対談

年をとったことで、無理をしていた自分から自然におりられた

飯田朔×pha

1月17日に刊行された集英社新書『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔・著)。誰かとの競争に勝って生き残ることを要求される現代社会に対して、自分らしくあるために〝正しいと思われている〟人生のレールやモデルから〝おりる〟ことを模索し提案した一冊である。この飯田さんに10年以上前に影響を与えたのが『ニートの歩き方』の著者であるphaさん。そのphaさんが新刊を発表されたということで、飯田さんとの対談イベントが行われた。その模様をレポートする。

※当記事は2024年6月22日に東京都三鷹市の書店UNITÉで行なわれたイベントを抄録したものです。

西尾 飯田さんの『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』の刊行記念、 そしてphaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』(幻冬舎)の刊行記念イベントとして「おりる、それからも続く人生」というタイトルで今回の対談を企画いたしました、三鷹南口の書店UNITÉの西尾晃一と申します。
「おりる」生きかたやノウハウは、少しずつ世間に伝わってきたと思いますが、phaさんの新刊は、おりたところから10年後20年後の話なので、今日は「おりる」先の想像力を深めるような対談にできればと思います。まずは、おふたりが出会った経緯からお話いただけますでしょうか。

pha よろしくお願いします。phaと書いてファと読みます。『パーティーが終わって、 中年が始まる』を刊行しました。もともとは「あまり働きたくない」みたいなことを言ってブラブラと過ごしていたんですが、それがもう15年くらい前で、僕も40代になって今までの感じではやっていけなくなり、どうしようかなあと悩んだりしたことを書いたものがこの本です。

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートに。2007年に退職して上京。「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。

飯田 飯田朔と申します。今年の1月に 『「おりる」思想』という本を出したんですが、僕は今年35歳で、 12年ほど前に大学を卒業して以降、ずっと引きこもり気味のフリーターみたいな感じで暮らしてきました。僕が大学を出る頃、就活もせずにちょっとやばいというかどうなるんだろうと思っていた2012年頃、phaさんのデビュー作である『ニートの歩き方』(技術評論社)という本を読み、ニートがどう生きていくかについて書かれた、その内容に大きなインパクトを受けました。
 その年だったかその翌年だったか忘れてしまったんですが、phaさんと『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』(ちくま文庫)の著者である伊藤洋志さんが和歌山県の熊野にある古い日本家屋を借りそこを修繕して人が集まれる合宿所みたいなものを作ろうしていたことがありました。その時にぼくが手伝いに行ったのが、phaさんとの初めての出会いでした。

pha あれは、なんで来たんでしたっけ?

飯田 phaさんの『ニートの歩き方』と同じタイミングで、伊藤さんが『ナリワイをつくる』という本を出したんです。それも当時すごく面白く読んで、伊藤さんのイベントに何度か行くうちに、伊藤さんから「今度、phaさんたちと古民家の修繕をするんだ」という話を聞いて、僕も行ったんだと思います。

pha じゃあ、10年以上も前か。ついこの間のような気がしますね。暑い中をみんなであそこに泊まり込んで、 ひたすら床板を張ったり温泉に入ったりして、なんだか夏休み感がありましたね。

飯田 僕としてはすごく楽しいひと時だったんですが、1週間くらい熊野で過ごして、東京に帰ってからはphaさんとほとんど会うことがなく、今年になって久しぶりにお会いするまでの間に、たくさん本をお出しになっていますね。

pha そうですね。10冊ぐらいあるかな。

飯田 最初の本が『ニートの歩き方』で、2冊目が『持たない幸福論』(幻冬舎文庫)。今回の『パーティーが終わって、中年が始まる』は、これまでの本の見直しというか……。

pha そうですね。今までやってきたことの総括みたいな感じですね。昔は高速バスでだらだらと旅をするのが好きだったけれども、歳を取って40代になると高速バスの旅が辛くなってきたとか、そんな話を書いておきたいなと思って。
 僕と飯田くんは、10歳くらい違うのかな。だから、僕が通り過ぎてきたところに今、飯田くんがいるのかもしれない。新刊はお読みになってどうでしたか?

飯田 僕はphaさんの初期の本にすごく影響を受けていて、一番印象に残っているのは「だるい」という言葉です。自分の体が発している信号や身体感覚を「だるい」という言葉で端的に言い表していて、学校に行きたくない、会社や仕事に行きたくない、という体が出しているサインを素直に受け止めて、何かをやめる・しない、という発想が、一番感銘を受けた部分で、自分にとってもその後大事な考え方になったと思います。
 初期のphaさんの本では、シェアハウスを始めてみたりインターネットをどう使うかという話があったり、高速バスの旅行とか、あるいはファミレスによく行く話とか、いろんなことが書かれていたんですが 、今回の『パーティーが終わって、中年が始まる』では、そういうことが合わなくなってきたという自分の変化が率直な筆致で書かれています。40代半ばになって体が変化して「老い」に直面すると、それまで楽しんできたものや参加してきた活動も変わってこざるをえない。でも、それって体の発するサインに目を向けるという意味では、『ニートの歩き方』の頃の、だるい時には予定をキャンセルする、という考えと変わってない部分もあるのかなと……。

pha 確かにそうですね、40歳を過ぎると身体性の変化はやっぱりあるので、行動は変わりました。でも、身体性を大事にしているという面では変わっていないし、延長線上にあるのかなと思います。疲れやすくなるし、昔みたいには動けなくなるし、熊野の頃みたいにみんなで雑魚寝して一日中何か作業して、みたいなことはもうできないなと思います。
 飯田くんはまだできる?

