「これまでの官僚の文書主義では考えられないことが今、続々と起きている」と、鳥取県知事を二期務めた片山善博さんも指摘しています。同じように文化庁から補助金を受けてやっている自治体は26あるのですが、その内、9割の取材を終えましたが、どの自治体も「一年後に突如、不交付となると、自治体としてはたまったものではない」と言っています。そうすると、同じような、「現在の表現の自由とは何なのか」ということを考えるような企画展のアイディアがもし出てきたら、「文化庁に目をつけられるし、補助金も削られるだろうし、やっぱり事実上、少なくとも文化庁には、申請しづらくなる」と言います。結果として多くの自治体から「表現の自由に政府が介入しているという感じを受けます」というコメントが出ている状況です。
山崎 「事前に予測しなかった」というけど、実際、無理なのですよね。そんな脅迫というのは予測できるものではない。特に、京都アニメーションのガソリン缶で大量殺傷事件があった直後に、「ガソリン缶を持って行く」という脅迫がくるなんて、その申請を出した時点では、その事件自体が起きていないわけで。もう、完全な言いがかりですよね。
あと、菅官房長官の発言で、もう一つ問題だったと思うのは、脅迫があって中止した後に、「一般論として脅迫はあってはならない」と言ったのです。大問題ですよ。本当であれば「このような脅迫は断じて許されない」でなければならない。「一般論としてそれはダメだ」と言うときは「でも今回の件は違いますよ」という留保なのですよね。それなのに「一般論として」と言ったということは、何かしら、そう言わざるを得ない事情が彼の頭の中にあったのでしょう。「ストレートにここで『絶対あれはダメだ』と言ってはならない」と。だからああいう、含みを持たせた言い方をした。本当に大問題なのですけれども、なぜか全然問題にならずにスルーされちゃっているのがすごく気持ち悪いですね。
望月 トリエンナーレに関しては、何度も菅さんに「では、手続き上の不備があるから不交付ということですから、今回、政府としては展示内容には問題がなく、あらゆる表現の自由は認められるべきだという、こういう理解でよろしいでしょうか」と言ったら、「文科省が適切に判断した」と。やはり表現の自由に対する言及を避けるのです。あえて「表現の自由は認められる」ということを、政府の言葉として言いたくない。
山崎 そうですね。こんなところにも、言葉のトリックは存在しています。TVや新聞、雑誌、SNSなどで、当たり前のように使われている言葉にも注意が必要です。冒頭の話に戻りますが、「日本の名誉のために」などと、もっともらしい言葉ほど、本当は何について語っているのか、よく気をつけなければならないと思います。
取材・文=稲垣收