インドのイスラム教徒はヒンドゥーと交わらない
池亀 この本で一つの後悔は、ムスリムのことをほとんど書いていない点です。どちらかというと底辺に近い人たちを書くときに、ヒンドゥーの世界しか書いていない。それは、インドでムスリムの人と知り合いになるチャンスがあまりなかったせいもあるんですが……。
内藤 なるほど。知り合うチャンスがないんですか。
池亀 インドで私の知っているムスリムの人って、超エリートばかりなんです。超エリート同士だと、宗教と関係なく交流があったりしますけど、いわゆる労働者階級では、ムスリムの人は今、ちょっと自己防衛的になっていることもあって、あまりヒンドゥーと交ざらないんですね。昔以上にそうなっています。
――スーパーエリート以外の一般のムスリムというのは、インド社会ではヒンドゥー教徒よりも下に扱われているんですか。
池亀 下ということはないんですけど、一つは、1947年に英領インド帝国からパキスタンが独立した際に、中間層の人たちの多くがパキスタンに行ってしまったんです。だから、インドのムスリムの不幸は、インド・ムスリムを代表するミドルクラスが少なくて脆弱だということもあると思います。インドに今残っているのは、もともと貴族階層にいた超エリートか、本当に労働者階級で、元々は恐らく不可触民(ダリト)から改宗してムスリムになったような人たちだと思うんです。パキスタンという国ができたことも知らず、パキスタンに移れなかった人たちですね。商売をやっている方が多いですが、労働者階級ですね。彼らは大体、町の中でもムスリム地域に住んでいます。だから、そこに行かないかぎり会わないんです。彼らは他の地域には怖くて住めないと思います。エリートの暮らす高級なゲーテッド・コミュニティー(*2)みたいなところ以外、普通のヒンドゥーの町なかにムスリムで住もうとはしないでしょう。
――襲撃されたりするから?
池亀 ええ、あると思います。
――それこそ映画『スラムドッグ$ミリオネア』の世界ですね。
池亀 はい。
*2 ゲーテッド・コミュニティー:周囲を塀で囲み、ゲート(門)を設けて警備員を置き、住民以外の敷地内への出入りを制限した町作りの手法。
報道ではわからない世界の深層を知るには……
内藤 でも、この本にはモディ首相とムスリム虐殺事件とか、モスク襲撃事件については書かれていますよね。
池亀 そうですね。モディはそういう内なる敵を作ることで……
内藤 政治家として、出てきたんですね。あの人のカリスマ性って、どこにあると思いますか。
池亀 何かもう、圧倒的ですよ。一つは「スピーチがうまい」ということ。私はそんなにヒンディー語が上手じゃないので直接はわからないんですが、カンナダ語(*3)に訳されたものを読んでも、すごく力があります。
あと、彼自身がエリート層の出身じゃなく低カースト出身なのに、グジャラート州の首相をしていた時に、外国企業誘致などでグジャラートをインドで最も豊かな州の一つにしたことがあります。だから「モディならインド全土でも同じことをやってくれるはずだ」と期待されている。「皆でお金持ちになれるんだ」というイメージです。
この本の後半にちらっと書いたんですが、私、高額紙幣の廃止(*4)の時にインドに行ったんですけど、行くまでは「皆モディのことを怒っているだろう」と思っていたんです。高額紙幣がなくなると、実は小銭もなくなり、流通しているお金が約9割もなくなってしまった。だから食品や日用品を買うのもままならない状況でした。
だから「これでモディ政権は終わりだろう」と思って行ったら、逆に皆、高揚しているんですよ。「今の苦労は、先にある素晴らしい事のために、皆でわかち合う痛みなんだ」って言って、完全に興奮状態で。ビックリしました。庶民であればあるほど、そうでしたし、それを批判しようものなら「おまえは何を言っているんだ」と怒られる。
内藤 なるほど。ちょっと勢いが衰えたけど、トルコのエルドアン大統領と似ていますね。
池亀 似ていると思います。
内藤 エルドアンは世界中のエコノミストから罵倒されながら、利上げに反対して利下げを強行し、トルコリラが売りを浴びたんだけど、トルコの中間層に聞くと、「そのおかげで今、“熱い金(ホットマネー)”が流れていて、いいんだ」って言うんです。物価はどんどん上昇しているし、トルコリラはどんどん下がっていくんだけど、「IMF(国際通貨基金)だとか世界銀行が構造調整で圧迫した時のほうが悪かった」と思っている。ある意味、全然理性的じゃないんですけど、その国の中では、依然としてカリスマ性を維持しているんです。
池亀 そうなんですよね。
内藤 特にトルコの場合ってヨーロッパに近いから、こぞって批判されるんですけど、持ちこたえているのは、そのためなんですよね。エルドアン自身、モディと同じく貧しい層の出身で、大学を出たことになってますけど、本当かどうかよくわからない。でも庶民の圧倒的な支持があり、カリスマ性を維持している。まあ、大分下がってはきましたけど……。
いいか悪いかは別にして、世界を見ると、そういうタイプの指導者がけっこう出てきている。ヨーロッパでさえ(「移民は毒」と発言した)ハンガリーのオルバン首相なんかが出てくる。フランスの今度の大統領選でも、マクロンの対抗馬と言われるのは、極右のマリーヌ・ル・ペンじゃなくて、エリック・ゼムールという人なんですが、彼は言っていることはデタラメなのに、どんどん支持を集めてきている。ル・ペンでさえマトモに見えるような人なんだけど……。
これは非常に深刻なことでもあります。世界はどんどん変わってきている。ただ、その変わりつつある世界の深層や、実際の姿を日本人は知らない。報道を通じては、全くわからないんで。
池亀先生の本は、インドについて、そういうものを明らかにしてくれています。人口13億の大国インドの中の、もちろん池亀先生が見た姿なんですけど。これを本当は、いろんな人がいろんな角度から描いてくれるのが理想ですね。
池亀 そう思います。
内藤 そういう情報というか“知の集積”があって初めて、世界を少しずつ理解することにつながっていくと思うんです。
*3 カンナダ語:インドには200以上あると言われる言語の1つ。
*4 高額紙幣廃止:2016年11月8日夜、モディ首相がテレビで演説し、翌9日午前零時から500ルピー札(約800円)と1,000ルピー札(約1600円)を無効とし、新500ルピー紙幣と2000ルピー紙幣を発行すると発表。目的は脱税、汚職などが疑われる“ブラックマネー撲滅”と、国民に銀行口座を持たせ、給与等の現金給付の過程で起こっている搾取を防ぐというもの。
★対談【後編】は明日12月16日(木)に公開します
プロフィール
池亀 彩(いけがめ・あや)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。1969年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。英国でリサーチ・アソシエイトなどを経験した後、2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。
内藤正典(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。一橋大学名誉教授。『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』 (集英社新書)、『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)、『イスラームからヨーロッパを見る 社会の深層で何が起きているのか』(岩波新書)他著作多数。