今は飯田君たちがパーティーの中にいる感じがする
西尾 質疑応答に移りたいと思います。何か質問がある方はいらっしゃいますか。
参加者A phaさんがX(旧twitter)のポストで「もうおりることがない」ということをつぶやいていて、同時に「逃げきりたい」ともつぶやいていました、具体的に何からおりてきて、何から逃げ切りたいのでしょうか。
pha 言ったことをあまり覚えていないんですが、「おりることがない」というのはさっきの話にも出てきましたけれども、「おりる」対象としてのちゃんとしたメインストリームの社会があるわけでもなく、みんなが勝手にやっているだけだなという感じがして、それであまり「おりる」ことを考えなくなっている、という意味かもしれないですね。
逃げきりたい、は何ですかね……。いつかそのうち破滅がいきなりやってくるような気がしていて、でも運よくそれにあわずにずっと過ごしたい、みたいな。会社員の人たちはいろいろと備えているのかもしれないですけれども、自分は病気にも地震にも老後にも備えてないので、「将来は大丈夫かな」とは思ったりもするものの、考えるのもめんどくさいし、なんとなくラッキーで逃げ切りたいなと思っているという、だいたいそんな感じです。
飯田君は、将来に不安とかありますか?
飯田 あるといえばありますかね。僕、コロナのパンデミックの時期に不安障害になったんです。オミクロン株が流行していた頃に3ヶ月くらいずっと家にいて人と全然会わない時期があって、そうすると少しずつ不安やストレスが高まって、好きな映画鑑賞もできない状態になったので心療内科に行きました。自分はあまり不安を抱えこまないタイプだとその時までは思っていたんですが、状況次第でこういうこともあるんだなと自覚しました。今は良くなったんですけれども。
将来への不安のようなものは、時折感じることはあっても、普段はあまり気になりません。コロナ禍のようにストレスがたまるときは気をつけなければと思いますが、そもそも僕はバリバリ働いて貯金をたくさん作れるわけでもないし、無理をするとまったく動けなくなってしまうので自分の体調を見ながらやっていくしかないし、自分の好きなことを自分にやらせてあげた方が意外と動けるような気もするので……、そういう感じです。
むしろ僕は、会いたいときに人に会えないとか、行きたい場所へ行けない、といったことの方が不安に感じます。
pha 『「おりる」思想』で紹介している人たちもみんな、地に足がついているというか、抽象的なことではなく、普段の生活になんとなく実感を持ちながら暮らしているところが共通している気がして、僕もそうなんですけど、飯田君もたぶんそんな感じなんだろうと思いますね。
飯田 そうですね。たしかに将来への不安はないわけじゃないんだけど。
pha たまにまっとうな社会人の人たちに「将来が不安じゃないですか」と聞かれて、「あんまり考えてないですね」と答えるとめっちゃびっくりされたりするんだけど、ああいう時にはどう答えればいいのか、難しい。
飯田 僕は自分と同じようなニートの人たちに向けてこの本を書いたつもりだったんですけれども、実際にはいろんな人たちが読んでくれて、毎日仕事に通って職場で働くことはできるけど何かちょっと引っかかる、という人たちから「このままでいいのだろうか……」という感想をもらったりする時に、自分でも結構考えたりはするんですけれども、まだうまい答えを返せないんです。
pha 一度死んでから生き直す、みたいな気持ちになると簡単なんだけどね。
飯田 たとえば会社に勤めていて、過労や適応障害になって辞めざるを得ないというのならば、話は比較的シンプルなんですが、そこまで行かなくて仕事もなんとなくやれちゃうけど、でもちょっと疲れるよな、いやだよな、みたいな場合はどうなのか。
pha そういう人は絶対に多いですよね。悩んでいるんだけど、飛び出すまでのことではない、みたいな。そういう人はどうすればいいのか……。『「おりる」思想』では朝井リョウの作品についてかなり書いているじゃないですか。印象に残っているのは、まず世界というものがあってそこに自分がいる、世界が自分に迫ってくる、という彼の世界観の話で、自分にはそういう発想がまったくなかったので、とても新鮮でした。世の中にはそう感じている人が多いから、そんな生きづらさのなかで朝井リョウ作品がたくさん読まれているのだろうな、と思いました。僕はほとんど読んだことがないんですが。
飯田 どの部分でしたっけ。
pha 誰かとの対談で、対談相手は「まず自分があって、その先に世界がある」みたいなことを言っていたのかな。
飯田 村田沙耶香さんとの「新潮」での対談かな。朝井リョウ作品では、圧倒的な世界というものが先にあった上で、その世界に対する自分という存在がものすごく強く描かれていて、それが面白いところだと僕は思っているんです。朝井作品とphaさんの重なるところだと僕が勝手に思っているのは、身体性に関することで、彼の作品の中では性的な欲求や身体感覚みたいなところをすごく丁寧に描いているんですね。phaさんの私小説『夜のこと』でも、そこが大事なポイントのひとつとして表現されていますよね。
他にも何かご質問があれば……。
参加者B 歳をとってきた、と先ほどおっしゃっていましたけれども、文章を書くことについても年齢を感じるのですか?
