─―今回の本は、共同通信社配信の連載「姜尚中 思索の旅『1968~』」(二〇一六年一月~二〇一七年九月)に加筆されたものですが、連載を始めるきっかけは?
姜 東日本大震災が起きた翌年に、水俣病研究の第一人者であり、一貫して患者の支援活動を続けてきた原田正純さんが亡くなったんです。原田さんは、福島の原発事故と水俣病との類似点を挙げて、一刻も早く国が責任を持って総合的な被曝調査をしないと、水俣病よりもっとひどい事態になるだろうと、最期まで指摘していました。それを聞いたときに、水俣病の教訓はどこへいったのか、この五〇年間、何が変わったのだろうかと思ったんです。
もっといえば、日本は一九四五年の八月一五日で本当に変わったのだろうか、と。広島と長崎であれほどの被爆者を生み、世界でも例を見ないような公害が起こり、そして今度はチェルノブイリ級の原発事故が起こった。それを受けてドイツは原発を即時停止したけれど、この国はまるで何事もなかったかのように、「明治一五〇年」を祝おうとしている。
こうしたことがなぜくり返されるのか。もしその原形みたいなものがあるとすれば、それは何なのか。そう考えていたところ、漱石の没後一〇〇年、生誕一五〇年だということも話題となっていて、差し当たりは明治にさかのぼってみることにしたわけです。それで、まずは高島炭鉱の端島(軍艦島)に行って、エネルギーという観点から原発の問題を考えようと思ったのです。
本にも書きましたが、不覚にもぼくはそれまでエネルギー問題にほとんど関心を持っていなかった。しかしよく考えれば、ぼくが生まれ育った同じ九州の三池炭鉱で起きた炭塵爆発でたくさんの人が死んだというニュースを子どものころに白黒テレビで見ていて、決して無縁ではなかった。そういう反省もあって、とにかくエネルギーの問題からこの旅を始めることにしました。