戦雲に覆われても、その向こうに必ず太陽は出ているということを信じられるか
集英社新書『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』を上梓したジャーナリストで映画監督の三上智恵。10年前、三上は沖縄と南西諸島の要塞化の動きを予測していた。そして、この数年、島々の軍備増強は現実のものとなった。
ミサイル基地、シェルター設置、弾薬庫大増設、離島を含む空港と港湾の軍事化が着々と進められ、沖縄本島はもとより、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などにその戦力が配備されたのだ。「最悪の場合は、報復攻撃の戦場になるのもやむなし」と、2022年の安保三文書が沖縄が戦場化することを容認したも同然の内容であることもわかった。
2015年以降、島々を直接取材し続けてきた三上の膨大な記録。それをまとめたのが、本書である。島洋子氏(琉球新報社取締役統合編集局長)、福元大輔氏(沖縄タイムス政経部長)を迎え、2024年3月10日にジュンク堂那覇店で行われた著者のトークイベントの模様を前編・後編に分けてお届けする。
構成・文=伊藤麻由子 撮影=編集部
イベント当日の朝、沖縄本島うるま市の
勝連駐屯地にミサイル車両が陸揚げされた
三上 まず、福元さんに今朝の大変な出来事について伺います。今日は陸上自衛隊勝連分屯地にミサイル関係の装備が、もしくはミサイルそのものが入るかもしれないという節目の日だったんです。分屯地のゲートが開くのが四時半ということで、抗議活動の中心メンバーはもう三時から動いていたようです。
福元 沖縄タイムスの福元です。よろしくお願いします。朝、私も七時前に中城港湾のゲート前に行きました。100人から150人の方が抗議されていて、南側ゲート、北側のゲートを封鎖して、1時間、1時間半、そこでみんなで座込みして自衛隊車両が出てくるのを阻止しようという状況でした。しかし、結局手薄だった南側のゲートの方から車両が出てしまって……。抗議の方々がゆっくり車を走らせて自衛隊車両の通行を遅らせる牛歩戦術をとったり、勝連分屯地でも抗議行動をするという状況でした。
今回配備されたのは一二式地対艦誘導弾というミサイルです。これは今後、敵基地攻撃能力を持つミサイルに転用されたり、置き換えられる可能性もあって、この連隊がいること自体が非常に危険性を高めるんですね。それにもかかわらず、沖縄知事もうるま市長も、何ら反論せずなんですよね。知事は「敵基地攻撃能力には反対だ」と言っていて、「自衛の範囲、専守防衛の範囲での自衛隊を容認するんだ」と明言しているのですが、では、なぜ今回搬入されたミサイルに対して、もう少し危険性についての説明を求めないのだろうか?というようなことを、座込みしている皆さんを見ながら考えておりました。
三上 ありがとうございます。私は島さんと8年前に共著(『女子力で読み解く基地神話』かもがわ出版、2016年)を出したときから、私は宮古・石垣・与那国・奄美に自衛隊ができて、沖縄が戦場になってしまう!ということを言っていて、島さんともその話をしていたんです。そのあとも私は、文章を書いたり、映画を作ったり、平和運動を立ち上げてみたり、この状況を止めたいといろいろ試みたんですけど、全然広がっていかなくてね。
それで見事に自衛隊の思うとおり、奄美は二か所、自衛隊基地できてしまったし、石垣は去年(2023年)に、その四年前には宮古島にも施設ができてしまったし、与那国に至っては、沿岸監視隊、そしてさらに今後ミサイルが配備されてしまうという……。最初は「ミサイルは持ってこない」と言っていたのに、次は、ミサイル基地ができるというとことになり。もう、ずるずる、ずるずると要塞化が進んでしまっているわけなんですよね。
福元 今朝の現場に来られていたみなさんは、普段から基地問題について反対されている政党や団体、人々でした。私がそこで思ったのは、石川の訓練所(うるま市の東山カントリークラブゴルフ場跡地に陸上自衛隊の訓練所を新設する計画)は地元の住民のみなさんの反対の意思があれだけ明確に確認されているのに、なんで勝連(うるま市勝連)はこうなのか。人口が少ないからなのか……などと座り込み越しに見て考えていました。地域によって、軍備の問題をどこまでがOKで、どこからがダメなのかという線引きを、どこのだれかがやっているのか……。
三上 今まさに福元さんが言ったように、勝連分屯地が統括本部になるのにも関わらず、沖縄本島の人たちの問題意識がちょっと低調かなと思うんですよ。南西諸島のミサイル配備の全貌や恐ろしさがまだ理解されていないせいなのか、知事も、また平和運動団体も、半分はまだ眠っているような状態です。それにも関わらず、石川の新しい基地ができるってなったら、みんな、わーっと声を上げるのですから。