pha 感じますね。思いつくアイディアが減っている気はする。でも、昔やっていたようにはできないけれども、別のやりかたでできるようにはなっているというか、老化は感じていても、できあがるもののクオリティは下がっていない気がします、今のところは。何歳まで書けるかわからないですが、ずっとやっていきたいですね。飯田君は昔から書く習慣が昔あるんですか?
飯田 本を読む時は気になったところに付箋を貼ってチェックするのが好きなので、何か書こうと思った時は付箋をつけたところを全部書き出して、それをカードみたいに並べる、という方法をよくやっています。
これとこれは繋がりそうだなとグループ分けして、それで「ちょっとこのグループについて少し下書きを書いてみよう」といくつか書いて、繋げてみるとうまく合わなかったからこれはやっぱりやり直そう……、という感じで書いていくんですけれども、僕はカードを使って整理しないとうまく書けないですね。ブログとかの短い文章ならともかく、まとまった文章をいきなり書こうと思っても頭がうまく働かないというか……。
pha わかる。僕もそんな感じでカードとかマインドマップとかを使う感じでアイデア出しをやっていたんですけれど、最近はそれもやらなくなりました。カードにする気力や集中力がなくなったのかもしれない(笑)。それをやらなくてもなんとなく書けるようになった気もするので、慣れかもしれないですね。
飯田 たしかに僕も時々大変なことになって、朝井リョウ論の準備や推敲は地獄みたいになりました。やりすぎるとどんどん袋小路に入っていって、文章が変になっちゃうんですよ。
あと、僕自身は書いている時の自分より、生活している時の自分の方を大事にしています。もともと文章を書くのはそんなに好きではなかったし、大学を不登校になって書き始めたようなものですから。
参加者C phaさんに質問です。今回の本では、「今まで言ってきたことは制限時間つきだった」という趣旨のことをお書きになっていて、ある意味では今までの否定なのかなと思うんですけども、そういうことを言ってしまう葛藤や難しさみたいなものが、phaさんの中にあったのかどうか、いかがでしょうか。
pha ないですね。ひとつのイメージに定まるのがいやで、それを崩していきたいという願望が昔からずっとあるので、逆に楽しいですね。僕の好きな『天』という漫画の登場人物に赤木しげるという人がいて(註:福本伸行の麻雀漫画。『アカギ』はこの作品のスピンアウトとしてスタートした)、「成功を積み上げるとそれが自分を縛るから、積んだらすぐに崩す」という意味のことを言っていて、それをずっと参考にして生きています。
今までの自分を否定することで、読者の中には怒る人がいるかもしれないと思ったりもするんですが、意外と怒る人はいないですね。
飯田 僕は読んで、「えっ、マジかよ……」と思いました。山の上にいる仙人が、「ここからの景色はいいぞ」というので自分もそこに登ってみたら、仙人はそこからいなくなっていて、「山の上は空気が薄いから下山しました」「えーっ」みたいな(笑)。
pha 昔はこういう風に思っていたけれども、年齢とともに変わってきて、今は僕から見ると飯田くんたちがパーティーの中にいる、みたいな感覚です。
飯田 シェアハウスでの暮らしなどが、パーティーが終わった、という詠嘆とともに書かれていると、「あ、そうか。こういう雰囲気や人間関係とかの中でやっていたんだ」ということが、初期の本で書かれていた頃よりかえってリアルに見えてきた面はありましたね。
pha リアルタイムだと、そういうのって逆に書けないかもしれないですね。振り返っているからこそ書けるというか。
飯田 他に質問がなければ、これくらいにしておきたいと思います。今日は三鷹までお越しいただいてありがとうございました。配信でご覧いただいた皆様も、ありがとうございました。
取材・文/西村章 撮影/五十嵐和博
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。
pha
1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートに。2007年に退職して上京。「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。