トルコがモンゴルに開発投資
山本 トルコはモンゴルにも開発投資しています。もう五年以上前ですが、中東学会の関係でモンゴルのウランバートルに行ったことがあるんですが、TİKA(トルコ協力開発機構)が関わったモスクがあったり、トルコ政府の奨学金でアンカラに留学していたモンゴル人の学生に出会いました。
内田 僕は今、農本主義・大アジア主義の思想家である権藤成卿(ごんどう せいきょう、1868-1937)について調べているところなんですけれど、あの時代の大アジア主義者たちにとっては、モンゴルまでが「バックヤード」なんです。その頃に、「東亜聯合」構想というのがいろいろあるんですけれど、権藤成卿や内田良平が言っていたのが「鳳の国」です。朝鮮半島がくちばしで、沿海州が左翼、山海関の辺りが右翼、満洲が身体で、モンゴルが尾翼。逆立ちした鳳の口の形をした巨大な地域構想なんです。日清戦争前から、日本と朝鮮の両方の活動家たちがいろいろな連邦構想を出しています。1920年代には、大本教の出口王仁三郎が蒙古の軍閥と組んで、モンゴルを拠点にやはり東アジアの連合体を作ろうとしています。最終的には石原莞爾の満洲国構想という植民地主義的な定型に矮小化してしまうんですけれど。
今の僕らに「大陸には数億の同胞が待っている」なんている意識はもうありませんが、1890年代から1930年代までは、日本人はモンゴルに強い親和性を持っていますね。
中田 「源義経がチンギス・ハーンになった」という伝説も、そういう時代につくられたんですかね。
内田 どうなんでしょう。同胞意識を高めるタイプの物語が選好されたということはあるかも知れませんね。
トルコにとって、蒙古は自分たちの民族的な原点というふうにとらえられているんですか。
中田 実際のモンゴルの大飛躍(西進)ってありますよね。そのときにトルコ人が合流していくんです。そのとき、○○ハン国というのがたくさんできるんですけど、これはほとんどトルコ人なんです。
内田 そうなんですか。
中田 ムガールというのはもともとモンゴルという意味で。でも既にトルコ化したモンゴル人というか、トルコ人が混ざっているので。わずか数十年で蒙古人というか、チンギス・ハーンの勢力は、もう言語、文化的にトルコ化していたんです。
内田 世界史の教科書だと「西進したモンゴル人はたちまちイスラーム化した」と書いてありますけれど、実際にはそうではなくて、そもそもモンゴルの兵士たちの中に大量のイスラーム教徒が入っていたということなんですね。
中田 そういうことです。もともとモンゴル人は数が少ないですから。
内田 そうですよね。考えてみたら、遊牧民ですからね、そんな数がいるはずがない。最初は少数だったけれど、西進するにつれて次々と現地のイスラーム教徒を合流させて巨大な軍隊を作り上げていったという感じなんですか。
中田 そう。で、大勢力になっていく。
内田 それは全然知らなかったな。蒙古人たちが騎に乗って、猛スピードで一気にウイーンまで駆け抜けたとずっと思ってました。
中田 そうではないんですよね。最初は文化的にはトルコ人なんですが、当時のトルコ人はまだ文字を持っておらず、自分たちの文学を持ってなかった。彼らより先にイスラーム化していって文明化の進んでいたイラン人たちが上流階級にいたので、言語的にはむしろ、当時はペルシャ語を使っていたんです。大雑把に言うと、蒙古人が中心で、トルコ人と一部のイラン系の人たちが混ざって、しかし実際にはトルコとモンゴルが同化して徐々にトルコ化が進んでいった。
内田 それが13~14世紀ということですか。
山本 回族のルーツの一部もその辺りですね。
中田 そうそう、その辺り。
内田 今日のスンナ派チュルク族ベルトというのは、そのときのモンゴル族の西進のときにできたということですか。
中田 そうなんです。
内田 トルコ人がわざわざ東に来たわけじゃなくて、モンゴルが西進しているうちに一緒になってしまったという。
中田 まあそうですね。ですからトルコ人は、もちろんそれよりも前から奴隷とか傭兵という形では入っていたんですけど。そういうイスラーム化した人たちがいるところにモンゴル人が入ってきて、服属して、どんどん西に行った。
メイク・トルコ・グレート・アゲイン!