だから、何か沖縄県民は、「新基地建設」という言葉でやっと危機意識のスイッチが押されるのかなとかね、考えるわけなんですよ。おふたりは、この「スイッチ」は何だと思われますか。
島 確かにやっぱり分屯地の中の出来事だと、自分たちから見えない治外法権的な他人ごとに感じるところはあると思う。だけど、自分の住宅の近くに訓練場が、本当にバックヤードに訓練場が来る、というと驚く。でも、もう驚き過ぎて、そうした出来事に少し麻痺しているところもあると思うんですよ。
それは我々メディアにも言えることで、三上さんがおっしゃる通り自衛隊がどんどん先島で配備されて、またさらに、この機能を拡充していってきますよね。計画がミサイル基地になったり、それからPAC3(地対空誘導弾パトリオットミサイル)といった新鋭兵器などを配備したり……。こういう状況に、みんな、ちょっと何か変な免疫ができているというか、耐性ができているところがあるんじゃないかなと思っていましたが、うるま市で市民大会の動きがあることを考えると、自分事となると民意は強いと思います。
ただ、今回の東山ゴルフ場の件もそうですけど、自衛隊は今、本当に工事直前にならないと計画の実態を言わない、情報公開しない。基本的な情報公開すら足りていない状況の中でこうしたことが頻発しているわけで、こうした中で我々がもうちょっと踏ん張って、状況を伝える新聞紙面にしないといけないな、と。
三上 でも、久しぶりに今日、現場は盛り上がりましたね。辺野古の座込みは1997年から始まっていると思いますが、ゲート前に移してからの座込みが2014年からです。翁長雄志知事が誕生する頃は、抗議活動に1日あたり何百人も参加して、それが毎日という盛り上がりがあったとすると、今は、盛り下がっているとは言わないけれども、やっぱりコロナを挟んで、多くの人が集まって、あんまりくっついちゃいけないとか、そういうような時期を経て、日本中の住民運動、社会運動が、やっぱり下火になってしまったんですよね。
これから運動はどうやっていくのかって思っていたときに、今日は久しぶりに押しくらまんじゅうもありましたね。
福元 はい、山城博治さん(沖縄平和運動センター元議長)もマイクを持たれて話をしていました。
ところで、先ほどのどこからがよくて、どこからダメなのかという話なんですが、辺野古以降、やはり反対派は押し込まれていって、これ以上はダメだという感覚を沖縄の中で何かどんどん、どんどん促されてしまって、少なくない人が何かそれを受け入れていっているように感じています。
日本全体でいえば、急に核共有論という話が打ち上げられてきて、それはダメだと言っている間に、そのうち、「敵基地攻撃能力だったらいいのかな」というふうになってしまっている。最初に何かとても大きなことを言われて、「じゃ、ここまでならいいのかな」と自分たちを納得させてしまっている。公明党なども、「俺たちがいたから核共有論も押し返したんだ」、と言っていますが、「いや、待てよ。現実に進んでいる他のことに対しては公明党はどうなんだ?」というようなことを感じながら見ておりました。
三上 どんどん相手の陣地が拡大してこっちが譲り渡しているというのは、悔しいながらあると思うんですよ。それで、「仕方ないさあ」という言葉が、全国でも、沖縄でも広がって。「だって、こういう政権なんだから」って言うけれど、それでも「仕方ない」って言っていられないのが沖縄の状況なんですね。
この『戦雲』の映画版にも登場されている宮古島の楚南有香子さんが、「多少の犠牲は仕方ないよね、の多少の中に私たち入っているよね、私たちは助けられない存在なんだよね、死んでもいいと思っているよね」とまで言っているんですよ。
私たち人間は群れの生き物だから、群れ本体の98パーセントが生き残って2パーセントの犠牲で済んだら、それでよしみたいなところがDNAの中に絶対あると思うんです。何かあっても98パーセントが生き残った。それって、その2パーセントに置かれた人にとっては本当にたまらないけれど、そういう残酷さを多分、人類みんな潜在的に持っていると思うんです。多少の犠牲は「仕方ないさ」って。でも、常にその多少の犠牲の中に入れられる、この島々に住んでいる者からしたら、その考え方の残酷さに気づいてほしいな、と本土の人たちに対して思うんです。
