子どもたちは戻らず、町に新しい学校だけが遺された…

五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第3回
烏賀陽弘道

 また前置きが長くなった。聖火リレーの出発点に行ってみよう。

 びっくりである。原発事故当時は何もない田んぼだった場所に、モダンなパビリオンが出現してた。ガラス張りの明かり取りの塔。59台収容の広々とした駐車場。高さ3メートルくらいある現代彫刻のオブジェがゲートを飾る。

 中通りから浜通りに抜ける幹線道路沿いに、避難解除後に新築された道の駅「までい館」である。「までい」とは「心を込めて」「丁寧に」などを意味する村の言葉だ。原発事故以降は「までいな復興プラン」など村のキャッチフレーズに頻繁に使われるようになった。

 避難解除後の2017年8月、総工費13億7000万円をかけて完成した。用地買収や建設費のうち9億2400万円を国からの交付金でまかなった。原発事故前(2010年度)には一般会計44億円程度だった村単独の予算では、とても作れなかった施設だ。

道の駅「までい館」の正面。このオブジェは、静岡県在住の彫刻家・重岡建治氏の作品

「道の駅」は国土交通省が「特定交通安全施設等整備事業」という名称で展開する国の公共事業である。本来は「主要な幹線道路のうち、夜間運転、過労運転による交通事故が多発もしくは多発する恐れのある路線において、他に休憩のための駐車施設が相当区間にわたって整備されていない区間に道簡易パーキングエリアを整備する」という道路利用者のための施設だ。だから必ずトイレや道路情報施設がある。

 一方「観光リクリエーション施設」「文化教養施設」という名目で、売店や食堂、集会所を設置できる。そんな「地元の地域振興施設」という性格も持っている。「までい館」もこの事業を踏襲している。正式には「いいたて村道の駅までい館」という。

 「までい館」は国土交通省の「被災地における官民連携事業」のモデルケースに挙げられている。なぜかというと、村が運営会社「までいガーデンビレッジいいたて」を設立して、入居するコンビニエンスストアや食堂、農産品売り場を運営しているからだ。代表取締役は菅野典雄村長である。

 なぜ村直営の企業がコンビニを経営するのかというと、村内には買い物に使える商店が戻っていないからだ。「帰還者が少ないので商圏として成立しない」→「商店がない」→「不便」→「住民が戻らない」という悪循環が続いている。それを解決するために村直営の企業がコンビニを運営することになった。しかし残念ながら「までい館」はオープン初年度は900万円の赤字。2年目も790万円の赤字だった。村は運営会社に3500万円を追加出資している。

 村はここを「復興拠点エリア」に指定して「飯舘村復興のシンボル」と打ち出した。確かに、幹線道路沿いであり、行き交うクルマから目を引く。隣には広大な太陽電池パネルフィールド。花きの栽培施設(コメや畜産など食物の栽培が放射能汚染で難しくなったため、村は農業の復興に花き栽培を推奨している)。まさに“復興のショールーム”である。

 そして今年8月になって「までい館」の北隣に新たに「ふかや風の子広場」がオープンした。「多目的交流広場」と銘打たれているのだが、ツリーハウス、サイロ型の滑り台など大型遊具、デッキテラスや休憩スペース、屋内運動施設があり、子供の遊び場のように見える。何のための施設なのかよくわからない。面積は約1.27ヘクタール。総工費は約10億円。子供の公園にしては豪華な施設である。

までい館の裏にできた「ふかや風の子広場」。総工費約10億円

 この公園の建設には復興庁が所管する「福島再生加速化交付金」が使われている。交付金の項目に「都市公園事業=住民の帰還促進を図るための環境整備に資する都市公園の整備に係る費用を支援する」がある。適用されると、施設整備の4分の3、用地取得の3分の2を国が出す。

 つまり「道の駅」も「広場」も、国の予算を上手に持ってきて建設したわけだ。

 この「広場」と「道の駅」が隣り合って完成したことで、一帯は巨大なレジャー施設のようになった。原発事故当時はのんびりした田園風景でしかなかったことを覚えている身としては、あまりの変貌に戸惑うほかない。

 びっくりしてばかりではいけない。聖火ランナーのコースを辿らねばならない。クルマから折りたたみ自転車を下ろして「までい館」のパーキングスペースを出発する。またしても、暑い。高原のはずなのに、気温35度。暑い。暑い。だらだらと汗が流れ落ち、焼けたアスファルトに落ちる。ウンウン言いながらペダルをこぐ。

 コースは福島市から太平洋岸に抜ける県道である。トラックや乗用車がビュンビュンと追い抜いていく。途中でホームセンター「コメリ」を通り過ぎた。農家が農機具を買うのに賑わった店である。原発事故以来、営業を再開しているのを見たことがない。雑草に埋もれて朽ち果てている。道路を行き交うクルマは気づく気配すらない。

 約5分。あっさりとゴールインした。またしても新築のモダンなホールである。「飯舘村交流センターふれ愛館」という。かつては「飯舘村公民館」だった。2016年8月に新築されたピカピカの施設である。この一帯は消防署の建物も新築されて生まれ変わっている。

スタートからゴールまでほぼ平坦で楽な約1.2キロのコース。までい館の向かい側には無人になったままの農業高校があるが、そちらはテレビで映ることはないだろう(※今年のコースでは、スタートとゴールが入れ替わり、ふれ愛館スタート、までい館ゴールとなっている)

駐車場も中も広々とした道の駅「までい館」。屋内には作物の線量を測る機械が置いてある

までい館(左端)をスタートし、工事中の幹線道路を走る烏賀陽氏(※今年はまでい館はゴール)

ゴールの飯舘村交流センターふれ愛館(元飯舘公民館)(※今年はふれ愛館がスタート)

 ここも初日の聖火リレーコースと同じだった。国の予算で新しく作られたピカピカの公共施設からスタートして、やはり新築の公共施設にゴールインする。ここを聖火ランナーが走れば「復興」を演出する舞台としてはうってつけ。それも同じだった。

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プロフィール

烏賀陽弘道

うがや ひろみち

1963年、京都府生まれ。京都大学卒業後、1986年に朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て、1991年から『AERA』編集部に。1992年に米国コロンビア大学に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号取得。2003年に退社して、フリーランスの報道記者・写真家として活動。主な著書に、『世界標準の戦争と平和』(扶桑社・2019年)『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書・2017年)『福島第一原発メルトダウンまでの50年』(明石書店・2016年)『原発事故 未完の収支報告書フクシマ2046』(ビジネス社・2015年)『スラップ訴訟とは何か』(2015年)『原発難民』(PHP新書・2012年)     

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