ、とよく書いていますね。

pha 昔はちょっと無理をしていたのかもしれないですね。『ニートの歩き方』を書いた頃も別に嘘をついていたわけじゃないけど、ちょっと強い言葉で「こうした方がいい」みたいなことを書いていて、今読むと恥ずかしいですね。現在の自分はかなり自然体になったと思います。

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関連書籍

「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから

プロフィール

飯田朔×pha

いいだ さく

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートに。2007年に退職して上京。「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。

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年をとったことで、無理をしていた自分から自然におりられた