鼎談

ガザ危機で露呈した欧米の二重基準と国民国家の液状化

内田樹×中田考×山本直輝

ロシアのウクライナ侵攻に対して欧米諸国も日本も一斉に非難し経済制裁を科したが、イスラエルによるガザへの無差別攻撃に対しては、批判も制裁も不十分な非対称性があらわになっている。
一方、トルコのエルドアン政権はロシアとウクライナに独自外交を行って仲裁しようとしてきた。
イスラエル・パレスチナはかつてオスマン帝国の属領だったが、
今回の問題についてトルコの人々はどう思っているのか。
オスマン帝国の終焉から百年となる昨年の末に『一神教と帝国』を上梓したばかりのイスラーム学者・中田考氏、トルコの大学で教鞭をとる山本直輝氏、そして思想家の内田樹氏が語り合った。
構成=稲垣收 写真=三好妙心

欧米で疎外されたムスリム移民の三世がトルコに移住

――欧米では、イスラーム・フォビア(イスラーム恐怖症)がはびこっているので、欧米に住むエリート・ムスリムがトルコにどんどん逃げるように移り住んでいるという寄稿を先日、山本先生からいただきました(リンク・文明の再編と「人と知の中心」イスタンブール)。その傾向は10月7日のあの事件以降、拍車がかかっているんですか。

山本 年々増えてはいます。欧米に来たムスリム移民は今、二世、三世の時代に移っていますが、移民一世は生き延びるために、家族を養うために欧米に移民してきた世代なので、その人たちにとって欧米というのは、財産と家族を築く機会を与えてくれた存在です。イタリア系アメリカ人社会とマフィアの興亡を描いた『ゴッドファーザー』という映画は、イタリア系アメリカ人のボナセーラの「私はアメリカを信じている。アメリカが私の富を作った」というモノローグで始まりますが、ムスリム移民一世も同じように感じている人は決して少なくはなかったはずです。起業してビジネスで財産を得たり、医師や弁護士や大学教授といったステータスを得たり。しかし彼らが今、もしイスラエルに対して批判的な言説をすると、「反ユダヤ主義だ」というレッテルを貼られて、最悪の場合、職を失うリスクがある。カナダでもアメリカもヨーロッパも基本的には親イスラエルですから。

 しかし一方で、ムスリム移民の二世、三世たち、つまり「ヨーロッパやアメリカに生まれ、生きてきたムスリム達」の一部は西洋社会に強い不信感を抱いています。

山本直輝

「自分たちがどれだけ妥協しても、社交のために飲み会に頑張って行っても、どれだけアメリカ人(ヨーロッパ人)らしい暮らしをしても、どれだけリベラルの政策に協力しても、結局ムスリムは国民としてはおろか、平等な一人の人間としても扱われない」と感じ始めた若い世代が、特にアイビーリーグやオックスブリッジなどで学位を修めた高学歴のムスリムの間で増えつつあります。

 そのような状況の中で、「アメリカよりもトルコのほうが言論の自由はむしろ担保されている」と考え始めた欧米のムスリム・エリート層が、今トルコに移住してきてます。

中田 そうですよね。たしかジャーナリストの逮捕数はトルコが世界で一番多いので、それがずいぶん叩かれるんですけれども。

――クーデターを起こそうとした新興宗教イスラームグループ、フェト派のジャーナリストが捕まっていますね。

山本 そうですね。

中田 でもトルコ政府は全然めげない。逆に、そういうことが報道されるだけの自由があるんだ、と。中東の国では、そういう報道すら一切出ない国が多いというか、ほぼ全部ですから。トルコとイランでだけ「これだけ逮捕された」とちゃんと報道されるので。

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一神教と帝国

プロフィール

内田樹

(うちだ たつる)

1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。専門はフランス文学・哲学。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。

中田考

(なかた・こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学客員教授。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』(集英社新書)、『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)、『神論』(作品社)他多数。

山本直輝

(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。広島大学附属福山高等学校、同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究科助教を経て、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。著書に『スーフィズムとは何か イスラーム神秘主義の修行道』(集英社新書)、内田樹、中田考との共著『一神教と帝国』(集英社新書)。主な訳書に『フトゥーワ――イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)等、世阿弥『風姿花伝』トルコ語訳(Ithaki出版、2023年)、『竹取物語』トルコ語訳(Ketebe出版、2023年)、ドナルド・キーン『古典の愉しみ(The Pleasures of Japanese Literature)』トルコ語訳(ヴァクフ銀行出版、2023年)等がある。

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