対談

知っているようで何も知らないインドの姿とは

『インド残酷物語』発売記念対談【前編】 池亀 彩×内藤正典
池亀 彩×内藤正典

池亀彩氏

植民地時代からの「エリートを作る」システム

内藤 さっき池亀先生が言われたけど、確かにインド人というと「理数系、数学ができる」というイメージがある。そしてインドは先端産業も持っているじゃないですか。どうやってそういうものができてきたんでしょう?

池亀 植民地時代からの「エリートを作る」というシステムが継続しているからだと思います。イギリスの統治政府にとってはエリートを作ればいいわけで、大衆教育には全く関心を持たなかったし、そこにお金も人材もつぎ込まない。でも植民地官僚としてのエリートは作るという、その伝統が残っていると思います。

内藤 なるほど。

池亀 そこにインド人実業家のラタン・タタ(インド最大企業のタタ・グループ会長)などの慈善家が、植民地時代のエリートを作るための教育システムに加えて、理系エリートを作ることに力を入れたということが大きいと思います。

内藤 池亀先生が描いてきた低い階層の中から、そういうところへ這い上がっていくのは、なかなか大変だと思うんですけど……。

池亀 大変です。

内藤 それは分離したままいくんですか、インドという国は。

池亀 もちろん、頑張ってそこにジャンプする人もいなくはないですけど、ほとんど不可能に近いですね。全然教育環境が違うので。まず、普通の人は英語をしゃべれない。

 でもいわゆるエリートって、生まれたときから家の中でも英語だし、今のグーグルのCEO(経営最高責任者)のスンダル・ピチャイもインド出身ですが、彼なんかもそういう家庭の出身です。彼らは皆、高カーストで。ピチャイの家はミドルクラスですけど、タミル・ナードゥ州のバラモンで、超高カーストなんです。やっぱりそういう人がグローバルなエリート層とつながりやすい。英語という面でも、そうですし。

内藤 その人たちがインド全体を引っ張って、経済的にもアップグレードしていけるんですか。それとも、大半のそうじゃない人たちは、ずっと今のままなんですか?

池亀 そういうトリクルダウン(*)みたいなのが本当にあるかどうか、すごく微妙ですね。もちろん生み出しているお金の規模は増えていますが、IT産業が盛んになったといっても、そこで仕事をしている人の数って、ものすごく少ないんです。

 まあ、たしかに底上げはあると思います。昔だったら学校にすら行っていない子たちがたくさんいたけど、今はけっこう皆、学校に行っているし。

 ただ、そこにも私立学校で、お金取って「イングリッシュ・ミディアム・スクール」とか名前つけて、英語で授業をやっていることにしているけど、誰も英語しゃべれない「なんちゃって英語学校」みたいなのが、ものすごい田舎にあったり……。

 だから、教育に投資しようという気持ちは、貧しい人たちにもすごくありますけど、それが本当に変革につながるかは、ちょっとわからないですね。「教育を受けたけど仕事はない」という人たちがたくさん出てきているのは事実なので。そういう状態を「ジョブレス・グロース(雇用なき成長)」つまり、「雇用を生まずに経済だけが大きくなっている」と言うんですけど……。今後、そういう人たちが仕事を得ていくことができるのかどうか、わからない。

 中国や、かつての日本では、いわゆる製造業で、皆、都会に出てきて工場で働き出して、大きな産業構造の変化がありました。でもインドでは、それがあまり起こっていません。ほとんどの人はまだ農村にいて。教育を受けても職がなくブラブラしている人が、ものすごい数いるんです。

* トリクルダウン:「裕福な人がより裕福になれば、貧しい人にも富が滴り落ちる」という理論

 

パキスタンと紛争を起こす可能性も

内藤 ブラブラしてても、生きてはいける?

池亀 辛うじて。でも、そのフラストレーションたるや、ものすごいものがあって……。だからそういう人たちがモディ首相に期待するんですけど……。“内なる敵”が見つかった時、たとえば「ムスリム(イスラム教徒)が自分らよりいい物を持ってる」とか聞いたら、ブワーッと攻撃していく、という。

 これは政治学者が言っていることですけど、「政治家が小さなコンフリクト(対立、紛争)というのを作っている」と。大きな暴動ではないけど、小さいところでそういうガス抜きが行われているというか。

内藤 なるほど。

池亀 そういうことはあると思います。今回、新型コロナの感染者が急速に増え、経済もうまくいっていない中で、モディ政権もかなりギリギリなので、もしかしたら、無理だとわかっていても、パキスタンとの戦争みたいなことが始まるかも……。

内藤 国外へ目を向けさせる?

池亀 はい、大きな敵を作って内側の不満を外に向けさせようとする。そうすると、インド国内にいるムスリムは、今以上に迫害を受けるかもしれないです。

内藤 インドは今や人口13億の大国だし、パキスタンと事を構えるなんてことは……たしかに過去には数回、インド・パキスタン戦争がありましたけど。たぶん今のパキスタンには、そんな力はないだろうと思うんです。ただ、モディさんは、それを利用するでしょうね、じりじり燃やすように。

池亀 可能性はあると思いますね。でも、中国との衝突は、たぶん避けたいだろうと思います。

内藤 避けるでしょうね。

池亀 インド・中国国境は世界一高いヒマラヤ山脈ですから、インド側から国境地帯に行くだけでも大変で、戦闘しにくい場所ですしね。

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プロフィール

池亀 彩×内藤正典

池亀 彩(いけがめ・あや)

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。1969年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。英国でリサーチ・アソシエイトなどを経験した後、2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。

 

内藤正典(ないとう・まさのり)

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。一橋大学名誉教授。『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』 (集英社新書)、『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)、『イスラームからヨーロッパを見る 社会の深層で何が起きているのか』(岩波新書)他著作多数。

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