内田 中華思想というのは、「中華皇帝が世界の中心にいて、王化の光が同心円的に広がっていく」というコスモロジーですけれど、オスマン帝国のコスモロジーもそれに近い感じなんでしょうか。世界の中心にカリフがいて……。
山本 トルコ、オスマン帝国にそういうスーフィズムの神秘政治思想みたいなのはあります。オスマン帝国が征服したカイロとかイスタンブールとかアル=アクサ・モスクとか、シリアのダマスクスとか、各都市が、実はアッラーの名前の顕現であって、その中心はイスタンブールで、そこを治めているのはオスマン帝国のスルタンで、みたいな……。だからどうした、と言われればそれまでですが。
ただ、今もX(旧ツイッター)とかに「トルコ人がオスマン帝国の地図ではこれだけ持っていたのに、今はここしか持ってない」「もう一度取り戻せればいいのに」とか書いているネットイスラーム戦士みたいな人たちはどこにでもいます。
内田 「メイク・トルコ・グレート・アゲイン」ですね(笑)。
山本 トルコの外交戦略で「新オスマン主義」と呼ばれていたものに影響を受けた言説のひとつですね。まあ征服する気はないと思いますけど「もともとのオスマン帝国の中にあった地域の国々と独自外交で新しい関係を築こう。」というのは、今政権を取っている公正発展党の長い戦略ではあります。
内田 それがトルコの全国民の支持を得ているんですか?
山本 うーんどうでしょう。たぶん3割ぐらいじゃないですか。もともとイスラーム保守派って国民の3割から2割ぐらいと言われているので。もともとムスリム諸国はナショナリズムの影響か、自国を超えたイスラーム文明としてのつながりや歴史にリアリティを持っている人は少なかったので。
トルコの歴史教育も中央アジアのイスラーム王朝の歴史は学校ではあまり深く教えられてきませんでした。言語改革の影響もあってアラビア文字で書かれたトルコ語を読める人も限られていたので。イスラーム保守派であっても、ルーム・セルジューク朝やオスマン帝国の古典を読める人は多くはなかったし、であれば中東アジアやモンゴルとかその辺りについては言わずもがな、という感じです。ただ、最近はイスラーム保守派のエリートたちが「一般人もある程度トルコ・イスラーム王朝の歴史を知っていないといかん」「ソフトパワー戦略で何かしないと」というので、国営放送が『ディリリシ:エルトゥールル』(復活:エルトゥールル)というオスマン帝国前のトルコ王朝の伝説的人物エルトゥールル(オスマン帝国の祖、オスマン1世の父)についての「トルコ・ゼロストーリー」みたいな歴史大河ドラマを作って。それがトルコ国内だけじゃなくて、パキスタンなどのムスリム諸国でも大ブームになったらしいです。
中田 1890年(明治23年)に和歌山沖で遭難して地元民に助けられた軍艦エルトゥールル号は、その人の名前から取ったんですね。
山本 はい。ドラマファンの人たちが『ディリリシ:エルトゥールル』に出てくるキャラクターのコスプレをし始めて。イスタンブールでもエルトゥールルの帽子を売っていて、それをドラマファンの観光客が喜んで買っていました。
最近はルーム・セルジューク朝の大河ドラマを作ってましたね。
そのドラマを何話か見ましたが面白かったですよ。ドラマにイスラーム学中興の祖と言われているガザーリーが出てくるんです。NHKの大河ドラマ『平清盛』で西行が登場するみたいな感じでしょうか。こういうドラマの影響って軽く見てはいけないなってよく思います。
テレビ番組でイスラーム研究者が「ガザーリーを知らなければこういう損がありますよ」「知っていたらこういう得がありますよ」と偉そうに説教しても、一般人は絶対興味を持ってくれないでしょう。少なくとも私はあまのじゃくなので、そんなこと言われたら絶対勉強しないと思います。でもエンタメの中にちょっとガザーリーを出すことで、「こういうカッコいい人がいたの? この人の生涯って、どんなだったのかな?」と興味を持つ人がいる。Fate/Grand Orderを遊んだことがきっかけで歴史上の人物を勉強し始めたりとか、アトラスのゲーム「ペルソナ」で心理学に興味持ったりするってあるじゃないですか。私だってFate/Samurai Remnantで宮本武蔵の養子宮本伊織のことを知りたいなって思ったくらいです。ムスリムだって同じですよ。
プロフィール
(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。専門はフランス文学・哲学。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。
(なかた・こう)
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学客員教授。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』(集英社新書)、『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)、『神論』(作品社)他多数。
(やまもと なおき)
1989年岡山県生まれ。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。広島大学附属福山高等学校、同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究科助教を経て、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。著書に『スーフィズムとは何か イスラーム神秘主義の修行道』(集英社新書)、内田樹、中田考との共著『一神教と帝国』(集英社新書)。主な訳書に『フトゥーワ――イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)等、世阿弥『風姿花伝』トルコ語訳(Ithaki出版、2023年)、『竹取物語』トルコ語訳(Ketebe出版、2023年)、ドナルド・キーン『古典の愉しみ(The Pleasures of Japanese Literature)』トルコ語訳(ヴァクフ銀行出版、2023年)等がある。