対談

知っているようで何も知らないインドの姿とは

『インド残酷物語』発売記念対談【前編】 池亀 彩×内藤正典

池亀 彩×内藤正典

いまや人口13億人で、まもなく中国を抜き世界一の巨大国家になろうとしているインド。

だが、そんなインドについて、日本人が持っているのはステレオタイプなイメージばかりだ。

11月に集英社新書『インド残酷物語 世界一たくましい民』を上梓したばかりの池亀彩氏(京都大学大学院准教授)は現地に長期間暮らし、社会の底辺で生きる人々の生活に触れ、彼らを精神的に率いるグルたちとも交流し、肌感覚でインドを知る人物。

その池亀氏と、『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社新書)などの著書がある同志社大学大学院教授・内藤正典氏が、インド社会の真の姿に迫る。

※本稿は11月25日に週プレNEWSより配信された同記事に未掲載の情報を大幅加筆したロングバージョンです。

構成・文/稲垣 收 撮影/露木聡子(池亀氏) 三好妙心(内藤氏)

――まずは内藤先生に、本書を読まれた感想から。

内藤 面白かった。インドについて全くの門外漢として読ませていただいたけど、最初はカースト制度による差別や理不尽な仕打ちを克明に描かれていて、「やっぱりそうだったのか」と。そこからだんだんその背景をときおこしていって、カーストのことだけじゃなく、いろんなグル(宗教的指導者)の話が出てきて、そういうグルが何をしているのか、たとえば民間法廷みたいなことをやったり、という話が出てくる。そういうところへ分け入って、また最後に、差別に向き合ってきた人たちの話へ持っていった。

 まさにインドに生きる人たちのレジリエンス、「たくましさ」というのがよくわかりました。時事的な解説ではないし、大向こうに受ける話でもないけど、知っているようで実は何も知らないインドについて、よくわかる本になっていると思いました。

池亀 ありがとうございます。

 

極度に単純化されたインドのイメージ

内藤 インドって、あれだけ巨大な国だけど、いろんな単純化をされていますよね。私がやっているイスラム圏の場合もそうなんですけど……。そういう単純化の何が間違っているのか、ということも、この本には書かれている。

 それでいて池亀先生は、上から語っていない。非常に慎重に人々の中に入っていって、その中で「読み書きを知らないということは、本当の意味でどういうことか、自分はわかっていなかった」というところから書いている。そこに非常にリアリティーがあるし、形式化されたものを少しずつ少しずつ破っていくという、ものすごく新鮮なものを感じました。

 私はイスラム圏だけで手いっぱいで、これまでインドのことを勉強しようという気にはならなかったんだけど、こんなに面白いものだと思いませんでしたね。

池亀 そう言っていただけると本当にうれしいです。どういう形式で書くか、非常に迷いました。私は今まで論文や研究書を書いていて、しかも英語のものが多かったので、ごく一部の人にしか読まれないし、ごく一部の中だけで通じる話をしていたわけです。学者としてのキャリアを築く上には、やらざるを得ない面もあって……。そればかりやっていた中で「でも日本にいる普通の人はインドのことを全然知らないな」と、ふと思って。内藤先生もおっしゃったように、すごく単純なイメージでしか語られていない。特に「カースト社会、ひどいよね」とか「差別があるらしい」とか、最近だと「インド人、頭がいいらしい」とか。

内藤 「数学ができる」とかね(笑)。

池亀 はい(笑)。そういう「インド人ひどい」とか「インド人すごい」とか「中国に対抗できるのは大国としてのインドだ」などというイメージだけがひとり歩きしているので。それに対して、どういう語り方をすればいいのか悩みました。結局、普通の人の話を書くことで、日本で自分たちが生きている生活と、インドの人がインドで生きている生活とは「一見全然違うけど、わかる」。それによって、いわゆる偏見を超えてつながれるきっかけになるんじゃないか、と思ったんです。

内藤 なるほど。この本のP72~73の見開きページで、カーストを図式にして説明してくださってますね。P73の「バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ」っていう4つのカーストがあり、その下に「部族民(アーディヴァーシー)、不可触民(ダリト」と呼ばれる人がいる、という図は、高校ぐらいまでの教科書に出てくるやつですよね。これを「ヴァルナ制」というんですね?

池亀 そうです。

内藤 右側のP72には、「土地持ち農民カースト(支配カースト)」とか「商人・金貸しカースト」とか「洗濯屋カースト」などの“職業カースト”などで構成される「ジャーティーの世界」というものを示した図がある。その2つの間をどういうふうに捉えていいのか、ということまで、これだけわかりやすく書かれた本というのは、あまりないと思いますよ。

池亀 実はそのカーストの図は、「インド研究者から怒られるんじゃないか」とビクビクしながら描いたんですけど……。

内藤 いやあ、非常にリアルでわかりやすい図です。本文中で触れられているカーストの具体例がどういうふうに結びついているのか、「こんな複雑な社会なんだな」というのを、自分の頭の中でもう一度整理できるようになっている。すごくいい本だと思ったのは、そういう点もあるんです。インドマニアやトルコマニアとか、マニアが書くと、ほとんどマニアにしかわからない話で終わってしまうから(苦笑)。

 そしてもう一つ、一般的な学者の書いたものと違うなと思ったのは「何を伝えなければいけないか」というのを絞っていることです。学者、特に人類学者って膨大な引き出しをお持ちですが、それを全部出したら、素人の読者は理解できない。だから「どういう幹のストーリーを描いていくか」が重要で。それを非常に的確に選ばれている。それが非常に面白く、これだけ複雑なインドの話を一気に読ませるものになっている。

池亀 編集者さんのおかげも大きいんです。私はけっこう書き過ぎて、細かい説明をしちゃうんですが、「ここは削りましょう」って、かなり削るアドバイスをいただいて。

内藤 それでいて、大事なところには【解説】が付けられている。これは一般の読者もそうですけど、本当にインドのことを勉強しようという人が読んだ時にも、非常に役に立つと思います。

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プロフィール

池亀 彩×内藤正典

池亀 彩(いけがめ・あや)

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。1969年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。英国でリサーチ・アソシエイトなどを経験した後、2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。

 

内藤正典(ないとう・まさのり)

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。一橋大学名誉教授。『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』 (集英社新書)、『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)、『イスラームからヨーロッパを見る 社会の深層で何が起きているのか』(岩波新書)他著作多数。

 
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