新聞もテレビも、世界地図も見たことのない大学生たち
内藤 昔はそれでも「メディアで取り上げられている、ある国の像と、実態がどう違うか」ということで、学生たちに話ができたんですけど、今の学生は新聞も読みませんし、テレビすら見ないので、外国のことを知っていたとしても、非常に偏ったネットの情報でしか知らない。それを少しずつ軌道修正するにしても、まず大学院レベルじゃないと無理ですね。大学だと、それがほとんどできなくなってしまった。
池亀 そうですね。
内藤 たとえば、地図って見ていないんです。中学高校で地理を長いことやってなかったから。「アフガニスタンって、どこにあるか」と言ったって、まずわからない。世界史を勉強した人は「南側に英領インドがあって、北にロシアがいて、グレート・ゲームで争った」と言うと、何となくわかるのね。ところが東西になると、「西でイランに接していて、東は中国に接している、パキスタンに東と南で接している」というのは、全くイメージにない。
繰り返し地図を見せなきゃいけないんだけど、地図情報そのものは、スマホを持っていればグーグルマップが見られるから、高校なんかは「スマホを学校に持ってきちゃいけない」らしいですが、私が大学の学部生の授業をしていたときは、「全員スマホを持ってこい」と言っていました。「グーグルマップで、まずどこにあるか自分で調べて」と。そこからやらないと理解してもらえない。
池亀 それはすごいですね。
内藤 そうなんですよ。実際に学部で教えるとすぐわかりますけど。来年以降、「地理総合」が高校に復活して、少しは元に戻るかもしれないんですが、実を言うと地理が専門の先生って、少ないんです。長らく高校で世界史が必修で、あとの日本史か地理が選択科目ですけど、大抵の生徒は日本史を取るから、地理を取る生徒って、文系にはほとんどいなかった。それで高校の教員で地理専任の先生の数が、ものすごく減っちゃったんです。
池亀 ひえー、全然知らなかった。そうですか。私、地理、取っていましたよ。
内藤 そうなってしまったために、新たにやるといっても、日本史や世界史や公民が本業の先生が、地理を教えたりすることになるので。
そんなわけで、大学生にも、ま「どこの話か」ということが伝わらない。「インドとパキスタンが」と言っても、インドとパキスタンが隣同士であることすら学生はたぶん知らないし、インドとバングラデシュがもともとくっついていて一つだったってことも、恐らく学生のうち1%も知らないです。
池亀 そうですか。ちょっとビックリ。
内藤 池亀先生が教えてるのは、大学院だからさすがに知っていますよね。
池亀 いえ、私も慶應(けいおう)大学で学部生を非常勤で教えているんですけど、皆さん非常に優秀な学生さんですけど、ほとんど南アジアのことは知らないですね。やっぱり「歴史をやっていた」って学生さんが多いです。「高校の時に、ガンディーって聞いたことあります」とか。「でも、すごくいい人だと思っていたけど、先生の話を聞いたら、ちょっとガンディー、嫌いになりました」って(苦笑)。そういう「高校でこう教わった」とか「受験の時に、これ覚えた」というのが、まず一つあって。内藤先生がおっしゃったみたいに、その受験知識の他は「ネットで、ガンディーは女好きだったって読みました」とか。それぐらいですよね。あまり新聞も読んでいないし、テレビもたぶん持ってない。
内藤 触れていないですね。持っているのはスマホとタブレット。そのうちパソコンも使えなくなると思う。
池亀 確かに学生さんの中には携帯で文字を打つことに慣れてしまっていて、パソコンでタイピングすることが苦手な方が出てきているようですね。
外国ルーツの人と直接触れ合える利点
池亀 私はイギリスでずっと教えていたんですけど、イギリスだと、その国の出身者がクラスの中にいたりするんですね。
内藤 いますよね、いくらでも。
池亀 本人がイギリス生まれでも、外国にルーツを持っている子たちがたくさんいるから、その子たちにいろいろ説明してもらえばいいようなところがあって。だから大学に来て議論の場にいるだけで、いろんなことを学べるんですよね。
内藤 私はそもそも留学した先はシリアとトルコしかなくて、欧米に全然縁がなかったんだけど、同志社大学に来て5年研究科長をやったら、その後、「御苦労さん」ってことで、半年外国に出してくれて。その時、たまたま知り合いにイギリスのウェールズにあるアベリストウィス大学の先生がいて。
その先生の名前がすごいんです。ムスタファ・ケマル・パシャという名前で。それって、トルコ共和国の初代大統領のアタテュルクのことなんです。
池亀 はい。
内藤 今でもトルコで、確かにアタテュルクのことを「ムスタファ・ケマル・パシャ」っていうんですけど、トルコでは「パシャ」は偉い人への敬称として使っているんで……。
ウェールズの大学にそういう名前の先生がいらっしゃる。先生自身はパキスタン系なんですけどね。夫人はインドの出身で。
池亀 そうですか。
内藤 お二人で大学の先生をしていらして、私はなぜか気に入られて「イギリスに来るなら、どこの大学でもアレンジするから」って言われて、「オックスフォードがいいか、ケンブリッジがいいか」って聞くから、「いや、そんなところ今さら行きたくない」って。箔(はく)つけたってしょうがないんで(笑)。「できることなら日本人のいない静かなところにしてください」と言ったら、「わかった」って、アバディーン大学に行かせてくれた。これ以上、北に大学がないという、スコットランドの北で。それでも、町なかにトルコ人とかいろんな国出身の人がいるし。
池亀 はいはい、いますね。
内藤 授業なんかで学生たちに「自分の国のことを説明してくれ」と言えば、それだけでものすごくリアルな情報になりますよね。同じ国から来た人でも、それぞれ国を出てきた事情が違いますから、国について何と言うかは違っているんですけど……。
池亀 そうですね。
内藤 日本って、なかなかそういう環境にない。
池亀 去年、慶應で教えていたときに、バングラデッシュにルーツをもった学生さんがいました。そういう方が大学に増えてきていることは素晴らしいですが、日本ではまだまだ少数派ですよね。1割もいない感じです。
プロフィール
池亀 彩(いけがめ・あや)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。1969年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。英国でリサーチ・アソシエイトなどを経験した後、2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。
内藤正典(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。一橋大学名誉教授。『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』 (集英社新書)、『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)、『イスラームからヨーロッパを見る 社会の深層で何が起きているのか』(岩波新書)他著作多数。