飯田 僕は昔から相当体力がない方で、当時の僕から見るとphaさんってじつはすごく活動的な人に見えていたんです。

pha だるいと言いつつ活動的なところもあるんですよね。やりたいと思ってひらめいたらシェアハウスを作ったりとか。でも今はそういう新しいことをやるのにそろそろ疲れてきましたね。昔は毎月のように新しいことをやろうとしていたんですけれども、今は同じ日常が続くのでいいか、と思うようになりました。昔は2年以上同じところに住んでいたことがなかったんですが、いまは引っ越しがめんどくさくなって5年間同じところに住んでいます。

飯田 今回の本を読んで率直に驚いたのは、高速バスの話もそうですが、ファミレスにあまり行かなくなったし、前ほど楽しめなくなったという話とか、「えぇーっ、あれをやらなくなっちゃったんだ……」みたいなことがいろいろと書いてあって……。

pha ファミレスに行かなくなったのは、加齢だけではなく時代の変化もありますね。僕がその昔、「お金がなくてもいいや」といってシェアハウスに住んでいた頃って、デフレ文化の影響があったと思うんですよ。そのデフレがこの1、2年で終わって、物価が値上がりし始めて、そうするとあまり暢気なことも言っていられないんじゃないか、という気がしてきました。
 『「おりる」思想』で紹介している何人かのおりた人たち、伊藤洋志君や勝山実さんたちが出てきた10年くらい前の時代は、社会にまだ余裕があった時代だったのかな、ということを思いましたね。あの頃の僕たちと同じようなことを今のネットで言ったとしても、話題にならないか叩かれるかのどっちかじゃないかと思います。そういう時代の変化って、感じますか?

飯田 たしかに物価が上がって生活がキツくなってきている、という感覚はあります。phaさんや伊藤洋志さん、あとは先日対談をした栗原康さん(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/iida_kurihara/27514)たちは、同じくらいの世代で、得意としている分野や、やってきたことはそれぞれ違うけれども、考え方にはどこか重なる部分もあるように思います。そうした一回り上の世代と比べると、僕や僕より少し若い世代の人たちが取り上げる「おりる」的なテーマは、上の世代が語ったことと重なりつつも、表面的な形態がちょっと変わったのかなと思ったります。たとえば、ルーマニア語で小説を書いている済東鉄腸さんは……。

pha ああ、彼の本(『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』:左右社)はすごく面白かったですね。

飯田 彼と少し前に対談をした(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/iida_saitou/26652)んですが、鉄腸さんは千葉県の実家で引きこもりをしながらルーマニア語を勉強して、ルーマニアに行かないまま現地の文芸誌で小説家デビューをしました。イベントのきっかけは鉄腸さんがぼくの本についてSNSで感想を書いてくれたことだったんですが、彼のいきさつを最初に聞いた時は、むしろ「成功した人」じゃないかと僕は思ったんです。小説家になって、ひきこもり脱出みたいな。でも、彼が言うには「そうじゃなくて、ルーマニア語で小説を書くことによって日本語の文壇で競争しなくてよくなったんだ」ということで、その話がすごく印象的でした。
 あとは、別のイベントを一緒にやらせてもらったジャーナリストの小山美砂さん(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/iida_koyama/27149)は僕より5歳くらい下なんですが、広島の「黒い雨訴訟」について取材して本を書いた人で、毎日新聞社に勤めていたけれども適応障害になって新聞社を辞め、今はフリーで活動している人です。小山さんも、noteで「おりる」的なテーマで記事を書いています。
だから、今の時代でも「おりる」人たちはポツポツといるんだけど、書き方や世の中への訴え方が、phaさんたちの時代とはまた違うテイストなんだと思います。でも、僕はphaさんや伊藤洋志さんが書いてきたことはとても大事なことだと思うので、『「おりる」思想』の中で上の世代の人たちの考え方を取り上げさせてもらった、というような事情ですかね。

次ページ イメージが定まりかけたら壊したいという気持ちがすごくある
1 2 3

関連書籍

「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから

プロフィール

飯田朔×pha

いいだ さく

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートに。2007年に退職して上京。「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

年をとったことで、無理をしていた自分から自然におりられた