権力は肉体には及ばない
中村 もう一つ問題なのは、日本では「家」と「社会」がはっきり分かれていること。家の内部では運営がきちんとなされている、という前提があるので法は家のことに口をださない。親が子供を虐待する事件が起きても介入しない、というのが日本のスタンスになっているんです。でも実際に事件はたくさん起きているでしょ。そこで、家の中にも権力関係があると認識することが重要だと思います。
小川 家の中の権力関係とは家父長制のことですか?
中村 そう、権力というのは強い力をもっている人が、弱い人に対して強制できる力のことですよね。家父長制が成立しているということは、男性が権力をもって女性を支配する構造が成立しているという意味になる。
小川 はい。
中村 そもそも権力関係がどうできるかについて考えられたのは「社会契約論」が初めで、それ以前は、みんな誰かの下に従属しているという考え方だったわけです。王様と国民とか、親方と徒弟、教師と生徒とか、社会には上下関係があることが当たり前という考え方で、一番上にいる王様のさらに上にいるのが神様だったわけね。
それを社会契約論は、「人間は上下関係の中に生まれてくるのではなく、自由で平等だ」と唱えた。では対等で自由な人間関係のなかで、どうしたら権力関係ができるかといったら、一方の人が「分かりました。私はあなたに従います」と合意して権力を受け入れるのだと。これが社会契約論なんです。
ここで重要なのは、「権力は人の肉体には及ばない」という前提があること。つまり、親方と徒弟にしても、先生と生徒にしても、権力をもつ人が弱い人の肉体に対して拘束や暴力を加えるということはできない、という前提がある。肉体を縛ることができるのは、国家権力だけ。要するに罪を犯した人の肉体を拘束して牢屋へ入れることができるのは国家権力だけだと。ですから、例えばある人に従うことを受け入れたとしても、その人が自分の肉体にまで権力を及ぼすことは拒否できる。それが大前提なんです。
小川 日本ではつい最近まで、体罰がある程度容認されていましたよね。教師が生徒を殴ったり、親が子供を殴っても、「しつけのため」と言えば容認されていた。ニュースのコメント欄にも「子どもは殴られて初めてわかることもある」と書き込まれていたり。イギリスでは体罰ってないんですか?
中村 ないわけじゃないけれど、やると法で厳しく罰せられる。子供に対する虐待があると、役所がすぐ介入します。私が90年代にイギリスに行ったとき、まさにドメスティックバイオレンスや子供に対する性犯罪が社会を賑わしている時代だったんです。そこでイギリスでは女性が駆け込めるシェルターづくりが進み、虐待を受けている子供は即座に親から引き離すようになった。
小川 そういうところが日本とは違いますね。
中村 そう、日本はなかなか介入しないでしょ。それは家族関係をどう考えるかということの違いなんです。イギリスで社会契約論の考えを最初に示したトマス・ホッブズと日本の福沢諭吉を本の中で並べたのは、両者、両国の家族観の違いがはっきり分かるから。ホッブズは権力だけで家族関係を説明しようとしたのに対し、福沢の議論は「家族は愛情に包まれて幸福だ」という考えが前提になっている。日本には福沢と同じように、「家族は愛情関係だし、親は常に子供を愛しているからひどいことをするはずがないよね」という前提が今も生き残っているんです。
小川 2017年の刑法改正で、監護者性交等罪ができて、親など監護者が18歳以下の子供と性交した場合、暴行脅迫の有無に関わらず罰せられることになりました。やっとここまできたんですが、そのときの改正では教師と生徒、コーチと教え子、上司と部下など関係性を利用した性暴力にまで議論が進みませんでした。それは日本で、「人間関係には権力勾配が生じやすい」ことがまだあまり理解されていないということもあるのでしょうか。
中村 そうです。日本には、人間関係を理論的に説明するという伝統があまりなかったので、法できちんとする形にならないということだと思います。親子関係ということにもう一度戻ると、親子関係は権力関係の究極の形ですね。というのは、子供が「権力を受け入れます」と親に言ったわけではなく、強制的な成立なわけですよ。しかも、教師と学生の関係なら、たかだか「真面目に勉強しないと単位をあげない」ぐらいの権力だけど、親子の場合は生命にかかわる扶養の問題になりますよね。だから親子間で問題が起きたとき、あるいは女性が蒙った暴力問題に立ち向かうときは、「権力」という概念を使うといいんじゃないかと思うわけ。
小川 なるほど、勉強になります。日本人が法をあまり意識していないとすると、何に流されているんでしょうか? 法ではなく、隣人とか?
中村 そうそう、世間。世間に流されるし、縛りもかけられているのね。こんなことを言ったら世間で叩かれる、というような。普通ものを考えるとき、法律ではこう決まっているから、という基準で考えないでしょ?
小川 法改正や法律解説の記事はなかなか読まれづらいという実感があるのですが、そういう背景もあるのかもしれませんね。
プロフィール
中村敏子(なかむらとしこ)
1952年生まれ。政治学者、法学博士。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。
主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)
小川たまか(おがわたまか)
1980年、東京品川区生まれ。2008年に編集プロダクションを起ち上げ取締役を務めたのち、2018年からフリーライターに。働き方、教育、ジェンダー、性犯罪などを取材。性暴力と報道対話の会メンバー。支援と臨床対話の会主催。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)