だから、仕方がないんじゃないんですよ。仕方なくないし、仕方を考えて、福祉社会を目指して、近代から私たち努力をしてきているのだし、憲法といったルールを決めて、権力が暴走しないように、あらゆるシステムで、誰一人取り残さない、人の犠牲を当たり前だとしない、弱っている人には元気のある人から分け与えるということで、そうやってみんなが生き残れる社会を目指してきたのにも関わらず、それが機能していないということが問題なのに。多少の犠牲は仕方ないよね、という状況に戻るんだったら何のために想像力があって、何のために記憶力があるんですか? 何のために哲学とか持っているんですか? 何のために本読んでいるんですか? という今、とてもいら立ちを覚えます。
辺野古も止められなかった、高江も止められなかった
私にできることってもうないのか……
三上 この『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』はマガジン9というインターネットサイトに連載したものをまとめたもので、私が2017年から去年2023年まで撮影した動画と、それからその撮影日記が入っています。日記それぞれのページのタイトルの下にQRコードがついていて、そこから映像も見ることができるという、たいへんお得な映像付きの一冊です。先に動画を見るか、読んでから見るか。映画の編集の過程で私が迷いながら、泣きながら撮った映像のほとんどを落としてできたのが映画「戦雲」なんですが、本の中には本当にカットしたくなかった映像が入っています。先行してスピンオフ映画を全国で上映していただいてましたから、スピンオフにあったのに,映画本編にないシーンも多いので「あのシーンを何で落としたの?」と思った人は、この本読んでいただいて映画を見たら、「ああ、そういうことか」と思ってもらえるかなと思います。落とした映像も、本当にすごい大事な映像ばかりなのでぜひ、本を通して見てください。
福元 この本はなりたちとして、もともと一冊の本を書こうとして書かれているんじゃなくて、その時の日記として書かれているので、その一つ一つにすごく魂が入っていますね。「どの話が印象的だったか? 選んでください」と言われても、なかなか難しい、アジクーター(中身の濃い)な本だと思います。
三上 でも、ほとんど愚痴かもしれません(笑)。
島 10年前、女性記者で基地問題を担当している人は本当に少なくて、さらに言うと、公にはっきりと物を言っても怖くないという人は私と三上さんぐらいだったかと思います。その当時から三上さんはやはり先見の明があって。私たちは、どちらかというと米軍の、辺野古の問題も含めて、関心を示していたんですけど、自衛隊が危ないというのは、その当時から三上さんもずっとおっしゃっていました。
三上 そういう意味で、一周回って落ち込んで、もう辺野古も止められなかったし、高江も止められなかったし、宮古、石垣、自衛隊のことも一生懸命やっていたけど止められなかったし、じゃあ私にできることってもうないじゃんと思ってしまっていた2017年から2023年の月日がありました。実は映画「標的の島 風かたか」が、辺野古、高江プラス宮古、石垣だったんですが、2017年に出したんですね。その続編に当たるのが映画「戦雲」なんです。「私にできることはもうないのか」と迷走しながらも、取材と撮影は細々と続けていました。
プロフィール
(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「戦場ぬ止み」(2015)、「標的の島 風かたか」(2017)を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞。最新作「戦雲」(2024)が全国公開中。著書に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書、第7回城山三郎賞他3賞受賞)、『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)などがある。
(しま ようこ)
琉球新報社取締役 統合編集局長。1967年沖縄県美里村(現沖縄市)生まれ。
1991年琉球新報社入社。政経部、社会部、中部支社、経済部、政治部、東京支社報道部長などを経て、2022年、編集局長。米軍基地が沖縄経済の発展を阻害している側面を明らかにした連載「ひずみの構造-基地と沖縄経済」で、2011年「平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞」を受賞。著書に『女性記者が見る基地・沖縄』(高文研)、三上との共著に『女子力で読み解く基地神話』(大月書店)等がある。
(ふくもと だいすけ)
沖縄タイムス編集局 政経部長兼論説委員。1977年生まれ。信州大学卒業。宮古毎日新聞で記者を務めた後、2003年沖縄タイムス入社。沖縄県警キャップ、八重山支局長、米軍基地・自衛隊問題担当などを経て、2023年から現職。